妻の両親がくる

 妻のすぐしたの弟が長野から両親を連れてきた。母親は妻が倒れてすぐに見舞いにきてくれているが父親は初めて病床の娘を見舞うことになった。父親も76になる。かっては町会議員を務めたこともあるしっかりとした人だったが、ここのところは急速に老け込んでいるようで、話していても上の空になることが多くなっている。足腰も弱くなっているようで内股ですり足の歩行になっている。母親は「お父さん、女みたいな歩き方だ」と笑っているが、なにか一気に老いてしまったような感さえある。妻が倒れたことも影響しているようで、ここ数ヶ月で急に弱ってしまったという。やっぱりショックだったんだろうなとも思う。
 義弟にしろ、母親にしろ妻の回復度には驚いていた。以前に比べると別人のように話もしっかりしていると言ってくれていた。義弟夫婦と両親の前で昨日から始めた歩行訓練を行ったが、妻が私の介助を受けながら、手摺を使ってつたい歩きする様は、はっきりと回復した姿と受けとめられたのではないかと思う。
 両親と義弟夫婦は3時過ぎに帰っていった。当初の予定では、我が家に少しよるということだったが時間も遅くなっていたので病院から直接長野へ帰った。その後は妻の希望で庭内を少し散歩した。陸上トラックの方へ向かうとトラックの内周にあるサッカーグランドでちょうど練習を終えたばかりの一群がいた。子どもと大人が混ざり合ったその一群をよく見てみると、どうも知的障害のある人たちとその家族たちのようだった。サッカーのうまい子もいればそうでもない子もいる。でも、みんなニコニコと笑いながらボールやゴールを片付けたりしていた。障害と向き合いながらも懸命に生きている人々がいる。障害のある生活の中にも生の喜びを享受しようと頑張っている身障者とその家族、それを支える支援者たちがいる。そんな一群の周囲を妻を車椅子に乗せてぐるりと歩いた。
 病院に戻ってから、妻にもう一度歩行やっていみるかと声をかけると、「少しなら」という返事。それで30分くらいの時間、歩行訓練を行う。我々の傍らを車椅子に乗った若者たちが通り過ぎていく。頚損障害で首から下が麻痺状態の青年が、友人と一緒に近くを通る。彼らもまた妻の歩行訓練をする姿を見て、自分たちもあと数ヶ月後には妻のように少しづつでも歩き出せたらいいなと思っているのかもしれない。国リハにいる障害者たちとその家族は、みんなそんなささやかな希望を持って日々を過ごしているのだろうと思う。
 少しづつ、少しづつ、今よりも機能が回復すること、障害が残っても家庭や職場に復帰して、日常生活が送れるようになること、みんなそれを願ってここにいるのだと思う。妻も昨日より今日、今日よりも明日には、歩行が安定したり、より長い距離を歩くことができたり、物忘れがなくなっていく。それが本人の、家族のささやかな願望なのだ。