日本画の歴史 近代篇

 明治以降の日本画の流れを知るために購入。ざっと通読した後は、興味を惹く箇所や画家についての部分を再読している。近代日本画史にあたりをつけるような概説書、入門書が少ない中では割とポピュラーな一冊だと思っている。続編の『現代篇』はまだ読書中だが、こちらと合わせて手元に置いておきたい本でもある。

 とはいえ所詮は新書サイズの入門書である。近代日本画のすべてを俯瞰できるかというと、新書という器の問題もあり諸々限界がある。さらにいえば、その新書というパッケージの中に情報を詰め込み過ぎた恨みもあるように思う。著者の思いというのか、あれも入れたい、この画家についても触れたいという思いがあり、それが逆に中途半端で判りにくいものになっているような気がする。

 著者は長く山種美術館などで学芸員を40年以上続けてきた方で、現在は平塚市美術館の館長をされている。いわば学芸員の草分けのような存在だ。本書はもともと一般市民を対象にし平塚市美術館で行った館長講座をもとに、これに「明治・大正の南画」「幕末・明治の浮世絵」「忘れられた明治の日本画家たち」を加えたものだ。

 市民講座であれば口頭で補足説明ができる部分もあるのだが、文章だけだと今一つ説明不足というか舌足らずな部分が正直目立つ。例えば第一章の「明治・大正の南画」の冒頭の記述では、南画を説明するために中国の南宗画や北宗画について触れている。

北宗画とは唐の李思訓(653~718)・昭道(八世紀後半に活躍)父子に始まるとされ、郭熙(北宋)、李唐(北宋後期~何宋初期)や馬遠(南宋中期)などの職業画家たちの系譜です。山水画が中心でしたが、高度な技巧と形而力が要求され、斧劈皴などの堅い皴法、あるいは描く対象の輪郭を線描で括る鉤勒描法などを用い、彩色を施すものが多かったのです。  (P3)

 唐突に中国の画家名が出てくるのはいいとして、例えば「形而力」ってなんだ。形而上学や形而下といった哲学用語はなんとなくわかるが「形而力」とは初めて聞く言葉だ。「形而」=「形の」という意味あいなので「形の力」、形を描く技量みたいな意味合いなのかと思う。

 さらに「皴法」といきなり出てくるが、これは山水などの襞(ひだ)を描く画法のことである。その後に出てくる「鉤勒描法」のみ「線描で括る描法」という説明があるが、記述だけではまったくわからない。

 多分に著者は、伝えたい情報が多いため、その叙述については判りやすさよりもあれも入れたい、これも入れたいという気持ちが先走ってしまったのではないかと思う。これは著者の文章力とともに編集者の力が問われることだったのかもしれない。編集作業の上で「先生、この『皴法』ってどういうことですか」、「『形而力』はべつに言い換えられませんか」といったやりとりあっても良かったのではないかと、そんな気がする。

 さらにいえばこの本は新書サイズで224頁という小冊子的な薄いものだが、内容的にはその倍近い情報が盛り込まれているような気がする。何が言いたいというと、巻末に年表はついているが、この本には画家の人名索引や簡単な解説、語句の注釈が最低限必要だったのではないかと思う。それによって頁数が大量に増えたとしても、美術史を学びたい入門者には絶対に必要だったのではないかと、そんな気がする。

 人名解説や語句の注釈は著者がきちんと行うべきだし、人名索引は編集者の仕事だ。タイトはスケジュールの中で端折ったのかもしれないが、新書で入門概説書として出すうえではけっして軽んじてはいけないと思う。美術館に足を運び、日本画の魅力を感じ始めた初心者が、もっと日本画について知りたい、学びたいと思い本書を手にする、そういう読者が多いのではないかと思う。それを思うと、もう少し丁寧な解説や編集が必要だったのではないかと。

 何か批判めいたことばかり書いているが、近代日本画を俯瞰する本書の意義は大きいと思う。冒頭の南画についても、断髪の女流画家奥原晴湖のことなど、今ではほとんど忘れられた画家にスポットライトをあてていることも重要だ。奥原晴湖は晩年熊谷に隠棲したということで、ある意味埼玉県にとってはご当地の画家ということで埼玉県立近代美術館でこの人の作品は観たことがあったが、近代日本画史にとっても重要な画家の一人だったということなど再認識させられた。

 また本書では序の部分が、近代日本画史の簡単なダイジェストになっていて、この数頁を読むだけでも一定のあたりをつけることが出来重要だと思う。「日本画」とは明治になって国家意識が形成されるなかで生まれた言葉であり、それはお雇い外国人フェノロサによって「Japanese painting」の邦訳語として使われたものだという。そして「日本画」が成立することで「洋画」という概念も成立したのだという。

