病についてのもろもろ

 昨日は会社で会議もあり病院へは行かなかった。妻の入院から10日目にして病院につめなかったのは2日目。正直かなり心的にも肉体的にもいっぱいいっぱいのところにきている実感がある。とはいえここで自分がたおれたら完璧に我が家は崩壊する。いい加減煙草をやめなくてはとか酒を控えなければとか、いろいろ考えるよ。でも煙草をやめることで抱えるさらなるストレスとかを考えると、また酒でなんとか日々のストレスとかもろもろをやり過ごしていることを考えると、なかなかやめることができない。
 今度の妻のことでもつくづく考えさせられたけど、結局病の問題は確率というよりも蓋然性の問題なんだろう。こと確率的にいえば我が家の場合、脳梗塞で倒れるのは明らかに私でなければおかしい。私は煙草を一日20本くらい喫う。酒もけっこうな量を飲んでいるはずだ。ここのところは大人しいけど、それでもバーボンを週にワンボトルくらいはいっている。毎年の健康診断でも、何かしらひっかかっている。コレステロール値にしろ脂肪肝にしろ要注意と指摘されて何年になるだろう。妻はというとここ4〜5年のところで引っかかったのは唯一貧血症の疑いありだけだ。煙草も10年近く前にやめている。酒はせいぜい夕食時に缶ビール350ミリを一本程度だ。どう考えても確率的にいえば倒れるのは私だ。
 病はもちろん日々の生活に要因があるのだろうとは思う。でもこと発症についていえば、なることもあり、ならないこともあるということ、蓋然性の支配領域なんだろう。結局それはきわめて運命的であり、まさしく神のみぞ知るという範疇に属することなのだろう。
 しかし妻がたおれてつくづく思うことだが、この事実は完璧に想定外、我が想像力を超える事態だ。たいていの男は実はそうなんじゃないかと思うのだが、自分が病に倒れることへの恐怖、想定とかはけっこう抱いているんじゃないだろうか。だからこそ生命保険に入ったりとかもするわけだし、日々煙草をやめようとか(結局やめないけど)、酒は控えようとか(全然控えないけど)、ジムに行って体鍛えようとか(月に1回いくかいかないかで無駄金ドブに捨てているけど)、もろもろ考えているわけだ。四十を過ぎた男たちの日常会話の中に健康ネタって、かなりのウェートを占めていたりする。ようは自分の病についていえば、それは想像力の範疇にあるわけだ。
 共同生活者の妻が病に倒れるということは、実はあんまり考えていない。妻がふだん健康だったりすると、自分が倒れた時に妻はどうするとか、自分の面倒をみてくれるかとか、そんなことだけはしっかり考えているんだろうと思う。でも、自分が齢を重ねていくのに比例して、当たり前といえば当たり前のこなんだが、妻も年齢を同時に加算していくわけだ。さらにいえば外で仕事をしていようが、家事労働だけであろうが、年齢とともに肉体的な疲弊はあり、それなりにストレスも背負い込んでいるんだろう。だから妻が自分より先にたおれることだってあり得る事実なのだ。それを今回の事態でつくづく思い知らされている。
 これから延々と続く妻の闘病と、妻への介護という現実。それをとにかくしっかり受けとめなくてはならない。逃避することは困難だし、たぶん課された義務なんだろうと思う。いろいろへこむこともあるだろうし、性格的に相当なヌケもあるだろう。意図的なあるいは無自覚な手抜きもまたあるだろう。でもとりあえず向き合っていかなければならない現実であることはまちがいないわけだ。
 今現時点での教訓として能書きたれるとすれば、世の中高年男性に言いたい。あなたの妻、奥さん、共同生活者が病にたおれることだってあり得るわけだ。それをあなたの想像力の範囲にきっちり組み込んでいたほうがいい。そうでないと相当のパニックに襲われます。わずか10日間の経験で私が学んだことは実はそれです。