永島慎二死去

 6月10日心不全で亡くなっていたことが、今日の新聞に載っていた。
また一人、同時代を生きた人が消えていった。前にも書いたことだけど、こうして日々の徒然を記していくことは、見知った人の死について記していくことが多くなる。それだけ自分が齢を重ねたということなんだろう。葬送譜クロニカルみたいな色彩がだんだんと増してくるということだ。
 『漫画家残酷物語』『フーテン』『柔道一直線』などが代表作だ。ほぼ同時代的に愛読したのは『柔道一直線』あたりか。たぶん小学生の頃だろうな。無骨な絵と感じた。テレビドラマ化されたこの作品が梶山一騎原作のスポ根もので、永島の作品群の中では異作であることなどはずいぶんと後から知った。
 私にとっての永島慎二はやはり『漫画家残酷物語』だ。私小説的なモチーフ、貸本から劇画が興隆をなす過渡期の漫画文化の中で、児童漫画とは何かという青臭いテーマを追求し、模索する若き漫画家たちを主人公にした作品群。60年代の若者風俗を取り入れた画風の中では、当時のジャズ喫茶や深夜喫茶にたむろする若者像が描かれていた。
 一時、彼の画風に手塚治虫との類似性をみたことがある。死亡記事の中に、二年ほど永島が虫プロに在籍し「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」を演出したことが書かれてあり、なるほどとも思った。当時、手塚はすでに大家であり多くの若き漫画家に影響を与える存在だったからだ。しかし70年代前後の手塚治虫は劇画が流行を目の当たりにして、それを積極的に取り入れて少年漫画から青年漫画にスパンを広げようとしていたとかを誰かの批評で読んだことがある。『ザ・クレーター』『きひりと賛歌』『奇子』とかが読んだものではそんな感じかなとも思う。そして思う。永島が手塚に影響されたのではなく、手塚が永島のような若き才能、その画風を取り入れたのではないかと。
 今、私の手元にある彼の作品はアクションコミックから出ていた『若者たち』の1作のみだ。三畳一間の安アパートに集った5人の若者たちの青春物語だ。それぞれ漫画家、詩人、画家、歌手、小説家を夢見る若者たちの貧しく、悲惨で暗く、それでいてかすかな将来への薄明かりのような希望。ペーソス、ほろ苦さにつつまれた連作ものだ。確かこの漫画はNHKでドラマ化されていたような気がする。今でいう銀河小説の走りだったように思うのだが、どうだろうか。そのドラマをけっこう楽しんで観たような記憶がある。原作に忠実なドラマだったような。夢多き青春群像の挫折がテーマなのだが、どこか仄かな明るさがあるのは、彼らが圧倒的に若く、どんな躓いても、どこか未来、可能性があるからなんだろうと、今の私は率直に思う。
 この『若者たち』の中に「かかしがきいたかえるの話」という童話風の作品がある。井戸の中で育ったかえるが月に魅せられて、月を手に入れるために旅をする話だ。旅の途中かえるは行き倒れ寸前のところをかかしに助けられる。かえるはかかしにその生い立ちを語る。かかしはかえるに、彼が月を手に入れる権利を得たこと(月へ行くバスに乗るチケットを手に入れたこと)を話す。かかしはかえるが去っていった後に自分が何のために生まれきたのかを感得して死ぬ。それなりの寓意がこめられた小品だが、けっこう気に入っている。
 永島慎二67歳、合掌。