やわらかい時代閉塞状況

 石川啄木が明治末期、大逆事件以後の時代状況をそう分析した。その時代は政府体制側からの政治的抑圧は先鋭化された暴力的形式をとっていた。それに対して現代のこの国には暴力的な政治的抑圧はない。しかし長引く不況や政治や社会変革への絶望感、あるいは無関心が徹底して蔓延化されている。
 日本の憲法がうたっている平和主義は、国際的な要請や反テロリズムという名のアメリカの国策的な要請、あるいは冷戦終了後唯一残された仮想的国北朝鮮という国の存在などから、形骸化だけでなく文言としても抹消化されようとしている。
 今、国家権力は物理的な、暴力的な抑圧などしなくても民衆=国民をコントロールすることが可能になりつつある。彼らのささやかな欲望を満たすような装置をいくつか設けておけばよいのだ。そうした世の中はある意味やわらかいファシズムが進行しつつあるのではとつい危惧してしまう。
 ヒトラーを生み出したのがワイマールの大衆文化社会だったという歴史的事実をそのまま今の日本社会に適用するのは無理があるかもしれない。しかし閉塞感はじょじょに増しつつあるという予感がある。