土曜参観

 昨日は、娘の授業参観にいってきた。たぶん一学期に2回ある通常の授業参観がウィーク・デイにあるので、父親にも参観できるようにということで始まったのだろう。でも、そのおかげで月曜日が振替休日になるんでは、うちのような共稼ぎ家庭ではなんの意味もない。学童に朝から預けることになるわけだけど、よぶんに金だってかかるんだしさ〜とちょっと愚痴っぽいな。
 授業は学級活動と国語の2時限を参観した。学級活動では”不審な人と遭遇したらどうする”という内容だった。担任の他にもう一人補助の教師がつき、その教師が道を聞く人に扮して生徒がどういうアクションをするか、またそれを担任が解説しながら適切な対応を指導するというものだった。ほとんどコントみたいな内容だったが、知らない人から話しかけられたら、後ずさりしながら、相手からつかまらない距離を保つこと。知っていようが知っていまいが、とにかく質問には「知りません、わかりません」と答えること。車で横に並ばれたら、車に引き込まれないように距離を保ち、車の進行方向とは逆の方向に逃げること、などなどだった。
 要は知らない人は、すべて疑ってかかること。知らない大人はすべからく不審者であると教えているようなものだ。確かにあちこちで小中学生の拉致、誘拐、監禁といった深刻な事件がおきている。家でも子どもには同じようなことを口をすっぱくして言い聞かせている。だから学校でもこうした指導をしてくれているのは有難いことではあるのだ。しかし、他人をすべからく疑えと教えることが教育なのである。悲しい現実だと思う。それほど世の中は腐ったものになりつつあるわけだ。今の子ども達はそんなハードな社会に生きているんだということ。
 他人への思いやり、それが人間関係の原点であり、ひいては社会生活の営んでいくうえでの基本であるはずなのに。とにかく他人を疑うこと、他人が困っていても見てみぬふりをすること、それが自己を守るために、生存していくために必要だと教えなければならない社会。そうやって教え込まれた子どもたちが大人になっても、人間不信の社会を再生産していくだけのことだ。
 いつ頃からこんなおかしな世の中になってしまったんだろう。政治が悪いのか、あるいは情報が氾濫することがいけないのか。倫理観の喪失、あるいはもっと単純に他人を傷つけない、他人に迷惑をかけない、人を信じること、他人に思いやりをもつこと、そういったモラリティが喪失してしまったということなんだろう。そういう社会にどこかで、軌道修正していくことは可能なんだろうか。なにかとてつもなく憂鬱になってしまう。