分娩取りやめ105病院

慢性的な産科医不足の中、この1年間にお産の取り扱いを休止したり、休止する方針を決めたりした病院が全国105カ所に上ることが、朝日新聞の全国調査でわかった。過酷な勤務状況の解消に向け、各都道府県は近隣病院の産科医を1ケ所に集める「集約化」を模索しているが、その議論に先行して分娩を扱う病院が次々に消えていく実態が鮮明になった。深刻な事態に直面し、医学生・研修医の優遇策などを打ち出す自治体も急増している。3/25日朝日朝刊一面

さらに38面社会欄でも「産科減止まらない」という関連記事が載っていた。産科医の減少により出産難民という言葉さえ囁かれるようになってきたという記事を以前に読んだことがある。事態は悪い方向に悪い方向に進んでいるということだ。
一言でいってしまえば、少子化の影響ということなのだろう。世の中の環境は子育てに優しくない環境であるばかりか、子作りに際してもシビアな環境になりつつあるということだ。これで少子化に歯止めをかけるためにいったいどんなことが行われているのか、政治・行政の無策に対して憂鬱な思いになるばかりだ。
少子高齢化の様々な問題について考えるときにいつも思うこと、それはこの問題がここ数年のところで急に浮上してきたことなのかということだ。違うだろう、だとすれば今問題になっていることは、すべて10年、20年前の政治、行政の無策の結果だということだ。当時の政策立案、実行者たちは、今の少子化社会、高齢化社会をまったく予見不可能なことだとして居直るだろうか。「我々は我々なりに将来の問題について真摯に検討を行い、様々な形での対応策を練り、実行してきました。しかし、事態は我々の予想よりも早く、しかもドラスティックに現出してしまいました。我々は全力を尽くしてきました。しかし・・・・」なんかこういう言い訳的文言がいくらでも聞けそうな気がする。
しかしだ、10年前、20年前と現在のところでの大きな共通点が一つあるのだよ。それは10年前、20年前も確か自民党による政権が続いていたということだ(わずか八ヶ月ほど非自民連立政権というのがあったことにはあったけれど)。今の政権党自民党の中枢にある人たちは、少子高齢化社会への無策に対する結果責任みたいな意識があるだろうか。政権を連綿と担当してきた以上、過去の政治行動に対する責任は現在の彼らがとるべきなんだが、彼らにそういう意識はあるのだろうか。おそらく、ない!、皆無ということなんだろう。
日本の政治風土の背景には為政者にとってきわめて望ましい特徴がある。政治家、マスコミ、国民、その総てが慢性的な健忘症にあるということ。政治には今という現実だけが存在し、過去はけっして振り返ることなきものであるということ、まあそんなところなんだろう。