宇井純死去

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-18822-storytopic-8.html
http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20061111-115817.html
また一人良心的な学者・研究者が鬼籍に入った。ある意味では全面的に信頼を寄せることができた数少ない学者の一人だったと思う。学生時代に何度か駒場のキャンパスまで出向いて公害原論の講義を拝聴した。その度にずいぶんと沢山のことを学ばせていただいた。
宇井さんの思い出としては、たぶん80年代のことだったか、革自連の候補者選びの際に矢崎泰久さんたちが宇井さんの家に何度か足を運び、参議選への出馬を依頼した。宇井さんは最初ずいぶんと固辞されていたが、最後には矢崎さんや中山千夏さんらの熱意に負けて立候補を受託した。するとそれまで別室にいた奥さんが現れて、「この人は病気がちで、出馬すれば命が保障できません。立候補は絶対に認められません」と拒絶された。矢崎さんたちが宇井さんの奥さんの剣幕の凄さに、宇井さんの出馬を諦めて席を辞したという。記憶違いがあるかもしれないが、確かそんな話を矢崎さんから直接聞いたことがあったような気がする。
そういう意味ではもともと体の弱い方だったのかもしれない。それでも70代まで生きられて活動の場を広げられた。ただ残念なのは宇井さんの公害研究、自然科学、社会科学を横断した公害原論が学問としてけっして定着しえないままでいることだ。ある意味では公害原論は20世紀にあって初めて展開された新しい学問分野として裾野を広げるだけの価値あるものだった。各大学の一般過程で講義が設けられるべき学問となるべきだった。21世紀の社会はここからしか進められないというほどの意味ある学問、研究分野として定着しなければならなかったのではないかと思う。
まだまだ宇井さんには、社会批判、文明批判としての礎となるべき公害研究をすすめていただきたかった。宇井さんはフロントであり続けたけれど、どれだけ後続ランナーがいるのかどうか。自主講座「公害言論」の受講者は2万人に達するという。その2万人の心には宇井さんの言葉がなんらかの形で刻まれていると思う。私がそうであるように。冥福を祈ります。