 そして明治期から出発した近代日本画とは、西洋絵画の描法を取り入れた立体空間を表現する写実化の試みだったという。

日本画の近代化とは西洋化、大雑把にいうと写実化だったのです。紙や絹という二次元の平面空間に三次元の立体空間を取り込もうともがき苦しむ道のりだったのです。

序2頁

 

何度もいうように、西洋化=写実というのは日本画家にとって重大な課題でした。彼らは二次元的な絵画空間に三次元的空間を入れ込もうと苦心惨憺しました。日本画近代化とは、結局この写実という一語に尽きるのではないかと思うくらいです。

序6頁

 そして近代化=写実化の苦闘の果てに、新たな地平として新しい表現、写実を離れた心理表現、抽象表現、西洋画がたどったキュビスム表現主義、抽象主義、シュールリアリズムなどの日本画的実践が始まることになるのかもしれない。

上原美術館 (11月20日)

 吊り橋巡りの後に向かったのは下田の上原美術館

 ここも7月に訪れているが、思いの外すてきな美術館だったのでまた来たいとは思っていた。ただし今回はパスしようかと思っていた。やっぱり伊東から下田はちょっと遠いし、最終日に伊豆の最南端まで行くのは帰りのことを考えるとキツイなというのが理由。でも池田20世紀美術館でこのポスターを見て俄然行きたくなった。

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 鏑木清方か、しかも新規に購入した画帖の公開である。期間は1月までだけど多分この機会を逃したら多分この企画展は観ることができない。「え~い、ままよ」ということで足を伸ばすことにした。まあ車だと城ケ崎から下田までは40分くらいではあるのだけど。上原美術館のHPだと、最寄り駅は伊豆急の下田ということになる。その手前の稲梓や蓮台寺の方が距離的には近いらしいのだが、そこからまたバスかタクシーということになる。しかし電車で東京からだと下田まで新幹線、伊豆急利用で5610円。下田からタクシーで約3500円くらいかかるらしいので、まあ車がないと基本行くのは難しいところでもある。 

 実際、車で来てみると、なんていうのか「ぽつんと美術館」という感じである。

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上原美術館 伊豆下田の近代絵画・仏像美術館

 前回も谷崎純一郎に触発された陰翳礼賛というテーマのユニークな企画展を行っていたが、今回はポスターにあるとおりに鏑木清方の画帖「築地川の世界」を中心とした企画展に一室をあてていた。まあこじんまりとした企画展なので特に図録等はないのだが、手製ホッチキス止め24頁の小冊子的な図録が無料配布されていて、これが本当によく出来ていて有難かった。こんな感じである。

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 『築地川』は全部展示されていなくて半分ずつで前期展示、後期展示となっている。これがちょっと残念かなとも思った。関東からだと両方行くのは至難な部分もある。まあ伊豆に別荘でもあるようなお金持ちだったら頻繁に来れるのだろうけれど。

 前回も触れたがこの美術館がこの地に出来たのは、永平寺から仏像130体を引き取って欲しいという依頼を受けた大正製薬上原正吉、小枝夫妻が、まず仏像を安置するお堂を建立したところから始まる。さらにその仏像を一般公開する施設を作るということで、小枝夫人の生家があった下田の地に美術館が創設されたということらしい。そして跡を継いだ息子の上原昭二氏が蒐集していた近代絵画を中心としたコレクションが寄付され、近代館が作られたという。

 もともと仏像安置施設等については小枝夫人が積極的だったこともあり、下田という土地になったのだろうけど、正吉氏自身は埼玉県児玉郡出身の人である。埼玉に美術館作ってくれていればな~とは、埼玉県民の適当な思いであるけれど、これはまた別の話だ。

 話を鏑木清方に戻そう。「築地川」は画帖である。これは鏑木清方が主唱した手元で鑑賞し楽しむためのもので、清方はこれを「卓上芸術」と名付けていたという。

展覧会などで仰いで見る「会場芸術」(展覧会芸術)や掛け軸などの「床の間芸術」と異なり、手にとって俯いて絵を細かく味わう巻子や画帖、版画などを「卓上芸術」という。大正の一時期、鏑木清方が名付け主唱した。清方の『註文帳』や『にごりえ』がその典型的な例として挙げられる。

卓上芸術 - Wikipedia

 美しい写生画と詞書からなっていのだが、これはまさしくプライベートで楽しむまさに卓上芸術そのものという感じがする。ページをめくるとこんな感じである。

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明石町

[詞書]
外国人の居留地で佃の入江に面し

青草の堤の外は海波ただちに

安房上総の岸につらなる

涼しい海風のわたるところ紅毛

碧眼の子供たちいつも嘻々として

遊び戯れてゐた

 

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亀井橋

[詞書]

