繕い物とか介護靴のこと

縫物について

 妻のお気に入りのセーターが脇の部分にほつれが出来ていて、ほとんど穴が開いた状態になっている。自分は覚えていないが、エディー・バウアーで買ったものなのだとか。また買いに行かなくちゃと妻が言い始めるので、そのくらいなら糸でかがれば何とかなるのではと言うと、「お父さん、やっといて」と言う。

 ハーっとため息一つ。家事の類で多分一番嫌いなのが裁縫系である。手先が不器用なこともあるがどうにも好きになれない。かって家庭科は1を取ったことがあるくらい苦手、いや好きじゃない。でもまあ必要に迫られて、けっこう小さい頃からやることはやる。ボタンが取れたとかスボンが尻の部分が破れたとかとなれば、それはそれでやらなくてはならない。ずっとそんな風だ。

 子どもが中学とか高校の頃というと、例の体操着の名札を縫い付けるとかそういうこともあった。なんか入学したての頃に、体操着、ジャージなんかの名札をそれこそ泣きそうになって夜中に縫ったこともあった。「父さんが夜なべをして、名札を縫い付けて」・・・・・・。

 子どもは特に感謝することなく「ちょっと曲がっているね」とかそんな反応か。

 ということで裁縫は一番好きじゃない。次に好きじゃないのはアイロンかけだ。

 それでもまあセーターのほつれくらいだと数分でできる。雑だが仕事が早いというのが長所であり短所でもある。裁縫道具はというと、子どもが小学生の時に使っていたお裁縫セットである。数年前まではダイソーで売っているプラスチックケースに糸やら針やらぶちこんで使っていたのだが、今ひとつ使い勝手がよくない。ちゃんとした裁縫セットを買おうと思ったのだが、Amazonとかで探す2~3千円する。買おうかどうしようかと思っていてふと思いついたのが、子どもが使っていた裁縫セットがあったなと。

 そこで主のいない子ども部屋を探すと出てきました。たしか小学生の時に買ったやつだ。針もあるし、糸もある。少し買い足せば十分使えそう。ということでここ数年は、良い子のお裁縫セットを使って、たまに縫物をする。悲しい高齢者だ。

介護靴

 妻の介護靴が届いた。

 つい最近、旅行とか用に使っている靴に穴が開いているのを発見。普段使いのものもだいぶすり減ってきている。そういえばもう1年くらい買ってないかもしれない。

 妻が使っている介護靴は左右サイズ違い。右はLで左は装具をつけているので3Lだ。最近は靴屋でも介護靴や老人向けのシューズはけっこう売っている。さすが高齢化社会だ。でも片麻痺用の左右サイズ違いは売っていない。そもそも扱いがないところが多いし、扱っていても取り寄せになる。

 なのでずっと通販を利用している。といってもこちらも左右サイズ違いだと購入できるものが限られていたりもする。とてもお洒落とは無縁なものだ。

 妻の場合、装具をつけていれば短い距離を杖や伝い歩きができる。そのため外出はもちろん、室内でも介護靴は必須だ。その分消耗も激しい。いちおう何足かを外出用、上履き用として交互に使っているけれど、そうするとみんな消耗してくる。

 数日前に介護用品のネットサイトを見て、今回は二足いっぺんに購入した。徳武産業という介護靴では一番有名なところのあゆみというブランドのもの。手持ちのものとこの二足で、とりあえず来年の夏くらいまでもちそうな感じだろうか。

 

 

介護ベッドの故障

 家の介護ベッドが調子が悪い。リモコンでリクライニングのボタン、特に頭の方を持ち上げるボタンを押すとそのまま持ち上がってボタンを離しても止まらなかったりする。妻が「たいへん、たいへん」と言ってきて、自分でも実際にやってみてそういう症状が出る。

 ボタンを離したり、下げるほうを押してもだめ。何度かトライすると治る。もしくは一度電源オフというか、コンセントの抜き差しをしたりすると治る。症状は出たり出なかったりもある。

 しかし基本的に介護ベッドである。健常者が利用するリクライニングベッドであれば回避もできるが、片麻痺の妻にとってはリクライニングが上がりっぱなしになるというのは、大問題でもある。実際、あがりきると「くの字」状態になってしまい、はっきりいって危険である。

 どこに問題があるのか、モーターの故障となると大ごとだ。何度か自分で試してみるが、そういうときにはあまり症状が出なかったりする。リモコンをよく見てみるとどうも劣化していてボタンの部分の表示もかすれている。

