主夫について

 朝日の夕刊一面に連載されているコラム記事「ニッポン人・脈・記」は切り口がいい。ユニークな視点からの人脈と人の紹介がとても面白い。市川房枝から始まる女性運動の連綿たる人脈とか、旧制高校から海軍閥に連なる中曽根康弘とその周辺の人脈とか、けっこう読ませる記事が多く愛読している。
 ここんところは「主婦ってなに?」というテーマなんだが、今日の記事では主婦ならぬ主夫が紹介されていた。主夫暦8年の松田正樹さんは週に1回パン工場にパートに出ることで社会とのつながりを味わっているという。この人が主夫になったのは、92年に長男が誕生した時に奥さんが育児休業をとったので、保育園の送り迎えは自分がやろうと決めたことからだった。子どもの送り迎えのために1時間半の短縮勤務を会社に認めさせたが、さまざまハラスメントを受けて、主夫の道を選んだという。最後に一押ししたのは公務員をしている奥さんの「私がやめたくなったら、あなたに働いてもらう。お互い様」の一言だったという。
 また市民グループ「男も女も育児時間を!連絡会」を主催する田尻研治さんは、育休法がない時代に「育児スト」という方法をとった。保育園に子どもを送ることでよく遅刻する。遅刻が重なると解雇される。労組がこれを時限ストとして会社に通告した。ストが理由の解雇は違法だという奇策だ。これを田尻さんは5年続けたという。
 子どもの送り迎え、これについては私も子どもが1歳児の時からずっと続けている。現在も保育園が運営している学童保育に預けているから継続中なわけだ。うちは妻と私が週に半々、とにかくどちらか行けるほうが行くという形でやってきた。最も3年前に私の会社が移転して通勤が近くなったこと、妻は引き続き都内に通勤しているから、ここんとこは週5日のうちほとんどを私が迎えにいくことになっている。今は朝は登校班で小学校に向かうから学童へのお迎えだけだが、保育園に行っているときはけっこう大変だったな。
 子どもを自転車か車で保育園まで連れていき、それから会社へ行く。私もかなりの頻度で遅刻を重ねた。当時も管理職だったから、会社からは下への示しがつかないとか嫌味はいわれたし、正直昇進、昇給とかにも影響はあったと思う。また妻も私も仕事の調整がつかずに延長保育8時の期限を大幅に遅れることも何度もあった。一番ひどかったのは会議が長引き、8時過ぎに電話をして9時過ぎにお迎えということさえあった。当時は3歳くらいだった子どもが可哀想だったし、それにもまして保育園に対して申しわけなさで平身低頭した記憶がある。送りについていえば、大雪の日に当時住んでいたマンションの機械式駐車場が動かず、かといって会社休むわけにもいかず、雪の中子どもを自転車に乗せて押していったこともあったな。普段なら10分程度の道のりを滑りながら30分かけて保育園まで連れて行った。子どもに「寒くないか」と呼びかけると、年少組くらいだった娘は「大丈夫」と答えた。健気やな〜とつくづく思ったことを今でもはっきり覚えている。
 うちの子を預けている保育園はきわめて良心的な運営をしてくれている。親としては絶大な信頼を寄せているし、この保育園があったからこそ我が家の共働きが成立し得た部分も大きいと思っている。しかも保育方針がしっかりしているし、常に子どもにとってのよりベターな保育を行ってくれている。手前味噌みたいになってしまうが、この保育園にいる子は自分の子を含めて、みんないい子ばかりだと思ってしまう。
 私立とはいえ認可保育園で8時までの延長保育をしていること自体が有難いことなのだが、今でも月に数回8時過ぎのお迎えがある。でも、そういう施設のサポートがなければ、夫婦共正社員をやっていくのは難しいという側面もあるわけだ。育休法があってもまだまだ子育てに優しい企業は少ないし、世の中の現実はまだまだ厳しい。だからこそ大多数の奥さんは専業主婦を強いられているのだろうし、勤めといえばパート労働に従事せざるを得ないのだろうと思う。
 実際、現に私のいる会社でも多くのパート労働者を抱えているが、奥さんたちのなんと勤勉なことか。へたな男性社員なんかより遥かに優秀なパートさんがいる。女性を育児や家事労働に縛り付けるのは大きな損失なんじゃないかなと実感する日々でもある。だからこそ正社員として仕事を持った女性が、結婚=家事労働の呪縛から解き放たれたいために、あえてよくいわれる「負け犬」の道を選んでいるんじゃないかとも思う。
 我が家は基本的に家事労働、育児はすべて分業制をとっている。育児、子どもの送り迎え、料理、洗濯、掃除、どれについても体があいているほうが行う。どちらかに集中しないようにバランスをとる。そんな風にしてここ10年を過ごしている。家事労働=不払い労働は分業、夫婦は外に出て収入を得るべしというのがモットーだ。妻も口では仕事を辞めたいとは言ってはいるが(けっこうハードな仕事をこなしている)、共稼ぎのメリットも重々理解している。
 ただし共稼ぎについての世間の無理解にもけっこうさらされているとは思う。直接口に出していうことはないが、共稼ぎ亭主はたいてい「カミさんも養えない甲斐性なし」という陰口をたたかれているようだし、7時、8時までのダラダラ会議とかを中座すれば、「仕事を蔑ろにしている」などと言われているようだ。妻は妻で「あなたには家庭があるから」とか「責任ある仕事をまかせらられない」みたいな差別を受けている。そう、世の中いわれるほどに男女の協業への理解は浅いんだね。一方で専業主婦層からは共稼ぎ家庭はPTA活動をスポイルしているみたいな批判もあったりもする。
 家事労働=不払い労働は夫婦で分担し、外で労働収入を得る。育児は社会で行う。そのために各自が公的負担をする。そのうえで労働を通じて自己実現を図る、そういった当たり前であるべきことが実は理解されていないのが現状なんだろうな。こういう世の中では少子化はずっと続いていくようにも思うよ。
 なにか主夫の話題からずれてしまったような気もするが、主夫という形態自体がある意味いびつな存在だと思っている部分もあるわけだ。夫婦は労働者でありつつ、それぞれ主夫であり、主婦であるといのが理想なんだと思うのだが、どうだろう。