亀井橋は今ある位置に変わりは

ないが画中に見える合引橋

新富町の河岸は三吉橋が架

設されて後全く旧観をとゞめぬ

 画帖の他には美術館所蔵の清方作品も多数展示されている。一番気に入ったのはこの作品。

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恵方詣』(鏑木清方

 この企画展の奥の2室は常設展示で、1室にはルノワールシニャックマティスらの比較的小品が展示されている。もう1室には近代日本の洋画、日本画があり、いずれも落ち着いた雰囲気の中で楽しむことができた。

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マチス2作

 

 そして近代館の隣仏教館には常設展示されている仏像130体が壮観である。さらに別室には特別展として「静岡の仏像+伊豆の仏像」展が開催されていた。

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 美術館のすぐ上には達磨大師堂もあり、美術館と寺社巡りでゆうに半日はのんびりと過ごせる場所だ。美術館の環境、展示品、展示構成などはすばらしいものがあり、何度でも足を運びたいとは思っている。これは多分前回もそう思ったのだが、いかんせん下田は遠いので、伊豆旅行に来た折りにということになってしまうかとは思うけど。

町立湯河原美術館 (11月18日)

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湯河原町 | 美術館

 まず最初に行ったのは町立湯河原美術館。ここはもともとは竹内栖鳳が晩年を過ごした旅館天野屋の別館があったところを湯河原町が買い上げて、当初は「湯河原ゆかりの美術館」として開館、2006年に現在の「町立湯河原美術館」に改称した。

 メインは『文藝春秋』の表紙画を長く務めた日本画平松礼二の記念館だが、常設展示には竹内栖鳳作品も多数出品されている。これは旅館天野屋が所蔵していた栖鳳作品を町に寄贈したものらしい。天野屋は晩年を過ごすことになった京都画壇の大御所竹内栖鳳のタニマチというか支援者だったのだろう。わざわざ逗留する栖鳳のためにアトリエ兼居室となる別館を建てたのだという。そのため栖鳳は多数の作品を天野屋のために描いていたいたのだとか。

 この美術館を知ったのは7月にMOA美術館で開かれた「竹内栖鳳展」を観たとき。展示作品に湯河原美術館所蔵品が多いことを知り、この美術館の由来、栖鳳との関係とかも知り俄然興味を覚え、一度は行ってみたいと思った。

 展示作品の多くはMOAで観たものが多く、主要な作品を貸し出したものだったことが改めてわかった。

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『行秋』(竹内栖鳳

 描かれている小鳥はシジュウカラだとか。動物や小鳥を描かせればその匂いや鳴き声まで聞こえてきそうな竹内栖鳳の画力がさりげなくも見事に表出されている。

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『山海珍賞』(竹内栖鳳
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『喜雀』(竹内栖鳳

 

 平松礼二についてはほとんど知らなかったけれど、現在の日本画を代表する人らしい。

平松礼二 - Wikipedia

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『月下梅宴』(平松礼二

 この鳥は雀で、なんでも若冲の描く雀にインスパイアされているのだとか。

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『花富士海図』(平松礼二

 様々な技法にチャレンジし画風を変幻自在な感じなのだが、この手の絵は加山又造を想起させるというか、現代の琳派という感じだ。

 美術館の3階に平松礼二の公開アトリエがあり、画家の使用している岩絵の具や絵皿なども展示してある。日本画は岩絵の具を膠で溶いて使うだけに絵皿が沢山必要だし、そもそも鉱石を細かく砕いて粉にするところから始まったりもする。なかなかに手間のかかる芸術なのだということが改めて実感される。

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 湯河原美術館内にはカフェ(MUSEUM CAFE and garden)が併設されている。ここは豆腐・ゆば専門店「湯河原十二庵」がプロデュースしているところでヘルシーな食事をとることができる。ちょうど昼時だったので豆乳スープのセットなどをいただいた。大変ヘルシーで、こういうのが好きな妻は「美味しい」を連発していた。肉好きの自分には若干物足りない部分もあったが、確かにこういう食事を取っていれば健康的かなと思うところもある。

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 豆乳スープの中に入っている具がちょっと鶏肉ぽい見た目だったのだけど、これは油揚げでした。まあ当たり前か。

東京国立近代美術館(MOMAT)再訪

 丸紅ギャラリーからは徒歩で3~4分と近接しているので、当然のごとく東京国立近代美術館(MOMAT)に行くことにした。まあ途中で毎日新聞地下でがっつりとんかつ定食なんかを食べたんだが。

 MOMATに行くのは今年何回目になるんだろう。試しに記録をみてみると、1/11、3/24、6/3、6/16、7/30、9/22とすでに6回行ってることになるみたい。今回で7回目、多分年内にもう1回くらいは行くかもしれない。多分こんなに行くのはというと、一つは自分にとってベースとなるのがMOMATと上野の西洋美術館だからだ。そして西美のほうは長期休館中のため、必然的にMOMATに行く頻度が増してるとそういうことだと思う。

