転院先探し

 昨日、国際医療センターで渡された妻のレントゲン写真(CT、MRI)と紹介状を持って所沢の国立身体障害者リハビリセンターに朝一でいってきた。会社には午前休と連絡。このリハビリセンターには電話で問い合わせたところ、一度外来を受けて相談してくれとのことだったので朝8時40分からの診療受付に間に合うように家を8時に出る。
 事前に地図等を調べていたが、場所は航空公園と新所沢の間。並木道に囲まれた良いロケーションでお隣は防衛医大の病院。敷地も広くこと環境としてはなかなかのものだった。
 受付をすませて9時過ぎに神経内科の医師と面談した。医師は四十前後の男性。やっぱり事前に調べていたのだが、ここの神経内科は女性医師と男性医師の二人。その男性医師だが、つっけんどんな物言いをする、昔からよくいる医師のタイプではあるとは思った。国際医療センターの医師が総じて若く、態度も患者やその家族に謙ったタイプの方ばかりで、それに慣れつつあったので、最初はちょっとなじめない印象だった。ただし裏表が少ないストレートな人柄とも思った。
 この医師はまず妻のレントゲン写真を見て
「大丈夫かな、脳梗塞は落ち着いているのかな。すごく大きな脳梗塞だ。重症だよこれは。そんなに早く動かしてもいいのかな」
「今の病院の医師は安定しているから早くリハビリ系の病院にしてと」
「まあ脳外の先生はたいていそう言うんだ。早く出したいから」
 とにかく、こんな調子だった。この病院以外にどこかあたっているのかと聞かれたので、川越の病院を口にすると、
「あそこは駄目。あそこはここの後にいくところだ。療養型で長期入院するところだ」ときわめて単刀直入にいう。
「とにかく集中してリハビリをやったほうがいい。ここでもいいけど、もし他探すんでもそういうところがいい」
 結局入院予約をしたが、入院できるのは再来週とのことだった。出来るだけ早期にリハビリといわれているが、そんなに待っても影響はないかと聞くと、一週間や10日の違いは大差ないよと一言だった。
 医師との面談の後、入院関係のパンフレットをもらい会計をすませて一旦外に出たが、せっかくだから少し見学しようともう一度病院内に入った。最初に目に付いたのは医療相談室。ちょっと覗いたところ、女性が何かという感じで出てきたので、妻が入院予定であること、医療費などいろいろわからないことがあると言うと、どうぞという感じで中の面談室に通された。その女性はいわゆるケースワーカーで、介護保険のこと、装具や家屋のバリアフリー改築のことなどいろいろと教えてくれた。医師のつっけんどんな物言いとは正反対の親身になった対応だった。30分ほど面談して、また入院日が決まったら改めて相談にくるとして部屋を出た。
 それからリハビリテーション室を見学した。広くて様々な器具が置いてある。そこで高齢者から若者までが理学療法士と一緒にリハビリを行っていた。その後売店をちょっと覗き駐車場に戻った。木々に囲まれた明るい施設、穏やかな陽光の中で、ここにかけてみるしきゃないなとも思った。とにかく一日も早く妻には、最良の環境でリハビリにはいってもらいたい。そして小さな可能性でしかないけど、彼女がなんとか自分の足で歩くことが出来るくらいにまでなってくれればと願うばかりだ。奇跡に近いことなんだろうが、今はこの病院施設と妻の頑張りに賭けてみるしきゃないわけだ。
 転院はたぶん12月の中旬になるだろう。医師からさじを投げられることがなければ、リハビリ期間は最長で三ヶ月くらい。たぶん3月中旬のことだ。それから再び国際医療センターで頭蓋骨の形成手術。彼女が自宅に戻ってくるのは4月になってということになるだろう。最悪の場合、さらに療養型の病院に転院ということだってあるだろう。いや、脳梗塞の再発や脳出血でもっと悪い状況になることだって・・・・。いや、今はあんまり先のことをいろいろ考えても仕方がないということだ。家のローンのことだってある。医療費は嵩み経済状況としても悪くなっていくことだっていろいろあるだろう。先手先手でいろいろ手は打ちたいとは思う。でも、とりあえず今は妻の回復、リハビリの成功を祈るだけだ。 
 昼過ぎに会社に出た。一度その前に電話を入れて上司と話しをしていて、初めて今日が月末だったことに思い立った。毎月月末には自分の受け持っている部署の二つの係それぞれの会議に出席しなければならない。そんなこともどこかに飛んでいた。 
 夕刻、定時で会社を出てから娘を学童に迎えに行き、その足で国際医療センターへ。この日は月末なのに道路は妙に空いていて7時半前に病院に着いた。レントゲン写真と所沢の医師からの手紙をナースステーションに渡し、転院が決まったが日にちはまだ未定、再来週くらいと説明すると、対応した看護師は「ええ。そんなに先なんですか」。ちょっと嫌な気分だ。