長野へいく

12日から三日間、妻の実家長野へ行く。行きはお盆休みの最中だというのに、関越は拍子抜けするほど空いていて、途中何度かトイレ休憩を入れても3時間くらいで着いてしまった。
妻はというと、福島の旅行での慣れもあったのだろう、ロングドライブでもとくに問題はなかった。トイレ等についても早め早めに対応した部分もあったのであぶなくなることは一度もなかった。
脳梗塞で倒れてから初めての長野だ。妻の両親は入院中の彼女を見ているので、4点杖をついて自律歩行したり、普通の会話をする妻の姿に、それこそよくここまで良くなったと感激もしてくれていた。そして私にもいろいろと感謝してくれていた。ありがたいことだ。長野では妻の兄弟からも、みな口々に「良くなった」「よかったね」と言ってくれる。そのとおりなんだし、本当に妻は良くなったと思う。だからこそこうして実家に来ることもできるようになった。でもその言葉を聞く私自身はというとちょっとだけ複雑な心持でもある。妻は良くなった。でも、快癒とは違うわけだし、彼女はけっして元通りになったわけではないのだから。
言ってもせんないことではあるのだろうけど、妻はずっと障害を抱えて生きていかなくてはならないわけだし。彼女を支える家族、私と娘は妻をサポートし続けなくてはいけない。そういうプレッシャーというか、心に重石を抱えているからだろうか、なんとなく、本当になんとなくだけど、「良くなったね」というストレートな言葉に素直に喜べない自分がいたりもする。本当にせんないことだけど。
実家ではいろいろとお世話になったし。特に妻の母親には随分とよくしてもらった。年齢はもう70くらいだろうか、数年前には高血圧でけっこう薬づけだったとも聞くのだが、ここのところはけっこう元気にしているし若返ったような気もする。父親がけっこう齢を感じさせるのとはまったく逆だ。実家は母親が中心で動いているようにも思う。人間って、やっぱり頼りにされる立場になるとけっこう違ってくるのだな。見習わなくちゃいけないかもしれないな、などとも考えさせられた。
長野のこの地方でのお盆の作法は、提灯を持ってお墓へ行きご先祖様を提灯の蝋燭の火と一緒に連れてくる「お盆ござれ」を13日に行い三日間ご先祖様は家で過ごす。15日にはお墓へ提灯の火とともにご先祖様を連れ帰る「お盆帰れ」を行う。いつもだと12日くらいに来てこの作法に参加して(っていうのだろうか)から帰るようにしている。今回は16日から仕事だったので「お盆帰れ」は失礼させていただいた。妻の病気のことや介護のこともあるので、今回は三日程度でとも思っていた。今回も入浴用に介護椅子だけはもってきたけど、それ以外の介助グッズはほとんど持ってこなかったから、まあ三日くらいが限度だとは思っていた。
帰りも上信越道は比較的空いていた。さすがに藤岡JCTから花園あたりまでは断続的な渋滞はあったけど、それでもまったく止まるということはなかった。まあとにもかくにもトラブルらしいトラブルもなく三日間を過ごせた。しいていえば病気以来すっかり出かけたがり屋になった妻が旅行への自信を深めていることが、少しだけ難儀といえば難儀なところだ。トラブルがないとはいえ、いろんなことに備えたり、それなり細心の注意を払っている、こっちの苦労など知る由もないし、言ってもあんまり理解してくれていないみたいだから。