 MOMATの開催中の特別企画展は「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」。これは早々にパス。やかんや茶碗には興味ないものというのが実感。前回の隈研吾も結局見なかったし、「妖しい絵」の後は企画展の指向が自分とはちょっとあっていないような気がする。

 とはいえ実は、学生時代にゼミで柳宗悦は勉強してた。もともと法学部政治学科専攻なので政治思想のゼミとっていたのだけど、いってた大学がゼミをもう一つ受けることができたので、学部の異なる文化史みたいなところで、柳宗悦の購読なんかを受けた。柳宗悦、民芸みたいなものに当時関心があったのは、おそらく鶴見俊輔の『限界芸術論』あたりを読んでたからではないかと思っている。

 なのでそこそこ柳宗悦バーナード・リーチとか読みました。彼らがスポットをあてた名もなき民芸品はいきなり高額で売買されるみたいな弊害も出たとか、そんな話も聞いたような気がする。もっともそのゼミは1年でやめてしまった。さすがに卒論とかは本来の政治思想の方でけっこういっぱいいっぱいだったこともあったから。

 ということで民芸はパスしていつものようにMOMATコレクションの常設展の方に。最初にいつものように4Fに行くと、なんといつものハイライトがインデックスという名称に変わっている。その理由がキャプションになっているのだが、こういうことのよう。

 いつもは館を代表するような作品を展示している第1室ですが、今期は趣向を変えてみました。目指したのは序論のような部屋。次のふたつのことを意識して作品を選んでいます。

 ひとつは、今季のMOMATコレクション展全体のインデックスとなること。第2室から第12室には、それぞれの部屋のテーマに沿った作品が展示されています。それをいくつか先取りして、この部屋にも関連作品を交ぜました。解説文の最後に関連する部屋の案内を添えたので、興味をそそられたらそこだけ見に行くのもアリです。

 もうひとつはコレクション全体の幅を示すこと。当館のコレクションで最も制作年が古いのは1840年代の写真作品。最も新しいのは2020年作の洋画(寄託作品)と版画です。ここでは1880年代から2019年まで、130年余りの間に生み出された作品が、ガラスケース内の日本画は約25年刻み、紺色の壁にかかった額装作品は15年刻みでならんでいます。最近は現代美術のコレクションも徐々に厚みを増してきました。

 インデクスねえ、ふ~んという感じである。美術館の意図はおいといて、こちらはいつものハイライトを観る感じである。なお現在の展示は10/5から12/5まで。12/7から展示替えを行い2/13までというスケジュールのようだ。

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『桜下勇駒図』(狩野芳崖

 1884年の第二回内国絵画共進会で、フェノロサがこの作品を見て「是あるかな余が万里の遠路をむなしくせず」と喜んだと伝えられる作品。この作品以前から芳崖はフェノロサの指導を受けており、西洋画的な立体感、躍動感が描かれているという。まあこのへんは最近読んだ草薙奈津子の『日本画の歴史近代篇』の受け売りなんだけど、読んですぐに実物にお目にかかることが出来たのはちょっと嬉しいことだ。

 

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『二日月』(川合玉堂) 1907年

 川合玉堂というと日本の原風景を抒情性をこめて描く国民画家みたいな評価が一般的だけど、けっこう技術的な工夫がなされているような気がする。経歴的にももともと京都で円山四条派の流れで写実的な技法を学んだあと、橋本雅邦に師事して狩野派的なスタイルも学んでいるという。さらに西洋画の技法も研究して取り入れていると解説書などにもある。一見してこれは西洋画の風景描写的だなと思ったりもした。そしてどことなく西洋絵画の影響を受けた竹内栖鳳の作品を連想させるような感じがした。

 

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『序の舞』(山川秀峰) 1932年

 『序の舞』というと上村松園を思い浮かべるが、松園作は1936年で秀峰のこの作品はその4年前に制作されている。おそらく松園はこの作品を見ているだろうし、参考にもしているかもしれない。そのうえで理想の女性像を作品化した松園は凄いということになるんだろうけど、この山川秀峰の『序の舞』も張り詰めた緊張感を感じさせる。

 

 この1室には他に片岡球子の『渇仰』があった。前述したようにこの展示は12/5までで、それ以降はここに狩野芳崖の『獅子図』、小林古径『極楽井』、上村松篁『星五位』などに展示替えされるということらしい。

 

