『生協の白石さん』

http://shiraishi.seesaa.net/
 ブログから生まれたベストセラー。ちょっと気になっていたので、年末に閉店間際の文教堂に立ち寄って購入した。東京農工大生協で組合員の「ひとことカード」への一担当者の回答が話題を呼び、ブログで紹介されたのを本にしたという。真摯に組合員の声に答えつつ、どこかですかしたり、話題をずらしていくのが楽しくもまた心ほのぼのとさせる。癒し系の本として分類されるんだろうけど、どことなく初期の村上春樹の文体的、思考的比喩表現を想起させるような、面白おかしい内容だ。一読してこれは売れるはと思った。
 白石氏の名(迷)回答もさることながら、掲示板に張られたこのひとことカードの内容をブログとして紹介した一学生のセンスもすごい。ちょっと面白い手書きのひとことカードの内容を大文字、すかすかの行間によるブログ的表記でまとめ上げてアップしたのがヒットした理由だとは本を読んだ後にブログをチェックしてみたうえでの感想だ。書籍ではひとことカードの形式でのQ&Aをそのまま一頁ごとに乗せている。それはそれで面白いのだが、やはりブログの表記を出来れば踏襲して欲しかったとは思う。書籍として、活字としての独自性を出そうと思ったんだろうけど。
 しかし白石氏の回答は見事だな。作家もしくはコピーライターとして食っていけるだけの才能があると思わせる。なんといっても80万ちかく売っているベストセラーだから、いろんなところで言及されているけど、やっぱり面白いから引用します。

Q.マサくんが最近、「そこそこのリアリティ」を追及しています。
 生協にはそういうものをおかないんですか?
A.ご質問、ありがとうございます。
 解釈が間違っていたら申し訳ないのですが、「〜風味」という食べ物も、ある意味そこそこのリアリティ。
 例えば当店販売中のうまい棒は、全13種類。求道者のマサさんにもおすすめしてみてください。

 「そこそこのリアリティ」を「〜風味」との解釈が常人ではない。さらにそれをうまい棒に結びつけるのはお見事。

Q.牛を置いて!
A.ご要望ありがとうございます。
 本日丁度職場会議が開かれたのですが、結果、牛は置けない、と決議されました。即決でした。申し訳ございません。

Q.うしをおいて!
A.前掲の通り、職場会議にて牛は置けない、と決議されました。
 満場一致でした。申し訳ございません。

 もはやこの白石さんの代名詞ともなっている珍問答だが、ふざけた牛という要望に職場会議といういかめしい言葉を出して真面目に答えているところが素晴らしいのだが、さらにいえばそこに即決、満場一致という言葉を添えているところがこの回答の尋常ならざらんところなんだろう。会議、即決、満場一致という言葉を連ねる殊更に事務的な回答によって、このふざけたリクエストがほのぼのとしたものに変わっていく。すばらしい!

Q.エロ本おいて下さい
A.ご要望ありがとうございます。
 大学生協は学生さんや教職員の方をはじめとした組合員の勉学研究支援及び生活支援に取り組んでおりますが、煩悩の分野は支援できません。あしからずご了承下さい。

 勉学研究支援、生活支援と続けておいて煩悩の支援はできないとの回答。たぶんにきちんとした回答など求めていないリクエスト者にしろ、このやりとりを見たものも思わずにんまりとする機転だなとつくづく思う。
 さらに続けてさせてもらえれば、白石氏の思考のレトリックが一番如実に現われているのはこの問答だろうか。

Q.どーやったら鈴木さんと付き合えますか
A.当方の職員に”鈴木さん”という人がいます。その鈴木さん宛という仮定でお答え致します。
 鈴木さんは若く見えて魅力的な人なのですが、二児の母、しかも上の子は高校生との事です。
 この障壁、一朝一夕では越えられないと思われます。どうにもならない事、人生には幾つかあります。どうぞ気を落とさずに。

 この身近な話題からある種の通俗的な命題を導き出す手法は実にお見事。こういう思考展開を短時間にものにする白石氏の才能、思考の冴え、切れにはほとほと感服する。
 このすかすかの本に相当の親近感を覚えるのは、実は私自身二十数年前にわずか数年間だったけれど同じ大学生協の職員をやっていたことがあるからでもある。生協職員というのは低賃金かつ長時間労働が普通だ。しかもちょっと前まで自分がそうであった甘っちょろい学生たちが顧客であるというアイロニー。ほとんど自分自身と自分が置かれた環境への呪祖を日々にしていたような気さえする。当時は月平均100時間残業などざらだった。それをこなしてもその頃の同じ大卒平均の給料にも満たなかったように思う。
 今はそこそこ生協職員の地位もあがってきつつあるのかもしれないけど、繁忙、低賃金の図式がそれほど改善されたとは思えない。そんな忙しない日々の中で、組合員のほとんどどうでもいいような要求を前にして、この余裕しゃくしゃくな名回答を短時間に作りあげるのはほとんど才能といっていいと思う。絶対生協担当者はひがな一日机の前でひとことカードの回答作りだけをしているなんてわけにはいられないのだから。
 さらにいえば、大学生協の職員というのは私が在籍した時代には、学生時代からの生協の学生委員あがりが主であり、彼らの多くは共産党の党員だった。安月給で長時間労働はあくまで運動だからこそこなせるとばかりに、周りは党員とシンパばかりだったように記憶している。なにも党員だから非難するつもりもないし、レッテル張りするわけでもない。共産党系の友人もそこそこはいるし、党派を超えて尊敬できる人だって何人もいる。
 白石氏がそうした部分に属するのかどうかはわからない。でも時代とともに彼のような才気溢れる人材が生協職員の中にも育ってきているということがなんとなくOBの一人としては嬉しく思う。たぶんに白石氏は突然変異的、あるいはおよそ場違いな存在なのかもしれないけども。