小沢辞任〜政局の混迷

福田総理と民主党代表の党首会談に続く、自民、民主の大連立構想とその頓挫、挙句の果ての小沢代表の辞任と、政局は混迷するばかりだ。とりあえず新聞記事やテレビ報道を断片的に消費しているだけなんだけど、思うのは小沢一郎という政治家は、ここ一番でぶれる、重量感にかけるタイプ、性格的にはたぶんにおっちょこちょいなんだろうなということだ。
今日の朝日朝刊で彼の政界での歩みと発言というのが載っていたので抜粋的に引用するとこんな風になる。

1989年 1月 自民党幹事長に47歳で就任
1991年 4月 都知事選で党内分裂の責任をとり幹事長辞任
1992年12月 自民党最大派閥の竹下派を離脱、羽田派結成
1993年 6月 自民党を離党、新生党代表幹事就任
1993年 8月 非自民の細川連立政権を樹立
1994年 4月 細川首相退陣
1994年 6月 羽田内閣総辞職、自社さ連立の村山内閣発足
1994年12月 新進党を結成、幹事長就任
1995年12月 新進党党首に就任
1997年12月 新進党を解党
1998年 1月 自由党を結成し、党首に就任
1999年 1月 小渕内閣自民党との連立内閣に参加
2000年 4月 自自公連立政権から離脱
2003年 9月  民主党と合併
2006年 4月 民主党代表に就任
2007年 7月 参院選民主党第一党
2007年10月〜11月 福田首相と党首会談〜代表辞任

なにかこう1年ないし2年に一度はなにかしら飛び出したり辞めたりを繰り返しているわけだ。結局腰が軽いというのか、飽きっぽいというのか。政治家としてのポリシーの欠如を疑わざるを得ない部分あると思う。それとこの人にはもともと出自が自民党田中派だけに、政策論争戦わしたりという、いわゆる民主主義下でのあるべきタイプの政治家とは異なる談合屋さんとしての側面がありありなのだ。そしてその談合の場面でこの人はつねにぶれる、あるいは判断が鈍い、とそう思わざるを得ないところがある。
密室政治での談合にしても重量感たっぷりぶれない、相手の急所をわしづかみするような寝技で相手を組み伏せる力量におよそ欠ける部分があるように思えてならない。このへんがある意味大政治家だった師匠である田中角栄とは大きく異なる。田中との比較以前に、例えば金丸あたりと比べて軽量級だと思う。まあ小沢一郎と同世代の政治家はたいていの場合、それよりも旧い世代の政治家、今の総理のオヤジとか中曽根とか大平とかそういった政治化に比してあまりにも稚拙で軽めだとは思う。
自ら軽量級でけっこう判断がぶれるのにも関わらず、この男は自分の出自だった田中派の親分連中たちと同様の手法をとろうとする。密室での談合政治だ。でも器が小さいからうまく相手をねじふせることができない。うまく思うがままにできない、となると彼がとるべき手段は辞意ちらつかして相手にブラフをかけることだけ。それでもうまくいかないと、そのまま放り投げる。まあ、ずっとそんな感じだったんじゃないの。
それでも顔が強持て風だから、そしてあまり表に出て政策論争とかしないから、なんとなく重量級の顔役みたいなポジションしめている。でも、今回の顛末でもうこの政治家もけっこう政治生命危うくなってきたんじゃないのかなとも思う。選挙での民意を重んじることもなく、政策よりも政局がすべてとばかりに自民党についたり、でたりを繰り返す旧いタイプの中途半端な政治家。そんなところなんじゃないのかなとも思う。
 それにしても民主党は、小沢のおかげでひょっとしたら可能になったかもしれない政権交代の唯一のチャンスを見事にぶっつぶされてしまった感がある。もうこの国は、まともな民主主義政治の基本となるべき政権交代はありえないままでいってしまうのかもしれないような予感がする。民主主義的成熟度という点では、欧米どころかこのままじゃアジア諸国にも劣るようなレベルでいっちゃうような気もしないではない。もう、生きているうちに政権交代を目にすることもなさそうな予感。