妻が倒れて二ヶ月が経過した

 なんて言っていいのか、やっぱり早いものでとでも言うのか、妻の発症から二ヶ月が経過した。いきなり彼女の同僚からの妻が倒れて昏睡状態にあるとの電話。国際医療センターへの緊急入院。入院してすぐの減圧開頭術という右の頭蓋骨の一部を取り除く手術。新宿戸山への病院通いの日々。片麻痺のため良くて車椅子、つかまり立ちくらいは可能かもしれないという医師からの厳しい宣告。リハビリ系病院の転院探し。所沢の身体障害者リハビリセンター病院への転院。自立歩行は難しいとの宣告。高次脳機能障害という新たな障害の診断。
 病院通いを続けながら、家事、子どもの面倒を見る。仕事、学童への子どものお迎え、病院通い、このサイクルをなんとか、本当に駆け足で走り抜けてきたような日々だ。今思うに、この二ヶ月の自分の生活のバックでは、常にイーグルスの「Life in the fast lane」が鳴り続けているみたいな感じだな。様々な落ち度、手抜きがある。そういえば妻の会社に勤務実態を教えてもらいにいくのもやっていない。労災申請についていえば、結局会社から連絡があったのに暮れのうちにいくことが出来ずじまいだった。発症前3ケ月の平均残業が80時間以上という最初の関門をクリアできそうにないだろうという現実が、行動を後回しにさせている部分もある。でも、それ以上にだな、日々の生活にてんてこ舞いでアクションできないんだ。たぶん、来週中には妻の会社を訪れようと思っている。また一つ大きな宿題を抱えることになる。そうだ、介護保険の申請というのもあったな。
 本当にあっという間の二ヶ月だ。そういえば身体障害者リハビリセンター病院に転院してからもすでに一ヶ月が経過しているわけだ。これも早いな〜というのが実感だ。この病院での残された時間もあと二ヶ月程度だ。妻がここで集中したリハビリを受けてもらえることを祈っている。おそらく彼女にとって最も濃いリハビリ経験を得られるのは、この場所での3ケ月だけなのだから。そしてそれからの長く続く身障者としての日々。私にとってはたぶん介護の日々。これからの長い長い妻にとっては障害者としての人生、彼女を支えていかなくてはならない、私と娘にとってもまた長い長い日々。それを考えるとこの二ヶ月は本当に短いものでしかないだろう。Only two month in the Lifeとでもいうところなのだろうか。
 さらにいえば、この病院の後に妻はまた国際医療センター、もしくは別の総合病院、そこそこ大規模の病院で脳外科のある病院に転院しなければならない。切除してある右頭蓋骨を形成する手術を受けることになる。その転院の手続きをまた始めなくてはならない。そこで多分二週間くらいの入院。それからまた別のリハビリ病院への転院か、あるいは自宅での介護生活が始まる。ずっと続いていくのだと思えば、たいしたことではないのだ。それでも、日々の生活の中に織り込まれるそうした事務手続き、あちこちへの連絡、出向いてのお願い、などなど。それを仕事をし、子どもの面倒を見ながら続けていくのだ。
 周囲の人はみんな優しく対応してくれる。「なにかあったら言ってください。出来ることはしますから」「あんまりお力になれることはないだろうけど、大変だね」「とにかく体こわさないようにしてください」。有難い言葉だ。みんな優しい、親身になってくれる。でもね、だからといって全面的に支援をお願いするわけにはいかない。彼らにも生活があるわけだし、妻のことについていえば、これはまさしく我が家の問題なのだから。そう、私が背負っていかなくてはならない事柄なのだ。もちろん納税者の権利としての公的な扶助に期待する部分もある。でもそれらに全面的に依拠していくわけにはいかないだろうし、それほどの期待を寄せうるものではないだろうという予感もある。
 何度も口にしていることでもあるし、このブログでも同じようなことを何度も記してきたことだが、こういう現実を受けとめていく、ということでしかないのだろう。