動物園にいく

妻のリクエストで動物園にいくことになった。なんで、動物園なんだろう。ある種の家族団欒の象徴的装置なのだろうか。などと小理屈並べるのも別にいいか。最初に動物園といわれて思いついたのは高坂の子ども自然動物園だったけど、あそこは広すぎる、アップダウンがきついということで却下。近場でこじんまりとしたところとなると限られる。大宮、狭山の智光山、羽村の市立動物園あたりか。あまり広くないこと、車椅子で回ってもしんどくないこと、そこそこの動物がいること、などの条件を並べて結局羽村の動物園にする。
ここはたぶん5年ぶりくらいか。とにかくこじんまりとした動物園だ。とはいえキリンもいる。シマウマもいる。ペンギンもいる。動物園としての最低限の条件を満遍なくクリアしている。駅から徒歩20分くらいの街中にある。こういう動物園があることを羽村市民はもっと誇っていいのではないかと思う。市民動物園というのはこういうものだ。こんな風に思うのは私が横浜で生まれ育ち、ずっと野毛山の動物園に慣れ親しんできたからかもしれない。あれこそ市民動物園の理想的な姿だったような気がする。住宅地の中のこじんまりとした一角に凝縮された動物園。小さな檻にライオンもいる。トラもいる。クマもいる。シロクマも、ペンギンもニシキヘビも。そして象やキリンもいる。サル山もある。あれが市民動物園の本当の姿のような気がする。
最近では広いスペースに放し飼いのようにして動物を棲まわせる動物園が当たり前のようになりつつある。狭い檻に閉じ込めるような動物園はどうにも肩身が狭いようだ。でも広かろうが狭かろうが、所詮動物園などは人間の都合だけで作られたものだ。動物の便宜を計ろうとしても詭弁的なものでしかないのではとも思う。
野毛山動物園にそれこそよちよち歩きの頃から通って育った。そのうえで思うのは動物園は市内の中心部のそれこそ気軽にいける場所にあるべきだと思う。そこで子どもが動物に触れあい、大人も動物と接することである種の気分転換ができる、そんな場所だと思う。羽村の動物園はそんな野毛山動物園と同じ空気を持ったところだとは最初に来たときに思ったことだ。
妻の車椅子を押して三人で見て回る。一時間足らずでほぼ園内を一周できてしまう。こういうお手軽さがうれしい。一般生活へのリハビリ中の妻にとってもこの手狭さはかえって良かったのではないかとも思う。あまり広いとなるとトイレのことなどなんのをいろいろ心配してしまうけれど、ここではそういうことをあまり考える必要もなかった。コンビニで買ったサンドイッチの類を三人で食べ、久々にのんびりとした時を過ごして3時過ぎに退園した。
妻が退院してきたら何度かのこうした慣らし的な外出を行うことになるのだろう。