 3Fの日本画の間では、菊池契月、冨田溪仙、小林古径、中村大三郎、川端龍子らの名品が揃っていた。まずはこの展示の流れが素晴らしい。

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『麦挋』(菊池契月) 1937年

 美しい菊池契月らしい絵だ。ただし美し過ぎてこんなスタイルの良いモダンな農婦はいないのではないかと、ちょっと突っ込みを入れたくなる。モデルに野良着を着せて描いたのではないかと、そんなことを適当に想像してみたくなる。

 

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『機織り』(小林古径) 1926年

 京都西陣の機屋を訪れたときに着想を得た作品だという。古径の特徴ともいうべき簡潔で美しい線描と合成顔料を用いた糸の鮮やかな色が合わさっている。

 

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『紙漉き』(冨田溪仙) 1928年

 これも有名な絵である。冨田溪仙は狩野派、四条派、洋画などに学び様々なスタイルに学んだとある。この絵ではまず歪んだ水槽とその中の水の表現の鮮やかさが多分ポイントになるんだろうと思う。多視点というか、強調というか、あえてパースを狂わせている。さらに左隻は右隻に比べて遠景の表現になっていて、さらに垣根の花は異様にでかい。ある意味、かなり実験的な構図というか趣向が凝らされているようにも思える。溪仙は様々な流派、スタイルに学んだというが、この絵にはどことなくやまと絵のような雰囲気も感じる。

 

 そしてこの並びである。

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三井寺』(中村大三郎) 1939年)

 謡曲三井寺」を題材にした作品。「三井寺」は行方知らずになった我が子を探し、駿河国から京へやってきた母親の物語。物狂いとなった女がたどり着いたのが三井寺で、騒ぎを気づいて集まった僧たちの中に女性の息子がいて、涙の対面を果たすという。眼はややうつろで、小さく開いた口は何かを呟いている風と、物狂い、まさに狂女となった母の姿を美しい線で活写している。

 

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金閣炎上』(川端龍子) 1950年

 これも有名な作品。こういう龍子の絵を観ていると、この人は西洋的にいえばロマン主義の人だったんじゃないかと、なにか適当に思ったりもした。

丸紅ギャラリーへ行く

 昨日、11月1日にオープンしたばかりの新しいミュージアム、丸紅ギャラリーに行ってきた。

展覧会|Marubeni Gallery 丸紅ギャラリー

 開館にあたってのニュースリリースはこんな風になっている。

『丸紅ギャラリー』開館のお知らせ ~古今東西の美が共鳴する空間を目指して~

丸紅株式会社(以下、「丸紅」)は、2021年11月1日に本社ビル(千代田区大手町)内に丸紅ギャラリーを開館します。

丸紅は、創業(1858年)から現在まで続く繊維に関わるビジネスを通じて収集・保全してきた江戸期を中心とする古い時代の染織品(きもの、帯、袱紗など)や染織図案、1960~70年代にアートビジネスに携わる中で入手した西欧絵画、そして、染織図案の接点などから画家本人や画商を通じて収集された近代日本絵画を「丸紅コレクション」として所蔵しています。

丸紅ギャラリーでは「古今東西の美が共鳴する空間」をコンセプトに、丸紅コレクションの収蔵品をさまざまなテーマで展示・公開していきます。
今後、年3回程度の企画展を予定しており、丸紅コレクションの代表的な作品である、イタリア・ルネサンス期の画家サンドロ・ボッティチェリの『美しきシモネッタ』は2022年秋の企画展にて公開する予定です。

丸紅は、丸紅ギャラリーの運営を通じて、ビジネスの中心地でありながらも美しい皇居の緑があり、ミュージアムが多数立地するロケーションの特性も活かし、芸術文化の振興の一端を担っていきます。

 ビジネスを通じて入手した美術品コレクションを公開展示するということか。歴史のある総合商社だけに相当なコレクションが所蔵されているようで、これを開館記念として3回に分けて展示していくという。染織品や染織図案がメインになるようだが、第一回はフランス絵画を中心にということらしい。おそらく最大の目玉ともいうべきボッティチェリはリリースにあるとおり来年秋の公開のようだ。

 皇居に面した丸紅本社を前にして最初に思い浮かんだのがロッキードというのも相当に古いなと思ったりもする。

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 ガラス張りのオシャレな1階フロアからエスカレーターでそのまま3階のギャラリーまで行く。自動ドアを抜けるとすぐに受付がある。入館料は500円なのだが、完全キャッシュレスでクレジットかQR決済のみ。みた限りauペイは見当たらなかったのでクレジットで決済することにした(見落としたかも)。

「日仏近代絵画の響き合い」 2021年11月1日ー2022年1月31日

 出品作品はフランス絵画が、コロー、クールベルノワール、ルドン、ヴラマンク、キスリングなど。日本の洋画は藤島武二和田英作、岡田三郎助、安井曽太郎梅原龍三郎小磯良平などなど。全体として外国ものよりも日本の画家の作品が粒揃いという感じがした。

