首都圏ワースト4ふじみ野市の財政事情〜経常収支99.7%

県議に立候補されることが決まった民部市議のブログに以下のような記事があった。
ふじみ野市の財政・首都圏でワースト4 」
http://blog.livedoor.jp/mimbu_kayo/archives/51077726.html
経常収支が99.7%にまで悪化したことについては、確か昨年9月の定例議会で初めて明らかにされたことだったと思う。民部市議や鈴木啓太郎市議のブログ等にも議会報告として記事があったはず。また市報等でも厳しい財政状況としてかなりの頁をさいて報告されていた。
でもたいていの場合、結果としての99.7%が一人歩きしている印象で、それではなぜこういう事態に陥ったのか、その原因についてはほとんど議論されていない、報じられていない。民部市議も昨年9月25日のブログで以下のような記事をあげている。
9月定例会報告−ふじみ野市始めての決算
http://blog.livedoor.jp/mimbu_kayo/archives/50868572.html
しかし民部市議は所謂経常収支の一般的な説明については具体的な事例をあげて記述されているけれど、99.7%に陥った原因についてはほとんど明言されていない。唯一9月25日の記事に以下のようなコメントがあるだけだ。

 経常収支比率というのは、毎年常に入ってくる一般財源のうち、毎年常に支出する一般財源の割合をいいます。ほぼ100%ということは、入ってきたお金は全部使い道が決まっていて、それ以外の新しいことに回すお金はないということ。大井町が市になったことで今まで県が払っていた生活保護を市がやるようになったこと、老人医療の助成などサービスを高いほうに合わせた結果支出が増えたことなどが原因だとの説明でした。

そういえば、市報の中でもこれに類した説明があったようにも記憶している。曰く合併に際して徴収すべき負担は低い方に合わせたこと、行政サービスは高い方に合わせたことが財政悪化の一要因になっているというものだ。
しかしだ、それだけで単年度に一気に財政悪化になるのか、それが大いに疑問でもあった。一市民としての素朴な疑問、なんで合併して一年足らずでどうしてこう急激に市の財政が悪化するのかということだ。さらにいえば、「サービスを高いほうに合わせた」というが、それらの結果も含めての合併論議ではなかったのではないだろうか。あの短期間で一気にしたてあげた一市一町の合併に際して、合併したらみたいなバラ色の文言はいろいろとあったが、合併してこんなに財政が悪化するなんて話は確か一切なかったはずだ。
そんなことを思っていた時に、このふじみ野市の破綻一歩手前的な財政状況の原因をきわめて明確に記述してくれたのが鈴木啓太郎市議の昨年12月4日のブログだ。ちなみに前述した民部市議と同様鈴木市議も春の県議選にいづれ民主党から立候補を予定されているという。私は国政レベルでは自民党に対する対抗勢力としては民主党が力をつけること、二大政党による政権交代が行われていかない限り、日本の政治はお先真っ暗と思っている。ようは権力は腐敗するから。だから民主党を原則支持している。でも、地方自治レベルでは、例えばふじみ野市にあっても現在の島田市政に対して与党的立場にある民主党会派にはいま一つ応援しきれない部分ももっている。でも、この二人のきちんとしたブログによって私なんぞは、市政情報をどうにか得ている部分もある。二人ともブログの記述からはとても誠実な人柄も感じられるし、こういう風にきちんと自己の政治活動を公開して、情報提供をされている方にはぜへ県政でも頑張ってもらいたいとは思う。
話は脱線した。鈴木市議のブログをそのまま引用する。
http://www.keitarou.info/klog/index.php?e=337

赤字団体への転落の要因は何か
 「赤字団体になっていることを、すでに再建団体といっているのですが・・」西部長の答弁は衝撃的なものだった。来年度14億円の予算が不足するというだけでなく、経常収支比率は現在県内ワーストワンになっている99、7%を超え、「100%を超えてしまうのではないか」といった見通しすら明らかにされた。そのうえで、もはやふじみ野市の財政の現状は「再建団体」(自治法上の規定ではなく、自ら再建を目指さねばならないという意味での・・ではあるが)といったのだ。
 私が質疑の中で質そうとしたのは、この財政危機の要因に「合併特例債」の存在があるという点だった。合併時に合意された「新市建設計画」では10年間で212億円の特例債を財源として当て込み、桜通線や東西道路などたくさんの計画を盛り込んだ。ところがこれらには特例債の対象にならないことがわかってくると、次々と基金を取り崩して、なりふりかまわず事業に着手してしまったのだ。
 「この事業で特例債を使うと明示したものはない」が「特例債を使いたい、という表現は頻繁に議事録にある。」というのが部長の答弁だった。しかし10年間で212億円使うという財政計画と並んで、新市建設計画には11個もの大型事業が並んでいるのだ。誰がどう見たって、財源は特例債で手当てできると思うに違いない。
 ところがである。たとえば財政計画では平成18年は30億円の特例債を財源として当て込んでいるが、実際に特例債の対象になり、市の財政に入ったのは3千200万円に過ぎない。約100倍の見込み違いなのだ。どうしてこんな事態になったのか。この点は市長が答えてくれた。「(上福岡では)特例債が使えると思って、新市建設計画にぶち込んだ」のである。ちなみに旧大井ではこうした事態にはなっていない。
 これこそ合併に伴うモラルハザードが、旧上福岡市政に典型的に現れていた証拠なのだ。「合併バブルの崩壊」といったほうが話はわかりやすいかもしれない。いずれにせよ、「新市建設計画」に盛り込まれたこれら事業について、その財政計画の根本が崩壊しているということに踏まえて、対処すべきだ。そうしないと、市民の納得は得られないだろう。

