合併問題ネタ再開

 ハハッ、ネタ終了を宣言しておいてわずか数日で再開。まあ状況変化があったもんだから。リコール署名が成立要件を満たしているとのコメントもいただきましたが、本日駅頭でのビラでも確認しました。その内容をつらつらと、
 大井町の自主自立をめざす会発行「町民ニュース」第11号(2005年2月22日発行)によると、
「2月22、午後4時。リコール署名提出
リコール成立要件12489筆に対し、提出署名数12773筆。(284筆、成立要件を越える)」
「提出された署名は、行政実例と判例に基づき、選挙管理委員会で審査されます。
 この行政実例と判例、全国共通のものです。
 大井町の自主自立をめざす会は、皆様からいただいた書名を確実に生かすために、集められた全ての署名について、複数回、行政実例と判例及び、選管からの事前注意に基づき、厳密なチェックを行っています。その上で、284筆の上乗せ署名があることを確認しており、この284という数字に関しては、揺るがぬ自信と責任を持っております。したがって、大量の無効署名がでる可能性は殆ど無いと考えております。」
 とのことです。こりゃほんとにリコールはあるな〜と思いました。そうなると合併は少なくとも粛々とは進まないのでは。もちろん大井町上福岡市の両議会ですでに合併を議決しており、さらには県に対しても申請しているわけなので(とにかく既成事実をどんどんと積み上げている)、合併自体はスキームとして進んでいくとは思う。しかしここで対等合併の一方の側の首長がリコールとなると、スキームがスキームでなくなる可能性もでてくるはず。さらにいえば合併のもう一方の側の上福岡市は現在市長選が真っ最中なんだが、これにも当然影響があると思う。まかり間違って上福岡でも合併反対派の候補が当選てなことになると、合併を決めた両方の首長が失職するみたいなことになるわけで、そうなるとほとんど合併の当事者能力は無くなるんではないかと。それでも合併を議決した両方の議員さんたちはごり押し進めるのかどうか、県議会も合併申請した自治体の首長二人の首がとんでいるのに申請された事実だけで合併承認を行うのだろうか、と考えるわけなんだが。
 さらにビラを引用します。
「12773人の町民が、町長リコールに署名した。島田町長は、この事実をどう受け止めるのか、
『合併問題に対する町長や合併推進派の議員のやり方は、やっぱり間違っている』
これが、住民が下した今回の結果です。
 町長と合併推進派の14人の議員さんたちに言いたい。あなたたちは大井町上福岡市との1市1町の合併を公約して、当選したわけではありません。そのことを、忘れてはいけません。
 町長とその他の議員さんたち、あなた達は、合併問題を争点にして、今一度住民の信を問うべきです。
 それをやってはじめて住民の信頼を得たといえるのです。」
 この一文には激しき同感する。まさにそのとおりなわけだ。別に合併特例債の期限に間に合わなくても、本当に合併が必要であるとするならば、住民に対して合併の必要性をしつこいくらいに説き、住民の合意形成を図ったうえで、住民投票なり選挙での信任を問うてすすめるべきだったわけだ。それをとにかく3月31日の特例債の期限に向けて強引にものごとを進めているから様々な問題が発生しているわけだ。
 だいたいのところ大井町にしろ、上福岡市にしろ、ここはどういうところなんだ。少なくとも首都圏30キロ圏内、人口はそれぞれ5万弱、そういうところなんだ。地方を蔑視しているわけではさらさらないが、現実に存在するものとして、例えば地方の村落で首長や議員はたいてい有力者や顔役、彼らが密室でたいていのことを意志決定する。住民は意義を唱えたくても地縁、血縁にがんじがらめにされていてとてもそういことを言う雰囲気にない、そういう前近代的な地方の風景、そういう風土とはおよそ無縁の都市近郊の市町村なわけだ。
 住民はメディアを通じて様々な情報を摂取できるし、地域に対する思い入れなどないとしても、少なくともこの国の民主主義に根付いた権利意識はきっちり刷り込まれてきている。そういうところで、最近では地方でも普通やらないだろう手続き省略型の政治は普通ありえないのだ。
 民主主義は多分手続き民主主義と言い換えてもよさそうなくらいだと思う。効率、合理性の面でのマイナスはあるかもしれない、でも手順を踏んでものごとを進めなくてはいけないのだと思う。迅速に意志決定して行動する。利潤追求を第一義とする企業にあってはそれは必要なことだろう。時間をかけてはビジネスチャンスが失われる場合が多々あるから。でも、政治行政にあってはやはり時間をかけて構成員の合意形成を経たうえで遂行されなければならないのだろうと思う。歯がゆい部分はたくさんある。でも、それが民主主義なわけだし、万人の利益を考えるとそういうことになるんではないのかな。
 もし優秀なエリートたちが合理的かつ最善の政策を構成員の合意を経ずに進められる社会、体制があるとする。その社会は理想的な形で推移していくだろうかね。いやそんなことはないと思う。なぜか、優秀なエリートとはいえ、しょせん人間だから。瑕疵、過ちの類はあるだろうし、人間である以上欲望とかそういった側面も発生する。とね、だんだんと恣意性がでてくるのよ。