 最初に目玉として2点が大きくクローズアップされている。

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『ヴィル=ダヴレーのあずまや』(コロー)

 もともとパリ生まれのコローだが、このヴィル=ダヴレーには父親が購入した別荘があり、一家はよくこの地に滞在したという。最終的にコローはここで亡くなっている。

 この絵の雰囲気はコローのいわゆる写実的な風景画とはどこか違っている。この絵は真ん中に建つあずまや壁を飾る6点の絵のうちの一つとして制作されたということだが、なんとなく装飾的な雰囲気がある。さらにいえばなんとなく象徴的な雰囲気が漂っている。適当に思ったことだけど、どことなくアンリ・ルソーのような雰囲気とでもいったらいいか。

 この絵に描かれているのは本人を含めたコローの家族たちである。一番手前で新聞らしきものを読んでいるのは父親、右にいるのは画帳を抱え写生から戻ってきたコロー自身。その近く、橋の手すりにもたれているのは母親と姉で、コローを迎えようとしているのは姉の夫という。そういう親密的な関係でありながら、どことなく寂寞な雰囲気が漂っているように思えるのはなぜなんだろう。

 この絵が制作された時期、コローは体調がすぐれない父親につきそうため長期でこの地に滞在していたのだという。父や家族を思うコローの心象風景が微妙に投影されているというのはちと考えすぎか。

 

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『積雪の森」(クールベ

 古典主義やロマン派のような空想や理想化された風景画に意を唱え、目の前にあるものを描いたというクールベ写実主義。でもこの絵をみると自然を写しとったのとは異なる絵画表現があるように思える。冬ざれた枯葉をまとった木々のところどころに降ったばかりの雪がかかっている。多分雪はほんの少し降ったばかりなのかもしれない。近くでマチエールを確認すると、雪の表現は軽く散らしたような感じである。

 絵の具を混ぜることによってやや暗い色調で風景を描くことが多いクールベの絵にしてはなにか異質なものを感じるのはこの雪の白の表現であるからかもしれないけれど、どこか印象派の萌芽みたいなものを思ったりする。

 というわけでコローもクールベもいつものそれとはちょっと異なるような雰囲気を感じた。

 

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エスタックのオリーブ畑』(ルノワール

 これも目玉作品の一つ。まあコレクションにおいてはモネかルノワールがあればそれで名品コレクションと認定されるみたいなところもある。地方の美術館でもこの二人のいずれか、あるいは両方が揃って1点ずつあるみたいなことがある。そういう意味でいえばいつものルノワールである。

 図録の解説によるとこの作品は1882年、アルジェリア、イタリア旅行からの帰路南仏マルセイユ近郊のエスタックに立ち寄った際の作品だという。エスタックはセザンヌの住んでいるところで、ルノワールセザンヌを訪問している。この絵の空や海などの筆遣いが斜線風になっているのもセザンヌの描法の影響があるのだとか。

 

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ルーアン大聖堂』(ピエール・デュモン)

 印象派からフォーヴィズムに以降するような雰囲気の作品。ピエール・デュモンは初めてきく名前である。

ピエール・デュモン - Wikipedia

 やはりその経歴からは印象派的画風から出発し、フォーヴィズムへと向かう。その後はじょじょにキュビズム的作風に変化していったという。なにか19世紀後半から20世紀にかけて潮流そのままに変化していった人みたいだ。この絵はやや離れて鑑賞すると色彩が際立つ感じで、優れた風景画だと思った。ピエール・デュモンは高校時代、マルセル・デュシャンと同級生だったとも。

 

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『横向裸婦』(小磯良平

 実は今回の企画展で一番印象に残ったのは小磯良平の2点。そのうちの一つがこの作品。以前、なにかの解説で小磯良平新古典主義のシャセリオーの影響を受けているとかいうのを読んだけど、この作品は同じ新古典主義でもアングルっぽいかなとも。全体としてのスベっとした感じとかにそんなものを感じた。モデルは多分10代の少女のようだが、この絵には清純な肉感があり、エロさを感じさせない。この絵は小磯良平自身も気に入っていたのだとか。

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『パリスの審判』(小磯良平

 形態化した人物、塗り残し表現など明らかにセザンヌ的印象とともに、どことなくピカソの新古典的な雰囲気も感じられたり。どちらかといえば圧倒的な画力により写実的な絵を描くという印象の強い小磯良平がこんな絵を描いてもいるのかと、ちょっとびっっくりというか嬉しくなる。

 

