更新もままならず

それにしてもだ、更新の頻度が恐ろしく緩慢になりつつある。ここ一、二ヶ月はまじに一週間に一度くらいになっていそうだ。ここんところはそれすらもままならないような気がする。
 理由はそろそろこの形式の公開日記にマンネリを感じた、いよいよ書くネタもなくなった、まあそんなところかって。いいや絶対にちがう、実は書きたいネタというか、まあろくでもないことばかりだけど、いろいろあるにはあるのだ。映画のこと、音楽のこと、本のこと、酒のこと、政治のこと、社会の様々なことへのボヤキなどもろもろ。でも、まあ余裕がない、時間がない。
空いた時間にPCの前に座っても、興味ある事柄二三検索して読んだりして、ハイそれで終了みたいな感じか。懐古ネタ的にユーチューブで古い映像とか拾って楽しむ時間作っても、やっぱりそこで終了みたいな感じだ。
実際ここのところ、なにか無理やりにいろいろなことを重ねさせてしまった感もあり、正直アップアップしている。家の購入と売却、妻の退職手続き、障害者年金の手続きなどなど。さらにだ、転居となると子どもの転校だのもある。さらには昨日あたりに気づいたことなんだが、妻の介護保険についても転居先での変更手続きなどもあるし、ケアマネを新しく探して新たにサービス決めていくみたいなこともやらなければならない。
なんでこう込み合った事柄を一度に抱え込むハメになったかって、それはもう単に妻の休業期間の終了と退職期限が目前に迫ってきたからだ。妻がいよいよ退職となれば、我が家の家計は完全に私の稼ぎだけになる。これまではとりあえず病気で休業中とはいえ傷病手当金がそこそこ出てはいたけれどその支給も9月で終了した。我が家の収入が半減したとしても、夫婦それぞれで組んでいる住宅ローンが同時に半減するわけもなく、とりあえず今はまだ多少の蓄えがあるにせよ、いずれそれも先細りしていくことは自明なわけだ。
そうなると決断は早いほうがいいということで、とりあえず動いてみた結果が今の事態になっているわけなんだ。でも、もう少し段階的なやり方もあっただろうにと思わないわけでもないな。まずは退職手続き、それから家探しとか。退職とやや遅きに失した部分もあるけど、障害者年金の手続きをとり、その後に家探しとか転居みたいな方向。
おまけにだ、仕事関係でいうと11月からささやかながら位が一つあがったりしたものだから、またまたろくでもない会議とかも増えていくし、けっこう打ち合わせだのも続いているんだよな。新任の課長とかに向かって、「俺は退職まで後10年きっているからさあ、たぶん今より上はないけど、君らはまだ先があるんだから、そういう自覚もってやってくれ」みたいな偉そうなことのたまったりしてる。実はどうでもいいんだけどそういうの、アハハ。
しかし妻の病気という不可抗力はあるにせよ、今の込み入った状況作り出したのは間違いなく自分なわけで、とにかく眼前のすべきことを一つ一つ片付けていくしかないということなんだろう。でももともとそういう能力に長けているわけでもないし、人間の分類としてはボケカスのほうに入ると思っているから、なんかとんでもないチョンボしそうで怖いなとも思う。
睡眠不足になるかもしれないが、やっぱりこうやって書くことで考えやすべきことを整理していくことも必要なんだろうなとも思う。そしてだ、今の一連のことがとりあえずなんとか片付いていけば、多分あらあらの目算では来年三月くらいが目処なんだけど、そうしたら家と職場も近くなるし、少しは時間も出来るだろうから、せいぜい趣味的な方向でいろいろ書きたいこと綴っていけたらいいなとも思う。
どうでもいいことだが、アマゾンで購入したばかり、少し前の自分ならすぐに読んでしまえるはずの村上春樹の新作エッセイもまだ数十頁しか読めないのもまた悲しい。『走ることについて語るときに僕の語ること』(文芸春秋)。前書きで本人も書いているけれど、この本は「ランニングという行為を軸にした一種の『メモワール』だ」。たぶんこれほどストレートに自らのことを書いたものを初めてのような気がする。村上春樹が小説を書き始めた頃の
ことを懐古的に綴っている。それだけでこの本には相当の価値があるように思う。
読み終えたらもう少しきちんと書いてみたいところなのだが、それもいつになることやらの今日この頃だ。

走ることについて語るときに僕の語ること

走ることについて語るときに僕の語ること

 少しだけ日誌風に起きたことを書いてみようかな。