歩行訓練

 3時少し前に国リハへ行く。庭内を少し散歩した後、PTから借りた短下肢装具を持って1Fに行き、PTトレーニング場の横にある長い廊下で歩行訓練を行う。妻は短下肢装具をつけて手摺につかまりながら歩く。私は妻の脇に手をおいて介助する。そんなかたちで約30メートルくらいの距離を行ったり来たりする。時間にして20〜30分程度だったか。妻は一生懸命だ。初めてにしては妻は予想以上に頑張ってくれた。
 国リハに入院当初、妻と同室だった初老の夫人が、旦那さんの介助でよく休みの日にここでこうして歩行訓練をしていた。それを妻の車椅子を押しながら、あんな風に回復してくればいいけど、妻の場合は難しいかなとも思っていた。それから3ケ月でほぼ同程度まで妻も回復してきている。素晴らしいことだと思う半面、退院して家に帰ることを考える時、実はここが出発点であるという現実を思わざるを得ない。大川弥生氏の著書から引用すれば、国リハという整った環境の中で介助つきでやっと歩き始めた妻の状態は、まさしく「できる歩行」の端緒でしかない。その先には病棟での日常生活の中での「する歩行」を常態化させ、そのうえで日常生活での「している歩行」になっていかなければいけないわけだ。道はけわしく遠いということだ。
 気がついたことだが、廊下には両側に手摺がついているが、ところどころ途切れている。国リハのような施設ですらそうなのだから、バリアフリーとはいえ普通の社会ではこの手摺のぶつ切り状態はもっと過酷なものになるのだろう。いや、手摺が少しでもあるだけましということなのかもしれない。妻は手摺がなくなると、たちまち不安で次の一歩を踏み出すことができなくなる。まだ始めたばかりなのだからと念じつつ、手摺がないところでは両手で介助を続ける。まだ始めたばかりだ。だけれどもここ国リハでの時間は確実に残り少なくなってもきている。