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『冬の村道』(ヴラマンク

 安定のヴラマンクというか、まあいつものヴラマンクだ。ただしこの手の暗緑色と雪の白、どんよりとした雰囲気の田舎の街並みを描く彼の絵では、たいてい建物は斜めっていて、道路も湾曲している。この絵は真ん中に道路があり、建物は対称的な構図となている。そのへんがちょっとヴラマンクにしては珍しいような感じがした。

 

 丸紅ギャラリーのある丸紅本社は立地的には毎日新聞社の隣にある。地下鉄の竹橋から降りるとほんの1〜2分の距離だ。そういう意味では割と気軽に行けるし、同じ竹橋の東京国立近代美術館(MOMAT)とは至近の場所にある。なんとなくMOMATに行くついでみたいに寄る機会が増えるかもしれない。

山梨県立美術館

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 この美術館に来るのは4度目。今年は5月にも一度来ている。その時は風力で自走する不思議なオブジェ、ストランドビーストを制作する彫刻家かつ物理学者テオ・ヤンセンの企画展が行われていた。

山梨県立美術館再訪 - トムジィの日常雑記

 ここではこれまで「夜の画家展」、「ミレー展」などを観ているが、ミレーを中心としたバルビゾン派のコレクションが充実しているので、特に企画展がなくても常設展示だけで楽しめる。

 今回も常設展示は「ジャン=フランソワ・ミレー 生涯と作品」(9/7~12/5)、「自然を描いた画家たち バルビゾン派を中心に」(9/7~12/5)が開かれていた。

コレクション展 | 展覧会・イベント | 山梨県立美術館 | YAMANASHI PREFECTURAL MUSEUM of ART

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『種まく人』(ミレー)

 やはりここの目玉的作品はこれでしょう。『種まく人』をミレーは2点制作し、1点は山梨、もう1点はボストン美術館に所蔵されている。この絵は1967年に県知事となった田邊圀男は美術館開設を決め、美術館開館(1978年)に先駆けて1977年にオークションで購入したものだとか。落札金額は当時で1億7千万円したという。当時は税金の無駄遣いといった声もあったということだが、良い買い物をしたのではないかと思う。山梨のある種のウリでもあるし、大きな観光資源でもあると思う。

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『海景』(ジュール・デュプレ)

 バルビゾン派の画家ジュール・デュプレの海景画だ。オランダ風景画の影響もあるかとも思うし、ブーダンにもこういう題材の作品があったようにも思う。空の表現がちょっと違うかなとも思ったりもするが。

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『朝』(ジュール・ブルトン

 大好きな作品である。最初に訪れた時に額絵を買って、今でもリビングに飾っている。ブルトンは農民や農作業など田舎の生活を描いた画家だが、ミレーのような労働賛歌とは趣が異なる。当時のパリの上流階級の人々からすると田舎の風俗などにはあまり触れる機会がなく、こういう素朴な農民の生活を描いた作品にはそれなりの需要があったということらしい。ようは田舎の風俗を活写したものだ。ミレーやバルビゾン派の絵も実はそういう需要で売れたというようなことを、何かで読んだ記憶がある。

 ブルトンは、バルビゾン派のように田舎に出向いて写生をするのではなく、主にアトリエでこうした絵を描いたといわれる。この絵もブルトンお気に入りのモデル、カトリーヌ・ビビが農民服を着てポーズをとっている。確かに農婦にしては美人過ぎるようだ。

 

  山梨県立美術館は芸術の森公園の中にあり、対面して山梨県立文学館がある。最初に訪れたときに文学館も短時間寄ったが、それ以降は一度も行っていない。いつも昼過ぎに美術館に行くので、たいてい終了までそこに滞在みたいなことで時間が足りない。朝早くに家を出て、午前中からくれば両方を見学できるのだろうけど。

 ただし芸術の森公園を散策するのは短時間でも気持ちがいい。日が暮れるのも早い時期なので、のんびりと回るということは出来なかったけど、妻の車椅子を押してざっと一周してみた。バルビゾンの庭の奥にあるバラ園には秋バラが健気に咲いていた。

芸術の森公園 | 美術館について | 山梨県立美術館 | YAMANASHI PREFECTURAL MUSEUM of ART

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シダネルとマルタン展 (11月6日)

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シダネルとマルタン展 | 展覧会・イベント | 山梨県立美術館 | YAMANASHI PREFECTURAL MUSEUM of ART

 山梨県立美術館で開催されている「シダネルとマルタン展」に行って来た。この企画展は9月にひろしま美術館で開催されていた。おそらく来年もう一か所、多分鹿児島あたりを回り、来春にSOMPO美術館に来る予定だと聞いている。

 9月のひろしま、行ってみようかとも思ったが、広島はあまりにも遠い。まだコロナ終息が微妙だったこともあり断念した。車で行くとなると途中含めて4泊くらい覚悟しなくてはいけないし、なかなか難しい。