 かの国、キム・ジョンイルさんがいる国はどうか。あそこは早いよ意思決定が。それこそ首領さまが合併といえば、地方都市の合併なんかあっという間に実現するわけだ。百歩譲って、合併が最善の策だとしても、それでいいのかということなわけだ。構成員の合意(この場合は住民ということになるけど)なしに政策はすすめてはならない、それが民主主義だと思う。成員の合意形成を図ったうえで進める、そのために結果として最大の利益を得る機会を失ったとしてもだ。
 話は大幅に脱線、脱線。今回のビラには、リコールのスキームが「今後の流れ」として載っていましたので再び引用します。
「●2月22日リコール署名提出
 ●同日から20日間以内で署名の審査終了(3月14日終了予定)
 ●3月15日から21日まで7日間、署名の縦覧
 ●3月22日 リコール本請求
 ●同日から60日以内に解職投票の実施
  (予想される実施日5月15日より早い日曜日)
 ●町長解職の場合、解職投票に地から50日以内に、町長選挙
  (予想される投票に地6月24日より早い日曜日)       」
 なお、上記にあるようにリコール署名提出後に初めてリコール請求があり、それから解職投票を経て町長失職となることや、通常解職投票まえに首長は辞職して再選挙を行うことなどの解説もこのビラには載っている。そういう意味では今回のビラは住民への告知、情宣としてはきわめて秀逸だと思う。
 たぶんリコールが成立すると過程した場合、島田町長は辞職して選挙にうって出る公算が高いと思う。その時にね実は彼が当選する可能性もあるのではないかと考えています。
 それは日本人のバランス感覚みたいな部分だな。国政選挙でも参院選では野党を躍進させてもそのあとの総選挙では与党に投票するみたいな、よくありがちな投票行動。ようは「ちょっとお灸をすえてやったから、次の選挙ではまた入れてやろう」みたいな感覚。ぜんぜん民主主義的でもないし、近代以降の合理的精神としてはまったくおかしな価値判断だけど、こういうある種の温情主義やバランス感覚が日本人にはあるんだよ。これまで幾多の国政選挙でも実証されている。たぶん計量政治分析の世界ではきちっと検証されているんではないかとは思うけど、こういう意識が今後予想される町長選でも働く可能性があるわけよ。
 ただし現状での町長の状況はというと、やはり同じビラからだが、上福岡の市長選での現職の出陣式での出来事がリポートされている。
「なんと島田町長の挨拶はなし
 ・・・、ところが、川越市長、富士見市長、大滝村村長と挨拶が続きましたが、ついに最後まで、島田町長の挨拶の順番は回ってきませんでした。島田町長は、名前の紹介だけで終わり、その挨拶は省かれたのです
 合併を最大の政治公約でやってきた武藤市長が、当の合併相手の島田町長の挨拶を省く、これが何を意味するのか。
 答えは簡単です。前日の19日にリコールがほぼ確実となった島田町長の挨拶は、一つも激励の効果を生まないのです。かえって足を引っ張る存在として、武藤市長に黙殺されたのです。」
 「このことは、既に町長が政治的に「死に体」であることを如実に表しています。」
 ここんとここのブログでも書いているし、あちこちの掲示板でも書いてきたけど、やはり人口5万弱の自治体で10000を超えるリコールをつきつけられた首長は政治的に死に体だと私も大いに同感している。首長にしろ議員にしろ、すべて構成員の投票行動によってその地位が成り立っているわけなんだから、構成員からノーをつきつけられては存在意義が失われるということ。
 しかし、今回はビラからずいぶんと引用しちゃっているんだけど、当然無断引用なわけ。でも同義的にどうかな〜とは思うが、私もリコールに署名している一人だし、基本的に大井町の自主自立をめざす会の運動には賛意を表明しているわけなので許されると思います。
 しかし、会がHPを立ち上げてくれていえば、リンク貼ればことたりちゃうんで、そろそろそういうことも考えてくれればいいのにとも思う。インターネットがこれがだけ盛んになっているのに、合併反対、合併賛成いずれの側もITをぜんぜん利用してない状況はほんとなんとかならんのかねとも思う。
 われわれはある意味、現代において必要、不必要に関わらず情報をたくさん摂取、消化して生きているんだと思う。TV等のマスメディアは果てしなく情報を垂れ流している。でもそれは受身での摂取なわけで、人が能動的に情報を取ってくるツールとしては今はまさしくITなんじゃないかと思う(昔は本だの図書館だの、まあそのへんのアナログツールが基本だったわけだけど)。だもんで、これからの世の中では、ITをいかに有効活用し、自らに有利な情報、コンテンツを提示して、人々に提供するかが勝利の鍵になるような気がしてならない。と、こんなことを考えてふと思うのだが、ライブドアの堀江氏はそのへんにかなり早くから気づいて、うまくIT技術を利用しているな〜と再認識。
 実際、今のニッポン放送をめぐるフジとの買収合戦で、巨大なマスメディア産業=フジテレビに立ち向かって現在のところ互角に勝負しているライブドアの姿を見ていると、しかも市場、世論が必ずしもフジテレビ有利と見ていない状況を見ると、ITを有効活用しているライブドアの戦略がうまくはまっているなと改めて思うわけだ。