父が五十のとき

 もうすぐ私も50の大台に乗る。そう思った時、ふと父親のことを思い出した。私が30の時に脳卒中で死んだ父親のことだ。父が50になった時、私はたぶん17歳、高校二年生だったか。何か一番記憶的には不鮮明な時期のような気がする頃。いったいあの頃なにをしていたのだろう。
 父はあの頃、ずっと勤めていた製鉄会社の子会社を定年間際だったはずだ。当時はまだまだ55歳定年制だった。定年を数年残した時期に体を壊して会社を辞めた。それから死ぬまでつきあうことになる高血圧症と糖尿病だった。父はその頃、ほんとうに浴びるように酒を飲んでいた。会社を辞めた半年くらいは自宅療養していた。1〜2ケ月酒を断っていたのだが、すぐに飲み始めた。毎日それこそ一升瓶一本ペースで。本人は病気についても、早い話アル中なんだと話していたこともあった。死ぬまで酒を断つことはなかったが、その後はじょじょに酒量も落ちていったように思う。でもあの家にいる頃の飲み方は尋常ではなかったという気がする。ちょうどそれはたぶんロッキードの証人喚問の頃だったように思う。
 その後は警備会社に再就職して死ぬまで勤めた。今思うと、50代の父はそうとうなオヤジだった気がする。子ども心にはもうすでに初老という感じに思えた。あの頃の父親の歳に並んでしまう自分。父は50のときなにを考えていたのだろう。長男はすでに働いていた。次男坊の私は高校生。大学にいくと公言してちょうどその頃から受験勉強などを始めていた。いつも家でへたなギターをかき鳴らしていた。まだまだ金がかかるなと先々のことをいろいろ心配していたのだろうか。
 それにしてもだ。もはや初老の時期にきた自分はなにをやっている。年がら年中ジーンズにスニーカー、ワーキングシャツ、パーカーにダウンなど着て過ごしている。人からは三十台に見えますなどといわれても、もはやちっとも嬉しくもなんともない。身体的には十分、年齢がきているのを実感できるわけだし。それでも小二の子どもを抱えているから、まだまだ老いるわけにはいかずというところか。
 同年代の友人たちと話していても、俺たちもう十分に歳いっているのに、なんでこう青臭いこと言ったり、やったりしているんだろうなどと語り合うことも多い。50といったらもう不惑でなければいけないのに、惑いっぱなしではないかなどとも思う。30年前と今とでは時代が異なるということももちろんあるにはあるのだろう。それにしてもだ。あるいは、当時の父もまた初老の外面とは別に、心中ではけっこう青臭いことを考えたりしていたのだろうか。