娘を向かえに行く〜ハード・ドライブ

昨日は午後4時半頃に病院へ行く。それまで何をしてたか。居宅介護支援業者に連絡をして来週、病院でOTの先生との自宅改修の第一回の打ち合わせの日取りを決めました。近所でやっていた倒産セールに行きました。アディダスのスニーカー2足ゲット。妻の下着類、タンクトップ、ショーツ、靴下、自分用のYシャツなどを購入。本当、新聞にチラシ入るたびに行ってりゃ世話ないんだけど、安いものは安い。賢い消費者なのか、単なる衝動買いの物欲オヤジなのかよくわからない。時間もろくにないのに久々パチンコやったりもした。30分ちょっとで9連チャン。限りなく不幸な日々を送っているなかでも、時々は小さな幸せが訪れることもある。
病院に着くと妻は定位置のエレベーター前にはいない。病室に行くとカーテンがしまっていてベッド脇に車椅子に座った妻がひどく暗そうな雰囲気でいる。ちょっと嫌な予感がした。あんまり遅くに行ったので泣いてでもいるのかとも思った。声をかけるとけっこう普通にそうに答えてくれる。話を聞くと4時に病室でパジャマに着替えるのだが、30分近く格闘して上だけ着ることができたのだという。パジャマのズボンは介護がないと履き替えることができないので、ひたすら看護師がくるのを待っていたのだとか。
早速、介助してズボンを着替えさせる。妻は現在、衣服の着替えも自分でやるのを訓練中だ。上着だけはなんとか一人で、時間をかければ着替えができるようになりつつある。ただし体にピッタリした衣服は駄目。パジャマとかジャージ系などで比較的ゆったりしたものならなんとかというレベルだ。私もリハビリ系の本で読んだこともあるし、担当看護師からも話を聞いているのだが、片麻痺でも衣服、特にズボンを履いたり、脱いだりも出来るのだが、看護師に言わせると妻の場合は、体が硬くてうまく足を組むことが出来ないので現在のところ難しいという。なんだい、それは障害以前の問題ではないかとも思った。で、それじゃお酢でも飲ませましょうかと看護師に軽口を叩いて爆笑されたりもした。
先天的な障害のため、自由に動くのが片足だけという障害者の方のHPを見たことがある。この方はその足で箸を使い食事をとったりもできる。足で絵を描き二科展だかに入賞した経歴もある。片足だけで衣服を着ることもできるという。そういうことも訓練次第なわけなのだが、妻のようにそこそこ歳がいってから片麻痺になったとなるとなかなかそういうわけにもいかないのだろう。後一ヶ月半の間に、なんとかジャージやパジャマを一人で脱いだり、着たりができるようになれば有難いのだが。
その後は1階の喫茶室で少し話しをしてから病棟に戻り、廊下を4点杖の歩行自主トレ。一周90メートル弱の廊下歩行もだいぶしっかりしてきたようで、数日前に比べても疲れを訴えたりも少なくなった。身体レベルでの改善はある意味著しいものがある。
この日は1時間ちょっとで病院を後にした。それから長野まで娘を迎えにいかなくてはならなかったから。日曜に妻の実家に娘を預けてに行ったのだけど、月曜からは学校だからとにかく土曜のうちに向かえに行こうと思っていた。三芳のパーキングのETCから関越に入っのがだいたい6時頃。それからはとにかくとばした。道路も空いて快調だったので、平均130キロ前後でひたすら走った。中野で高速を降りたのが8時少し回ったくらいだったので2時間少しで長野まで行ったことになる。これはたぶん過去最高記録だな。でも、歳も歳だし、こういう無理はいい加減控えたほうがよさそうだな。
娘はいたって普通、少々風邪気味でせきをしていたけど、いたって元気一杯だった。この前池袋の東武で買った「たまごっち」の新しいやつを渡すとめっぽう喜んでいた。実家で弟夫婦もいて義父、義母、義理の兄、義弟夫婦と私、娘と大勢で夕食を食べた。このあととんぼ帰りするつもりでいたので、酒は飲めなかったが、大勢で賑やかな食事がとれた。
10時半頃に実家を出て一路自宅へ。娘は後部座席ですぐに眠ってしまったので、一人カーステレオに耳を傾けながら走った。帰りは平均120キロくらいだっただろうか。道もガラガラだったから本当に一人旅みたいな感じだった。走行車線を普通に走っている車はほとんどを追い越した。佐久の手前でたぶん平均140キロくらい出している快速トラックに追い抜かれる以外はほとんどの区間、俺の前は誰も走らせないみたいな感じだった。いい年してなにをやっているのか・・・・。
12時少し回る頃に家に着いた。娘をベッドに運び、様々な片付けやらをしていたらじきに3時を回ってしまった。