聖天宮へ行ってみた

妻がデイケアで知り合いになったお年寄りから、とにかく凄い中国のお寺があるから一度行って見るといいと言われて行きたいと言いはじめたので連れていくことにした。
私はというとすでに二回行っている。以前、矢作俊彦好著『新ニッポン百景』にとりあげられていたの気になっていたのだ。会社が若葉に移ってきたので、半休で役所などに行って時間が余った時によってみた。最初に行った時は正直度肝を抜かれた。本当に凄い建物だった。これが台湾の金持ちがたった一人の蓄財で建てたというのが正直凄すぎるぞと感じた。
矢作の文章もまたこの建物に関してだけは諸手を挙げての賛辞となっていた。もともと帯のコピーにもあるように「この国にはあまりににも無駄なものが多すぎる」という視点からバブルの頃から建てられ始めた日本各地の無用にして異形な建物をこき下ろし、それを通じて1990年代の日本社会を痛切に切ってみせた一種の文明批評である。ある意味この仕事を通じて矢作の器というか、スパンは大きく広がったと思える。それこそ大げさにいえば『あ・じゃぱん』や『ららら科学の子』はこの仕事があってこそととすら思える。そんな矢作ですらディープ埼玉の田圃の中に出現したこの中華寺院には唖然としてしまったようだ。あえて全文を引用してみる。

凄い!
それ以外、言いようがない。
ともかく、本物である。これだけ心底、本物だと、ただ口を開け、感心するのみ。写真中央の建物の扉などは、何と檜の一枚板なのだそうだ。自動車が通れるほどの入り口の扉が、である。中国建築の粋、キンキンキラキラのキンにしても、金箔三千枚張りつくしたという。
後は好き嫌いだが、中華街のすぐ近くで生まれた私としては、決して嫌いではない。不思議なことに、ラテン国家が自慢するカソリックの大聖堂などより、ずっと心がなごむものがある。『エクソシスト』より『チャイーニズ・ゴースト・ストーリー』の方がずっと好きなのと同じ理屈だ。
今回は、だから手放しで褒めてしまう。まったく疾しいところはない。いや、私がではなく、この建物を建てた人がだ。
何しろ、税金なんかびた一文、使われていない。
こんな中国の宗教建築に税金を投げ出す役人がいたら、それはそれで興味深いが、幸か不幸か、今回、役人は一切かんでいない。
これは浄財だけで築き上げられている。浄財といったって、他人の財布から出た浄財ではない。これを建てたたった一人の人物の財布から出た、浄財、-----何と五百億円である。
監禁して洗脳して信者を丸裸にする宗教が横行する世の中で、この人は、銭金などおかまいなし、ただただ自分の新人のためにこれを建ててしまったのである。
戦前、大陸で、戦後は台湾で、広く事業を営んでいた人物なのだそうだ。それが十年近く前、大病を患った。後三ヶ月の命と医者に宣告され、藁をも掴む気持ちで日本の病院の門を叩いた。その後、七年も病と闘った末に、なんと、治ってしまったのである。日本の医療が優れていたのか、この人の生命力が特別だったのか、多分その両方だる。この人は、しかし神様のおかげだと思った。入院中に、道教の神様が夢枕に現れたのだ。
快気祝いに、世話になった日本に道教の廟を建てようと決意した。以来、十二年、九十五年の秋、ついに開廟したのがこの大建築なのである。
この場所は、崑崙にある道教の聖山と緯度が同じということで選ばれた。
ご覧のとおり畑の真ん中だが、何、気にすることはない。後にも先にもこの人ひとり、特定の信者なんか初手からいないのである。これといった宗教活動もしていない。何と、見物人から拝観料もとっていない。維持管理費はどうやって捻りだしているのだろう。何だか心配だ。
これだけ話が浮世離れしていたら、ジャーナリストならまず疑うだろう。この人物、裏に何かあるのではないか。と、しかし私は小説家だ。因果かもしれないが因業な商売ではない。だから、この人を毛ほども疑わない。ただひたすら感服して、立ち尽くすばかりである。
これは凄い。この人は凄い。しかし、ここに立ち尽くしていつうち、この五百億円の「凄い」の真ん前で、黙々と農業に勤しむ近在の方が(インタビューには応じてもらえなかったが)実は一番凄いのではないだろうか、という気もしてきたのである。
新ニッポン百景―衣食足りても知り得ぬ「礼節」への道標として〈’95~’97〉『新ニッポン百景'95〜'97』P286

最後に矢作らしい毒のある捨てゼリフを聞かせてはいるけれど、概ね肯定的な一文でいて、この建物についての情報を余すことなく伝えてくれている。私もこの建物に違和感なく接することができたのだが、それは矢作がいっているのと同じで、私自身も中華街にほど近いというか、今では中華街に吸収されてしまった横浜山下町の一角で生まれついたからなのかもしれないなと妙に納得してしまう。
しかしこれほどの建物なのに、あまりにも場違いなディープ埼玉のせいか、あまり話題になることもないようだ。ちなみに私の会社に来ている近在の主婦たちに聞いても、ほとんどの方が存在すら知らない。あるいはなんかそういうのがあるのも車で見たことがあるといった程度だった。残念なことではある。私の堕落した感覚では、いっちょうこの寺院を観光資源として活用し、近在に台湾料理屋だのなんだのを数店出店させて、チャイナタウン・イン・ザ・サイタマを売りにしてはなどとロクでもないことを考えてしまうのだが。
まあそれは置いといてだが、この建物は一見の価値がある。ある種の荘厳さとともに道教という、ややユルメのオールラウンドな感のある宗教への一種の帰依心すら抱いてしまうような感覚になる。
妻もまあまあ気に入ったようでそこそこの広さのある寺院内を杖で歩いていた。いい運動になったのではないか。娘もきらびやかな天井や屋根の装飾に「龍がいるよ」「キンピカで綺麗」と感嘆していた。本殿で家族三人焼香して参拝もした。ガイドの説明に従って跪いて三本のお線香を持ち願い事をした。ガイドに言わせると本殿に祭ってある神様は極めて徳の高い神様なので、より具体的な願い事をするようにとのことだった。
私の願い事といえば、とにかく妻の病気が少しでも良くなること、娘が健康な日々を送れることにつきるのだが、心の中で「三清道祖様神々様(さんせいどうそさまみなかみがみさま)と何度もつぶやいていた。気がつくと妻も娘も参拝をとっくに終わらせていた。本当に溺れる者は藁にもすがるみたいなもので、私の願いが深いものなんだなとも思った。
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