『シェルブールの雨傘」

 久しぶりに夜更かしをしてTVの深夜映画を観る。ジャック・ドミー監督作品*1の『シェルブールの雨傘』。もう何十年ぶりの再見だろう。多分最後に観たのが二十代だから二十年以上前のことなんだね。
 TVの深夜映画を観て物思いにふけるというのも、なんだか'70年代の頃みたいで不思議な気分だ。あの頃は名画座巡りと同じくらいTVの深夜映画で名作のシャワーを浴びたことか。それこそ『市民ケーン』だって最初はTVだったのだし。
 こうして何十年ぶりかで以前感動した作品を観るのはある種の勇気がいることでもある。いがいとがっかりするというか、ついていけない場合もあるのだ。映画の自体の価値がどうのこうのではなく(もちろんそういう場合もありえるが)、こっちの感性が衰退しちまっていて受容できない場合もあるのだ。なんどそういうことでがっかりしたり、げんなりしたり、途中で止めてしまったりしたことがあるか(たいていビデオやDVDだ)。だから怖くて観れないものがけっこうあったりするわけだ。『明日に向かって撃て』とか『俺たちに明日はない』といった'70年代ニューシネマ系がいけない。もしがっかりしたらみたいな気持ちがあるから。『思い出の夏」や『アメリカン・グラフティ』なんかも、もしがっかりしたら、なんか自分の出自がガラガラと崩れそうでつらい。
 それと芸術的名作、力作系もけっこうつらいな。ブニュエルだのポランスキー、ベルトリッチ、フェリーニとか。さらにいえばヴィスコンティベルイマンタルコフスキーとかはもう多分ギブアップだと思う、残念だけど。だもんで、最近の娯楽大作とか昔のハリウッドのたのしい映画に逃げている部分もあるのよね。
 それと最近は新しいものめったに観ないもんな。大昔、淀川長治先生が「新しい映画を月に三本は観なくては駄目ですよ」とか「どんな名作よりも新しいものの方がすばらしいんですよ」みたいなことをおっしゃっていたけど、その教えにちっとも従っていないな。ある意味心的には映画の師匠だったんだけど。
 話がそれた、『シェルブールの雨傘』だ。良かった。以前とかわらぬ感動。カトリーヌ・ドヌーブは永遠に美しく、画像は褪せることなくこれまた美しい。全編セリフはすべて唄というミュージカルというよりも超ミュージカルのある意味実験的映画だが、これもまた違和感なく味わえた。ストーリィは俗っぽい悲恋ものだから、ミュージカルでなければ凡俗なメロドラマだとかいう訳知り顔な批評が聞こえてきそうだけど、これはそういうんじゃないんだと思う。なんていうんだろう、セリフと唄と踊りというハリウッド製ミュージカルとは異質なセリフをすべて唄にしてしまうという実験性、それを力技で観させてしまう演出力、それがすべての映画なんじゃないかと思う。たぶんこの映画を好きになる人はたいてい、全編セリフが唄というのは最初すごく違和感があったけど、観ているうちにそれが自然になってきたとか、かえってそれが魅力と感じられたとかいうんじゃないかと思う。僕自身この映画を最初に観た時の感想そのままだけど、そういう部分あるでしょう。
 でも、今回改めて観て思ったよ。この映画が成立しているのは、ジャック・ドミーの演出と全曲書いたミシェル・ルグランの才能、そして、そしてたぶんこれが実はすべてかもしれないカトリーヌ・ドヌーブの美しさなんだ。
 ジャック・ドミー*2は、ヌーベル・バーグのメインストリーム(そんなものがあるのかどうかわからないけど)のトリフォーやゴダールや商業的には成功したけど亜流のルルーシュに比べるとちょっと地味目な人ではあるけど、ものすごい才能の持ち主だったんだと思う。実際、これほど実験的でありながら、これほど商業的な成功を収めた映画があるんだろうかと思う。セリフが唄なだけに、当然長ゼリフになり、ある種一曲ワンカットみたいな長回しのカットが多くなるのに、そのすべてが美しくまた計算されつくしている。