 アンリ・シダネル、アンリ・マルタン、日本ではどういう評価なんだろう。この企画展は最後の印象派というタイトルがつけられている。美術史的には外光派、点描技法を用いた作品が多いので新印象派、また作風から象徴主義などに加えられている。なんとなく印象派のフォロワーという感じがする。自分も割とそういう理解でいた。

 マルタンはあまり印象に残るような絵はない。シダネルはというと、東京富士美術館で何度か観ている。『森の小径、ジェルブロワ』、『黄昏の古径』だったか。いずれも人の不在、なのに人の気配は感じさせるちょっと不可思議な感じの絵という印象がある。

 年代的にいうとマルタン1860年生まれ、シダネルは1862年生まれで、モネ、ルノワールシスレーといった印象派の面々よりも20くらい下の世代になる。同年代ということでいうと、アンリ=エドモン・クロス(1856生)、スーラ(1859生)、ランソン(1861生)、レイセルベルヘ(1862生)、シニャック(1863生)、ポール・セリュジェ(1864生)、ロートレック(1864生)、ボナール(1867生)となる。世代的にも点描派=新印象派といえるかもしれない。

 シダネル、マルタンともに美術史の中ではどちらかというとあまり重要視されていない。モネ、ルノワールゴッホゴーギャンといった大御所からするとかなり低い評価のようだけど、同時代的には若い時から評価を受け20代前半からサロンに入選していて経済的にも成功を収めている。美術史的にはこの二人によってサロンは印象派的な絵画を受け入れるようになったということもいわれている。いずれにしろ1900年前後のあたりでの世間的評価は前述した印象派、新印象派の大御所よりも高いようだ。

 二人ともフランス芸術家協会、国民美術協会などに参加し、国際的な美術展にも招待されている。シダネルは1912年、ピッツバーグの美術展に審査員として招待されているが、その時の受賞作についてこんな風に語っている。

「私の擁護にもかかわらず、ルノワールも悪かった。結局、名誉のためマルタンに3等を受賞させることしかできなかった」

 20世紀初頭においてシダネルやマルタンはフランスを代表する画家であり、印象派の大御所たちよりはるかに格上の存在だったということなのだろうか。それがしだいに美術史的な評価の中では忘れられた存在になっていったということなのだろう。そして近年になって再評価が始まっているという、多分そういう理解でいいのかもしれない。

 二人とも印象派的な技法をベースに、象徴性や抒情性を取り込んでいる。シダネルが静的な抒情性溢れる作品を、マルタンはより明るい情熱的な色彩の作品を描いている。

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『エタブル、砂地の上』(シダネル) 1888年

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『ベルク、孤児たちの散策』(シダネル) 1888年

 10月に岐阜県美術館で観た『日曜日』(1898年)と同系統の作品のようにも思えるのだが、『日曜日』には象徴主義の影響があるといわれている。それよりも10年近く前の作品で、写実性や詩情に溢れる作品。

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『野原を行く少女』(シダネル)  1889年

 

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『ビュイクール、月明かりのなかの教会』(シダネル) 1904年

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『青い服を着た少女』 (マルタン) 1901-1910年頃

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『オデット』(マルタン)  1910年

 二つの肖像画印象派の技法に象徴性、ミステリアスなものを込めた作品。
 

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『ガブリエルと無花果の木』(マルタン) 1911年

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『マルケロス、テラス』(マルタン) 1910-1920年

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『池』 (マルタン

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ヴェルサイユ、月』(シダネル) 1929年

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『ジェルブロワ、青い食卓』(シダネル) 1923年

 今回の企画展でシダネル作品で一番気に入ったのはこれかもしれない。シダネルの得意なモチーフ、人物の不在とその濃い痕跡が美しいバラに囲まれた庭の中に強く感じられる。ジェブロワは一時期シダネルが住んだ城壁のある町で、シダネルはこの家の周囲にバラを植え、さながらバラ園の中の家のようにした。その後、この町のあちこちでバラが育てられ、ジェブロワは現在ではバラの町として有名なのだという。

 

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『マルケロルの池』(マルタン) 1910-1920年

 マルタンで一番気に入った作品がこれ。色彩感覚にあふれた美しい作品。最後の印象派という意味でいえば、この絵は印象派的技法の完成形みたいな感じもする。

 

 今回の企画展は、アンリ・シダネル、アンリ・マルタンの大回顧展といえる。二人の作品だけで70点を超える作品が展示されている。何度か訪れたい企画展だが、さすがに山梨はやや遠い。来春のSOMPO美術館での巡回時にはもう一度行きたいと思う。

 山梨県立美術館は常設展示のミレーやバルビゾン派のコレクションも充実しているし、周囲の公園も美しい。お勧めの美術館、企画展だ。