妻の病状(2/12)

 買い物とかしていたので病院に着いたのは1時半過ぎ。妻は「遅すぎるよ〜」と。
 いつものように車で自宅周辺をドライブ。昨日、大便の話をしていたためか、妻が途中でもよおしたという。なんでも午前中に浣腸をしてしたばかりだというのだが。瞬時にふじみ野のサティへ行くことにする。ここには身障者用の駐車場も完備しているし、各階に身障者用のトイレもある。サティに入ると妻は、便意がなくなったという。それでも念のためと思いトイレに連れていく。病院でやっているとおりのトイレ介助で便座に座らせと、ちょっとしてからやっぱり出た。妻がもういいというので立たせてお尻を拭く。思ったより簡単だった。考えればこういうの子どもが3歳〜5歳くらいの間、けっこうな頻度でやっていたから、それほど違和感なくできた。まあ介助する側は、育児と同様に、お仕事、お仕事みたいに割り切りもできる。でもされる側にはいろいろと思うことはあるのだろうと思う。妻が店内に入ってから急に大丈夫といったのもそういう意識もあるのかもしれないとも想像する。でも、しょうがないことなんだよな、これも。
 重篤片麻痺ではお尻一つ自分では拭けないという現実。それを本人も、周りも受け入れなくてはいけないということなんだ。夫に下の世話させることの引け目とかつらさ、妻のそういう面倒をみることの悲哀、それこそ10年の恋もさめるみたいな感覚とか、もろもろある。でもね、こういうのはもう愛情とかそういう問題じゃない。義務感、もちろんそれもある。でも、それだけで機械的に行うお仕事じゃない。ようは身近な人に対してどれだけ親切にできるかということなんだと思う。妻は私を信頼してくれている。それに応えなくてはいけない。それももちろんある。
 私が愛読する作家は究極的には村上春樹カート・ヴォネガットの二人だ。そのヴォネガットが私に教えてくれた、あるいは一番影響を与えてくれた考え方はこれだ。

愛は敗れても、親切は勝つ

とりあえず、ピース。
 5時過ぎに病院に戻り転院の準備をする。7時頃、妻が夕食をすませてから、おそらく妻が入院して初めてのことだけど、妻の髪を洗う。だいぶ伸びてきた髪。もうすぐ手術でまた丸坊主になる頭をシャンプーする。頭蓋骨のない部分はやはりぶよぶよしていて、本当に恐る恐るという感じにだった。
ピース。