初めての外泊

今日は妻を初めて外泊させる。医師からも勧められていたので即実施。いよいよ退院に向けての自宅での生活訓練が始まったわけだ。これまでも短時間、土、日に家に連れていくというのはすでに何度かやってはいるのだが、飯食べさせて、風呂にいれてとなると、けっこうしんどい。
3時に国リハに迎えに行き、ふじみ野のビバホームと島村で買い物。7時半頃に家に戻る。それから夕食を作る。おかずは麻婆豆腐、鮪納豆、海鮮サラダの三品。麻婆豆腐は娘のリクエストだ。夕食を作り、それから妻を入浴させる。入浴に関しては全介助だ。おまけにまだ風呂には手摺もない、身障者用の足の長い椅子もない、風呂に渡して腰掛けることが出来る介護用のふたもない。おまけに風呂は洗い場、浴槽もすべる。けっこうというか、正直しんどかった。でも、より楽観的にいえば、とにかく滑って転倒もなく、ある意味つつがなくうまくいった。私が宗教家であったら神に感謝していたところだろう。
体を洗い、髪を洗う。それから入院生活五ヶ月でずっとおろそかになっていたのだろう、足や脇などの無駄毛処理も行う。麻痺のある左側の脇を処理する時は、ゆっくりと腕をあげてやらなければならない。拘縮した腕を一気にあげるようなことをしたら本人もかなりの痛みを覚えるだろうし、たぶん肩の関節をどうにかする危険性もある。だから、ゆっくりとゆっくりと腕をあげていく。なんかしらんが、これが介助なんだという実感を覚える。家族に身障者がいるということはこういうことなんだということ。介助される側、する側が互いに羞恥心とかもろもろの感情をどこかにしまい込む。そのうえでの作業として構築していくということ。愛情あればこそ、もちろんそれはある。でも、それじゃあ愛情がなければやらないのか。いいや違う。これは互いの信頼関係と究極の親切心の絡み合いだと思う。
妻は配偶者である私を信頼している。障害を持つ身としては悲しいかな、自分ではどうすることも出来ないのだ。私は妻の私に対する信頼感に応えなくてはならない。生活を共にしてきた相手に対して親切にする、当然のことではないか。妻の無駄毛を処理する。妻が障害者となってしまった以上、それは介助する側の作業=仕事として現に存在するのだ。
夕食は妻にとって質的にも量的にもおおかったのだろう、かなり残してしまった。それでもこんなに食べたのは久しぶりと話していた。
11時過ぎに妻と娘を寝室に連れていく。妻はなかなか寝つけない様子だったが、病院から預かってきた睡眠薬については、いらないという。すぐに眠ってしまった娘の傍らで真っ暗な寝室で妻は今何を思っているのだろう。いくらなんでももう眠ってしまっただろうか。