授業参観にでる

会社を半休とって子どもの授業参観にでる。3年生の最後ということになる。
小学校の授業参観は、学期の始まりと最後に一度ずつある。授業を参観し、その後は懇談会を行うというようになっている。こんな風に学期に2回ずつということになったのはいつ頃からなんだろう。自分の頃はどうだったかと思い起こしてみても、40年も前のことだからほとんどさだかではないのだが、こんなに頻繁にはなかったようにも思う。
妻が病気になる以前は、共稼ぎということもあり、一応交代で出ていた。私が学期の最初で、妻が学期の最後というようにだ。でもお互い忙しいこともあり、ほとんど出ない学期も何度かあった。それでも4月の一番最初の授業参観と懇談会にだけはかかさず私がでていた。最初の懇談会はPTAの役員を決めるのだが、欠席しても役員にさせられてしまうこともあるということを聞いていたからだ。まあ、たぶんそういうことはないのだろうけど、一応出席したうえで共稼ぎを理由に固辞するということにしていた。
まあ、こうした学校行事に出るのはたいてい奥さん連中なので、いい年したオヤジの出席はかなりういた存在でもあるのだが、それでも父親が出席して共稼ぎを理由に役員を断るというのはけっこう効果的ではあった。女の敵は女ではないが、共稼ぎを理由にしても女性の場合は、仕事は理由にならない場合もあるのだそうだ。実際、パートとかをしている女性でもPTAの役員をやっている例はたくさんあるのだし、うちの会社のパートさんでもそれを理由に会社休むということもいくらでもあった。
でも、やっぱり仕事を持って日中の学校行事というのはやっぱり無理があるのだとは思う。PTAもそれこそ学校の妻みたいないわれ方もあるようで、学校のための下働きみたいな側面が多々ある。どうにもこうにも納得できない部分もあるのだが、みんな学校に子どもを人質にとられているという心理も働くからだろうから、けっこう従順に輪番のようにして役員をしている。あとね、多分一度やった人は、「あたしもやったのだから、あなたもやるのが当然」みたいな感覚もあるのだろうな。なんか毎年、苦行が再生産されていくようなものなんだな。
土台、仕事を持っている身としては、ウィークデイの日中に行われる学校行事に参加するというのは無理という部分もある。それでもなんとか都合つけて、会社半休とったり、場合によっては一度会社抜けて学校へ行き、また会社に戻るみたいなことをしたりなどしても出来るだけ参加しようとしている。それというのも、確か一年生の二学期だったか、三学期だったか、授業参観に行かなかった時、子どもが後で悲しくて涙が出たという話をしていたからだ。
両親が共稼ぎだから授業参観に出れないという我が家の事情を子どもに納得させる。そういうのも教育なんだとは思うのだが、やっぱり子どもに寂しい思いをさせているというは、少々くるものがある。自分自身、母親のいない家庭で育ったので、授業参観はけっこう寂しい思いをした。父親は仕事が忙しかったからだろう、一度も出席したこともなかった。なんとなくの記憶だが、母の日に子どもに母親の似顔絵を書かせて教室に張り出すのだが、私のそれは祖母の絵だった。みんなの似顔絵は髪が黒いのに、私のそれは白だったのを妙にはっきりと覚えている。あれは小学校の二年くらいだっただろうか。
そういう暗い記憶があるので、出来れば娘には悲しい思いをさせたくないと思って、出来るだけ学校行事にも参加するようにしている。けっして暇でもなんでもないのだが、まあ仕方がないことだと思っている。まして、妻が病気してからはとにかく私の他に代わりがいないのだからいたし方ないというところだ。
今回参観した授業は学習発表会だった。子どもたちは漢字クイズを発表する国語グループ、二桁、三桁の掛け算の早解き発表を行う算数グループ、縄跳びの二重跳びとかを発表する体育グループ、それにリコーダーで演奏を行う音楽グループに分かれてそれぞれ発表をした。うちの娘は音楽グループでリコーダーを吹いた。まあまあの演奏だった。娘がクラスの中で普通にしていることが確認できた。まあ、それだけのことだ。それでもきちんと父親が来てくれたことを素直に喜んでいることがわかった。こういうことも子どもとの信頼関係というのだろうか、とにかく子どもの期待を出来る限り損ないたくないなと思った。そう、それだけのことなのだ。