おそらくそれが総てではないだろうけれど、経常収支99.7%の要因はまさにこれなんだと思う。合併に舞い上がった旧上福岡の市長、市幹部等が合併特例債を当て込んで金つぎ込んだんだということ。30億円の特例債を当て込んで金つぎ込んでみたところ、実際に特例債として入ってきたのは3200万だっただと。おいおい、責任者出て来いっていうところだよ。
これについての補足説明みたいなことが同じ鈴木市議のブログへのある市民の方のコメントでもあり、上福岡市長(武藤っていったけ)の合併への意気込みが明らかにされている。
「3日目の一般質問 続・ある保守系議員の慟哭」
http://www.keitarou.info/klog/index.php?e=348

「持参金は要らない、これ当たり前のことなのです。なぜうちだけが余計なお金を持っていくのか。これは、使うために積んである。ですから、このチャンス、この機会なのです。国庫補助がつくということは大変なことなのです。このついたときにやらなければ、この基金は何の意味もない、そういうことから、基金をしっかりと積みおろせる環境ができた、私はそう理解しておりまして、これは職員を含めて我々の最大の努力のたまものと、このように私は確信しているところであります。」(『平成15年上福岡市議会第1回定例会会議録』p.293)

結局のところ99.7%の原因はこれなんだろうな。だからこそ民意を問うことなく性急に、とにかく合併特例債の適用期限に間に合わせるためだけに成された一市一町の合併というのもこれだけが理由だったのだ。合併特例債という国の補助で金が使える、あるいは使えるはずだ。市民のために金を使うのだ、どんな金であれ市民のための金を引っ張ってくるために合併が必要だというわけだ。そして、そしてその結果が特例債の当てが外れての99.7%なわけだ。
現在のふじみ野市長は旧大井町長の島田氏だ。鈴木啓太郎市議の記述をそのままにすれば、上福岡市政のモラルハザードのつけを払わされているという意味では、旧大井町民同様、なんか島田氏も同情できるような気もしないではない。でもね、それは大間違いだ。島田氏もまた一市一町路線に乗った人間である。住民投票等を一切やることなく合併進めた張本人の一人なんだから。
そしてだ、今のふじみ野市議会についていえば、共産党以外はほとんどが合併賛成の立場だったはず。だからみんな99.7%の理由について言及しないのだろうな、おそらく。
そしてそして4月の統一地方選だよ。多くの市議候補たちはなんていうんでしょう。あれほどバラ色の合併論議華を咲かせて、オール賛成した島田市政与党の候補者の皆さんは。財政悪化の現実をそう説明してくれるんでしょう。たぶんね、お役所がいうことをそのまま鸚鵡返しにするんだろう。「合併しなくても、上福岡、大井とも財政状況は厳しかった」「合併効果はすぐには出てきませんが、これからじわじわと出てきます」などなどだろうか。
今からでも遅くはないから、あの合併の意味、あるいは意義、そのへんをもう一度真剣に検証する必要があるんじゃないかと思う。少なくとも合併特例債あてこんで金使いまくって、特例債適応されませんでしたは、重大な政治・行政責任が問われる問題だと思うのだが。
合併しちゃったんだから、もう現実は動かせない。だっていまさら上福岡市大井町に戻るわけにはいかないでしょう、っていう現実追認論は聞き飽きたっていう感じがする。それでいて合併という現実を作ったことに対する責任論議はまったくおきないのだから。
以前にも国政についての感想を記した時にどこかで引用したと思うけれど、再度この一文を引用しておこう。

現実とは本来一面において与えられたものであると同時に、多面で日々造られて行くものなのですが、普通「現実」というときはもつぱら前の契機だけが前面に出て現実のプラスティックな面は無視されます。いいかえれば現実とはこの国では端的に既成事実と等置されます。現実的たれということは、既成事実に屈服せよということにほかなりません。現実が所与性と過去性においてだけ捉えられるとき、それは容易に諦観に転化します。「現実だから仕方がない」というふうに、現実はいつも「仕方のない」過去なのです。
「現実」主義の陥穽 丸山真男(「現代政治の思想と行動)所収

現代政治の思想と行動

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