12月8日は

 今日はそういえばジョンの死んだ日なんだな。会社でパートさんとちょっとそんな話になって、死んでからどのくらい立つのかと聞かれ、たぶん20年くらいみたいに応えたのだが、考えてみればもう25年になるんだな。
 あの日、私は新卒で飯田橋にある本屋に勤めていたっけ。新人で文庫、雑誌担当だった私が第一報に接して最初にしたことは、一ヶ月くらい前に出た写真雑誌『写楽』(とっくの昔に廃刊になってしまった)がジョンの特集をしていたことを思い出し、取次の担当者に電話したこと。「とにかく、ありったけ集めてくれる」「いったいどうしたんです、バックナンバーを」「ジョンが死んだんだよ、だからとにかく集めてね」
 仕事を終えて岐路についてから、なんとなくぼんやりとしてトボトボ歩き続けた。気がつけば飯田橋から市谷、四谷、代々木を経て新宿まで歩いていた。だんだんとジョンの死が実感として心の中にうきあがってきた。そしてジョンの死をすぐに商売に結び付けてしまう、ある意味堕落した自分への猛省とかいろんな思いがこみ上げてきた。新宿に着いてからありったけの夕刊紙を買い込み・・・・その後の記憶はない。たぶん安酒飲んだかなんかしたんじゃないか。
 一度だけ行ったニューヨークでも例のダコタ・ホテルやセントラル・パークのストロベリー・フィールズに足を運んだ。ジョンは大きな存在だったんだと思う。そしてもう25年の月日がたったわけだ。40歳にして早世した彼をもうとっくに追い抜いてしまうくらいに長生きしてしまったオヤジの自分がいる。
 そしてもう一つ、12月8日は開戦記念日でもあるわけだ。1941年12月8日、真珠湾奇襲によって太平洋戦争が始まったっていうやつだ。若い人には実感ないんだろうな〜とも思うけど。