中田英寿の引退

まあ、どうでもいいとは思う。日本サッカー界の功労者、う〜んっていう感じだな。
二十歳前後の中田にはタレント性を感じた。今でも思い出すよ。それこそ久々現れたタレントっていう感じだったな。何かセンスが違うっていう感じがした。パスセンス、ボディバランスなどなど。アトランタ世代の中ではある意味ピカ一的存在だったとは思う。もっともあの時点では前園のほうが圧倒的に華があったことは間違いない。実際決定力という点では前園のほうが数段勝っていたかな。中田というと彼が代表初選出された韓国戦を国立で観た。二十歳そこそこでの初代表なのに存在感抜群だった。でも、GKとの一対一の決定的なシーンで見事にゴールはずしてくれたりもした。ある意味首尾一貫してシュートはへただったな。
中田のピークはというと、やっぱりイタリアへいった一年目に尽きると思う。ペルージャでの一年目だ。デビュー戦のユベントス戦での2得点は今でもはっきり思い出すよ。あの年、中田はセリエAで10得点をあげた。あれが彼の戦歴の中では最高の成績じゃないかな。そういえばJリーグでももっとも得点をあげたのはデビューの年だったか。それ以降、マークがきつくなるとともに得点は減少した。
デビュー時の活躍とそのタレント性からすると、この男の伸びしろはどのへんまでかとは思ったものだ。ネドベドあたりまでいくかもしれないと希望的観測をひろげたものだ。中田はどちらかといえば天才的なテクニックでどうのというようなタイプではない。バランス感覚やトータルな部分で及第点以上の働きをするミッド・フィルダーという感じでとらえていた。だからこそのネドベドなんだが、中田はサイド・アタッカーよりは真ん中での仕事が好みのようだった。とはいえトップ下、あるいはセカンド・ストライカーとしては、あまりにも得点能力的に貧弱だったと思う。
中田はペルージャの後にローマ、パルマフィオレンティナと転々とする。移籍金も上昇した。年俸もセリエAの中でも上位に位置した。しかし金額ほどの活躍をじょじょに見せなくなってしまった。それでいてCM出演などによる副収入はアップしていった。サッカー選手とは試合に出てナンボであるはずなのに、いつしか試合に出ることもなく高額年俸選手としての位置が確定した。このへんに中田の伸びしろが止まった理由もあるのではないかと。
ジョホール・バルでの中田はひたむきにサッカーに向き合っていた。ここでワールドカップに出場する。そして自分のサッカー人生をより高い次元に引き上げるのだという強い意志がプレーの一つ一つに感じられた。しかし、セリアAを流転するうつに彼の中でより高い次元でのサッカー人生というものが崩れいったように思う。もう、彼には直向きなプレーは、より上達しようという意志はかんじられなくなったように思う。その結果として中田英寿は、並みのサッカー選手として、その選手生活を終えることになってしまったということなのだろう。