国立身体障害者リハビリセンター

 妻の病気以来、社会への関心が急激に薄れつつあるな〜。いろいろぶつぶつ言いたいことがないわけではないんだけども。そういやDVDも全然見てないし、本とかも脳梗塞関連のもの以外はまったく読んでいない。余裕のなさっていうことなんだろな。
 今日は朝から何度も妻からの電話があって「早くきて」の連発だったけど、結局いろいろばたばたもあって病院に行ったのは3時近く。いつものように妻のリクエストで彼女を車椅子に乗せて施設内を散歩する。基本的には3階の病棟から1階に下りて理学療法室の横を通り売店、食堂までを行ったきたり。その後、外に出て陸上競技場の方まで足を延ばした。陽が西に傾きかけて木々の長い影ができていたけど、それほど寒くもなく穏やかな午後って感じだったかな。
 しかしこの施設、ハコ物としてはほんとうに充実しているな。だだっ広い敷地内には、様々な訓練施設、病院、運動場、研究所、関係職員養成の学院などが群居している。運動場にしても明らかに一周400メートルあるフルの陸上競技場があるし、トラックの中にはサッカー場も敷設されている。野球場やテニスコートもある。アーチェリー場もある。とにかく広い、充実しているの一語につきるな。それこそこの施設の中でパラリンピックが開けちゃうんじゃないかと思うくらいだ。
 アーチェリー場の中を車椅子押している時、妻が「昔、那須の牧場みたいなとこへ行った時、アーチェリーやったの覚えている」と聞いてきた。実はそんな記憶が全然残っていないのだが、「そんなことあったっけ」と適当に応える。
「またアーチェリーやってみたいな」と妻がつぶやく。
「やれるようになるといいね」内心、もうそういうのは無理なんだよとも思ってしまう。
那須行った時って、子ども生まれてったっけ」なんとなく話題を変えてしまう。
「わからない、いたとしてもすごく小さい時だったと思う」
「子ども小さかった頃って、けっこうあちこちのそういう牧場とかいったよな。なんかいつもソフトクリーム食ってて、その度に口の周りカールおじさんみたいにしてたような記憶ばっかりだな」
 二人でそんなことで笑いあった。妻がちょっと寒いというので、病院に戻る。これからあとどのくらいこの施設内を妻の乗った車椅子を押してぐるぐる、ぐるぐる歩き回ることになるんだろう。これだけの充実した施設があり、優秀な専門家が揃っている。それでも妻の病状が飛躍的に回復するということはないんだな。この施設での妻のゴールは決まっている。起居動作、身辺の簡単なことを自分で行うようになること。それだけなんだから。それからは半身麻痺のまま車椅子に乗って、長い長い人生の残りを過ごすことになる。
 妻にある種の高次脳機能障害があり、注意力障害、記憶障害、失認障害があるのは、ひょっとしたら彼女にとってある種の救いなのかもしれないとも思う。完全に健常な意識のもとで自分の身体的な状況を把握したら、そしてこれからの人生のことを考えたら、けっこうそれって絶望的なものにならないか。自分自身がそうなったとしたら、単にへこむとかいう簡単な問題じゃないくらいに沈んでしまうようにも思う。彼女の知的機能の低下した部分もある程度は訓練によって回復するかもしれない。良くなるかどうかは現状ではすべて希望的観測の世界だけど、とにかく彼女を絶望の淵に立たせないようにするのは、家族が支えるということでしきゃないんだ。主たる介助者、そう私が支えていかなければならないわけだ。
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