大井祭り

 昨日の日曜日、わが町大井町のお祭り。5年目になるようだが、とにかく住民すべてが繰り出したんじゃないかと思うくらいの人出で疲れました。最近のこの手の祭り同様、ヨサコイ中心。あんまりオリジナリティがない。おまけに中央広場のメインステージでは、中高年のカラオケサークルの発表会が延々続く。もう、頭がくらくらする。
 毎年もう二度とくるまいと思いつつも、縁日系の露店を子どもが楽しみにしているので、しょうがなくつきあっている。しかしけっこうこの手のしょうもないイベントに行くのは限界だな。
 演歌系カラオケ発表会を目の当たりにして、うちのカミさんは「なんか私が子どもの頃におじいさん、おばあさんが歌っていた演歌ばっかり。この手の演歌って、30年くらいずっと同じなんですけど」とぶつぶつ言う。私はそれに答えて「30年前のジジババがそのまんま長生きして歌ってんじゃねえの」
 と、そのくらい演歌系って進歩してないのよね。歌っているジジババは60代を中心に前後10くらいの幅がありそう。このへんって選挙で最も活発に投票行動する人たちだから、地方行政も存在を無視できないんだろうな、などとも思うわけ。しかし60前後の人々って、ある意味団塊の世代だろう。この人たちの10代、青春時代にはビートルズとかロックンロールとかってものはなかったのかな〜などとも思う。自分なんかのちょっと上の世代であるはずなのに。たぶんビートルズとか、所謂洋楽に縁のない「高校三年生」とかを聞いていた可哀想な青春を過ごした人々の成れの果てなのだろうか。もしくは若い時分に洋楽とかを聞いていても、どこかで演歌的なもの、日本的なものに心情的に回帰してしまった人々なんだろうか、などとあんまり根拠のないことを考えてみた。
 しかし同時代を生きているというのに、このギャップはなんだ。ある意味では、今の若い人々に対して感じる断絶感以上のものを、演歌ピープルに感じてしまう。