 彼がこの後に撮った『ロシュフォールの恋人』について、カイエ・ド・シネマの同人たちが、この映画を支持する理由としてジャック・ドミーは映像作家であるからと言ったという話を聞いたことがある。同感。才能ある映像作家にのみ作りえる作品なんだと今回実感した。さらにいえばストーリィの俗っぽさは、ある意味ではこの作品が悲恋映画、メロドラマの引用によって成立している映画なんだともいえるんじゃないかな。それって、とってもヌーベル・バーグ的じゃないか。
 ミシェル・ルグランは、どちらかといえばジャズのほうから知った部分も多いんだけど、美しい歌曲を作っている人だね。時代的にいえばフランシス・レイとこの人みたいなくくりもできるけど、レイはメロディ・メーカー。ルグランは総合的なコンポーザーみたいな感じかな。ルグランにはフランシス・レイの例の「ダバダバダ」や『流れ者のテーマ』みたいな曲は書けない、あるいは書けるけど書かない。そんな気がする。そういえばあの『思い出の夏』のテーマも彼の作品だ。
 でも、この映画の製作時、ドミーにしろルグランにしろ、たぶん二十代だったんじゃないかと思う。なんかこの映画の現場はおそろしく才気あふれる作家たちの共同作業だったんだろうと想像する。その現場に居合わせることができたらどんなに素晴らしいだろう。
 で、カトリーヌ・ドヌーブである。今回改めてその美しさに感動した。ほんと隙のない美しさだ。「映画は女優の美しさをそのままに映すことができたならば、すでに名画であることを保証されている」と、今思いついた言葉だけど。フランスの女優の中では『男と女』のアヌーク・エーメと双璧ってところかな。
 個人的な趣味でいうとカトリーヌ・ドヌーブって、ずっと今一つだったような気がする。いまだに僕の中でのナンバーワンはオードリ・ヘップバーンだし。好きな女優はジェーン・フォンダジュリー・アンドリュースジェニファー・オニールナタリー・ウッド、比較的最近ではメグ・ライアンぐらいかな。女優の出演でおっかけた映画って。で、好きとか嫌いとかは別にして、一番美しいのは若い時のエリザベス・テーラー。まあ、そんな感じだったんだけど今回改めてカトリーヌ・ドヌーブの美しさって、リズに肩並べるんじゃないかと思った。若い時のこの人の主演作っていうと『雨傘』『幸せはパリで』、『昼顔』『哀しみのトリスターナ』『モンパリ』とかそのくらいかな、ちゃんと観ているのは。でも、あんまり好きじゃなかった。綺麗は綺麗だけど、なんかこう琴線に触れるものがなかった。この人の女優としての美しさとか演技とかを改めて知ったのはトリフォーの『終電車』を観たときからかな。でもその時も思ったのは、さすがトリフォー、女優の美しさを引き出すすべを知っているって思ったことくらい*3
 で、今回「シェルブールの雨傘』を観て、彼女の美しさを再認識しました。ほんと綺麗です。たぶん二十代前半なんだろうな。清純の美とでもいうんだろうか、この人は年くっても綺麗だけど、そういうのとは別にたぶん若い時でないとないようなオーラがある。このへんもリズと一緒だな。まあそういう感慨をもつのも僕がジジィになった証でもあるわけなんだろう。
 まあ、そんなこんな様々な思いが脈絡なくでてきた、それはそれはすばらしい作品でしたよ、『シェルブールの雨傘
シェルブールの雨傘 [DVD]

*1:最近はドゥミと表記するみたいだね

*2:もう故人なんだね

*3:そういえば、ジュリー・クリスティもトリフォーの『華氏451』が一番美しい