五目チラシ


昨日のひな祭りを家族三人でささやかに祝った。その時に妻が娘と二人で作ったのは上記の代物。まあ、料理としては比較的簡単なものだけど、そこそこ美味しく食すことができた。けっこう時間をかけたようだが、こっちは一切手助けしなかったので、八割がた妻が作ったということだろう。私は買い物に出かけていたので実際の作業はわからないのだが、娘はレンコンとかを細かく刻んだりを手伝ったのだそうだ。
こうやって料理とかも少しづつやりはじめるようになると、なんとなく職場復帰とかも夢とかではなく、現実的なタームになってくるっていうこともあるのかなと淡い期待を抱くこともないではない。とはいえ、なかなかに現実は甘くないのだから。
妻の今の状態はというと、まあ退院以来の自宅生活にも完全に慣れてきている。そのうえである部分目覚しい回復を示しているということもある。リハビリテーションにおける活動レベルでいえば、模擬動作の域を超えてどんどん「できる活動」が増えつつある。駅まで一人で歩いていくこともできた。近所のドラッグストアに買い物にもいくことができた。カレーを作ったりシュウマイを作ったりもできた。ひな祭りのための五目チラシも作った。本人的には自信にもなっているのだろう。「できるよ」という返事も強い響きもある。
でも「できる活動」はどこまでいっても「できる」というレベルにとどまっている。

また服を着替えることにしても、作業療法士がついて、時間がいくらかかってもよく、しかもゆるやかな訓練用の服で練習するのと、日常生活の朝のせわしい時間帯にぴったりした服で着替えるのとではまるで違います。
       『新しいリハビリテーション』(大川弥生著)

「できる活動」としての料理は男の料理に似ている。たまに時間と暇にまかせて凝った料理を作るおとうさんのあれである。材料も高級な食材を使いまくり、台所散らかしまくって、洗物はお母さんにまかせるというやつ。なかなか美味しいものが出来上がるけれど、一年に数回トライするだけ。ハレとケでいえば確実にハレ的な行為だ。
それに対して日頃の日常生活として行っているのが「している活動」だ。これは毎日、朝昼晩家族のために料理を作っている主婦の日常作業としての料理みたいなものになるのだろう。片麻痺の妻がそういうレベルで料理を行えるようになるかどうか、多分現時点ではわからないことである。専門家に聞いてみてもたぶん曖昧な返事がかえってくるだけだろう。でもたぶん可能性はありますという答えも用意されているのではないかとも思う。その可能性にかけるためにも、そろそろなんでもやってあげてしまうのではなく、少々心を鬼にしてもなんでも一人でやらせるようにしていかなくてはいけないのではないかと思うこともある。
妻の朝の着替えもようやっと最近は一人で行うようになった。一人で下着や衣服を出してきて、時間をかけて一人で着替える。国リハでの入院生活の最後の二ヶ月くらいは、毎日やらされていたことなのだが、退院して自宅に帰ってからはたいてい私が手伝ってやっていた。朝の場合、どうしても時間がない。短時間に朝食作ったり、洗濯物干したり、娘の学校の支度をしたりと分刻みで動いている。そうなると妻にも私が出勤前に着替えを終わらせておかなくてはならない。短時間でやってもらうために、ある意味ぜんぶ私が手伝うようになってしまっていた。妻もそれに甘えてしまっていた。退院以来、ある意味じゃ私が頑張れば頑張るほど妻の私への依存心が増すみたいな部分もあるにはあるのだ。
それで年明け以降、ずっと口うるさく言っていたからだろうか、とにかく一人で着替えにトライしてくれるようになった。毎日のことだから、やってみるとじょじょにスピーディーになってきている。もっとも今着ている服はどちらかというとスポーツウェア系かルームウェア系みたいなものが多いから、比較的着替えもしやすい。もしこれが通勤となるとそうじゃない、着替えしにくい服とかを着る機会も増えるだろう。一つ一つそうやってハードルクリアしていってほしいと思うわけなのだが。