ユタ・ヒップ

 『ヒッコリー・ハウスのユタ・ヒップ』VOL.1、2の2枚を聞いています。ユタ・ヒップ*1という名前、その演奏、いずれも今度のブルーノートの廉価版シリーズで見るまでまったく知りませんでした。彼女がドイツ人の女流ピアニストでアルフレッド・ライオンに見出されて単身渡米しブルーノートからこの2枚のアルバムとあとズート・シムズと競演した1枚を残してドイツに帰り、以後ジャズシーンから消えてしまったことなどなど、今回初めて知りました。
 彼女のピアノはレニー・トリスターノの影響を受けているとされています。なるほどと思わせる部分もある。渡米後、本場のジャズ・シーンに触れ自身喪失となったこと。特にホレス・シルバーの影響を受けたともいわれている。なるほど、このアルバムを聞いているとトリスターノの影響というよりも、せいいっぱい黒っぽく弾こうとしている努力が伺われる。逆に僕などはトリスターノよりもシルバー、より元締め的なパウエルやテータムのスタイルが垣間見える部分もあると思う。
 彼女はニューヨークでなかなか仕事にありつけず、ようやくヒッコリー・ハウスというステーキ・レストランの専属ピアニストとして定職につく。ジャズとステーキ・ハウスというと??という感じだが、そういう店がけっこうあるんだな。ニューヨークで一度だけ入ったステーキ・レストラン(店名を失念)も生バンドの演奏こそなかったが、なんかそういう雰囲気のある店だった。こじんまりとしたバーがあり、テーブルでの食事あり。もっともガイドや雑誌の評判ほどステーキはうまくなく、とくにソイ・ソースは最悪だったけど。
 この2枚のアルバムはそのヒッコリー・ハウスでのライブ盤だ。なかなか小気味の良い演奏だけど、演奏後の疎らな拍手とか聞いていると、観客が彼女の演奏をどのくらい楽しんでいたのかは、ちょっとばかり疑問だ。ディナーの会話の合間に流れているBGM程度として流していたんじゃないかと想像する。で、一曲終わったら、おざなりに拍手してみたいな感じだな。演奏も客の会話のじゃまにならないような、ある意味でのカクテル・ピアノ、ラウンジ・ピアノみたいな印象でもある。
 ビル・エバンスの時に書いたことだが、彼の日曜日のビレッジ・ヴァンガードでのセッションにしろ、やっぱり観客が身を入れて彼のピアノを聴いているような印象がない。'50年代〜'60年代のモダン・ジャズ黄金期とはいえ、一部のスター(例えばパーカーとか、別の意味でルイ・アームストロングとか)を除いては、それほどの集客力もなく、ジャズはほとんど一部の人々の趣味的な部分でしかなかったんじゃないかと思う。ましてマスメディアがそれほど発達していない時代だったわけだから。ひょっとすると今の日本のJ・ポップス系の特にインディーズと呼ばれる若いバンド群のほうが、よっぽど人気や集客力があり、熱気溢れるライブをやっているんじゃないかと思えてしまう。まあ、現在から眺めると'50〜'60年代のジャズ・シーンっていうのは、ちょっと異なるのではないのかな。
 それでもレコードに記録されたユタ・ヒップの演奏はけっこういけてると思う。特に欧州的というわけでもない、ある意味正統なモダン・ジャズを聞かせてくれている。逆にそういう出自のもつ個性を前面に出さなかったことが、ある意味彼女がジャズ・シーンで成功できなかった理由でもあるのかもしれない。個人的には、ビル・エバンスの『エブリバディ・ディグス』に通じるものを感じる。トリスターノ影響下にあるピアニストがより黒っぽいスタイルの影響を受けて、それを吸収している様子が伺えるのだ。まあ、あてずっぽうだからあまり根拠はない。
 あとしいていえば、この頃は秋吉敏子が渡米してジャズを学んでいた頃でもあるはずだ。彼女もまたパウエルの影響下で黒っぽいジャズをやっていた。ドイツと日本からそれぞれやってきた若い女流ピアニストがほぼ同時代のニューヨークに住み、同じ空気を吸い、ジャズ・シーンの周辺に生きて当時のジャズを吸収していた。なんか映画とかにしたいテーマだね。
 ヨーロッパ出自の女流ミュージシャンが本場アメリカのジャズシーンに残した足跡を50年の歳月を経た現在にあっても知りえること、そして享受できること。これはレコードという録音技術のすばらしい点だといえよう。もしブルノート盤のこの2枚がなければ、誰がユタ・ヒップという女流ピアニストがいたこと、そして彼女わずかな期間であれ、ニューヨークで素晴らしい演奏を行ったことを知りえよう、というものだ。
ヒッコリー・ハウスのユタ・ヒップ Vol.1   ヒッコリー・ハウスのユタ・ヒップ Vol.2

*1:JUTTA HIPPと書きます