 これはリモコンボタンの接触不良とかそういう類ではないかと思った。ボタンも心持グラグラとしている。妻の使い方はどうだろう、ときどきリモコンを身体の下敷きにしたりとか、そういうこともあったかもしれない。そういうこともあってボタンが劣化してきたのかもしれない。これだろうな多分。

 ベッドを購入したのは3年前くらいか、一応3モーターでマットレス付、20万くらいしただろうか。発病してすぐに介護保険を使って介護ベッドをレンタルしたのだが、16年前に今の家に引っ越してきたときにレンタルをやめて、発症前に使っていた普通のセミダブルのベッドを使うようにした。でもやはりベッドの上での移動、起き上がりとかがだんだんときつくなってきてもいた。

 そこで自分が仕事をやめた時期に思い切って介護ベッドを購入することにした。ベッドで20万はそこそこ清水の舞台からダイブ的でもある。

 そこそこの買い物だし、保証とかどうなっているのかと思い、取り扱い説明書や保証書の類を探してみたが、どうにも見つからない。家電製品の取扱説明書や保証書は、それ専用のファイルに閉じているのだが、ベッドは家具だからということでそこにいれておかなかったようだ。でも電動リクライニングだから、家電製品といえばそのとおりだ。

 部屋中を探し回った結果、ベッド前のテレビラックの下部分にベッドの組み立て仕様書と簡易的なスパナなどが入ったビニール袋がでてきた。組み立ては搬入したときにニトリのほうでやったのだが、終わった後に渡されたのをラックに突っ込んだかなにか。

 そのビニールの中にレシートが入っていて、購入は3年前の8月、きちんと金額も入っている。ニトリに電話して、介護ベッドの調子が悪いこと、保証書はないがレシートはあると告げると、対応可能と言う。そこで、来店してベッドの症状をサービス窓口で話して、リモコンの写真を見せると、おそらくリモコンが原因だろうということになった。そして保証期間内なので無償で取り寄せるということになった。

 取り寄せには三日程度かかる。最短で日曜日に店舗にくれば引き渡し可能。自宅配送だとプラス1日か2日かかるという。近くなので店舗に引き取りに行くことにした。

 そして店舗から連絡があり新しいリモコンを引き取り、自分で交換することにした。介護ベッドは3モーターで上下の昇降もあるので、一番高いところもまで上げてから下部の接続端子を交換する。これ上下昇降ないとけっこう面倒くさいかもしれない。

 作業は実質5分程度。新しいリモコンを取り付けて何度か操作してみるが多分問題はなさそう。願わくばこれで他の故障とかなければいい。しかしリクライニングの故障とはいえ、介護ベッドの故障はけっこう問題といえば問題。そういうことを考えると、レンタルの方が保守が簡単なのかなとも思ったりもした。

古いリモコン

新しいリモコン

装具の作成と今年も田んぼアートに行って来た件 (7月18日)

 18日の午前中、妻の病院に付き添う。健康保険を使って装具を作ることになり、先々週にまず型を取り、先週はおおまかに出来上がった装具の仮合わせ。そしてこの日は納品となるはずだったのだが、そう簡単にはうまくいかない。出来上がった装具をつけると、靴が履けない。おまけに通気用に脹脛に当たる部分に穴を開けるよう注文していたのだが、それも開いてない。

 結局、持ち帰って再調整となる。ついでに家に一度帰って、業者にも来てもらいそこで予備の装具と靴を渡して再調整してもらうことに。納品は土曜日に。

 本当はこの業者ではなく別の業者でと思っていたのだが、妻が定期的に通院している病院に出入りしている業者なので、保険適用で作るとなると選択肢が限られる。以前から作ってもらっている業者は、妻が最初にリハビリで入院した国リハに出入りしている業者。ここで作ったものはしっくりくるのだが、ここだと実費扱いになる。

 まあ今回は保険適用で作るけど、次回はまた実費で前の業者でということになるか。

 妻は片麻痺なので、装具がないと歩くことは難しい。そもそも歩くのも短い距離だけだ。この装具、今回5年ぶりくらいに作るのだが、本来的にはだいたい2~3年で作り代えることが前提のものだ。費用はだいたい6~7万円だが、資材高騰の折、多分値上がりもしているはずだ。まあ妻にとっては必需品なので、これはこれで必要経費というところだろうか。

 

 業者が帰った後、妻は当然のようにどこかへ出かけたい、昼食を食べに行きたいという。それでまず向かったのは東松山にあるキッチン・カフェ・クランボンというところ。ここのランチは、サラダ、デザート、ドリンク付きで1500円くらいなので、ここ最近は、二ヶ月に一度くらい出かけている。まあまあ妻のお気に入りのところだ。

 着いたのは1時20分くらいだったけど、ほぼ満席状態。ウィークデイでも昼食時はこんなものだ。それでもさほど待つことなく席に着く。そしてランチはまあこんな感じですか。

 まあだいたいいつ行っても、ランチの定職はポークソティ(味付けが微妙に違う)と決まっているのだけど、飽きずに食す。たまにしか行かないから同じようなメニューでもさほど飽きるということもない。しばし美味しいひとときを過ごす。

 

 その後、真っすぐ帰るか(自分はそうしたい)、どこかへ行くかと妻に聞くと、古代蓮を見に行きたいという。行田にある古代蓮の里である。そういえば、隣接したところにある田んぼアートも見頃のはず。いっちょう行ってみるかということになる。東松山から行田だとだいたい30分かそこらというところだ。

 

 2023「田んぼアート」in行田/行田市 (閲覧:2023年7月20日

 

 田んぼアートも2021年に行ってから3年連続となる。

 行田市、田んぼアート - トムジィの日常雑記

 田んぼアート (9月11日) - トムジィの日常雑記

 

 そして今回のテーマはこれ。やっぱり埼玉だし。

 

 まあ暮にパートⅡの公開もあるようなので。

 しかし、3年目ともなるとたいがい飽きるというか。古代蓮会館の展望台に上っても、この写真撮ったらそれで終了。一昨年の浮世絵アート、去年はアニメの「アオアシ」だったか。そして今年は埼玉なのでこれである。

 来年もまた行くかどうか。まあ暇だし、埼玉だし、他にいくとこないし、みたいななんとなく諦観気分でまた来てしまうのではないだろうか。

 

 調べると田んぼアートは同じ埼玉県内でも越谷にもあるらしい。多分行かないけど。

こしがや田んぼアート2023 | 越谷市観光協会 (閲覧:2023年7月20日

 

 そしてここが本家なのか、青森の田舎館村にあるやつ。

アクセス - 田舎館村田んぼアートオフィシャルサイト (閲覧:2023年7月20日

 ここは映画の名シーンや、世界の名画を再現したりとか凝ったものが多い。過去には『風と共に去りぬ』や『ローマの休日』、『モナリザ』なんかを再現している。今年はフェルメールの『青いターバンの少女』らしい。本当はこういうのが見たいのだけど、やっぱり埼玉では難しいのだろうと自虐してみる。

 いっそ集客ということでいえば、アニメ系のキャラや萌え絵系にしたら、多分凄い人出になるのではないかと思う。よく知らないのだけど、『ライライブ』とか『馬娘』とか、その手のキャラをやると多分うっとうしそうな若者やおじさんが沢山集まってくるかもしれない。あとは大ヒットした『鬼滅』とか『スラムダンク』とか・・・・・・。まあ権利関係あるから、多分難しいだろうけど。

 

 とりあえず展望台には滞在10分以下ですぐに降りて、後は古代蓮の里の園内をのんびり歩いた。午後4時過ぎでもけっこう暑くてかなりバテたけど、妻はという元気に途中からは自走して園内を回っていた。その間、自分はというと日蔭のベンチで寝てました。けっこう寝不足だったし、熱射病とかになっては元も子もないし。

 

 園内を一周してきた妻と合流して、最後にもう一周今度は自分が車椅子を押してゆっくりと回った。蓮の花はちょうど見頃で、これ朝方だとかなり見事に咲いているのかもしれない。

 

 

 

 

 

ドライビング Miss デイジー

 これもまたBSプライムを録画していたもの。公開当時もかなり話題になったし、今では80年代から90年代にかけて制作された映画としては、すでに名作とされる映画の一つでもある。実をいうと初めて観る。いつか観ようと思っていてそのまま30数年が経ってしまった。

 この映画では、主演のジェシカ・タンディアカデミー賞主演女優賞を受賞、共演のモーガン・フリーマンは男優賞にノミネートされた。ジェシカ・タンディは戦前から活躍する美人女優で、たしか80歳での受賞は主演女優賞としては最高齢となるはず。アカデミー賞の授賞式をまとめたビデオで受賞の様子を何度か観ていたが、観客がスタンディング・オベイションで迎えるなかで、ユーモラスにスピーチしていたのを覚えている。

ドライビング Miss デイジー - Wikipedia (閲覧:2023年3月22日)

ジェシカ・タンディ - Wikipedia (閲覧:2023年3月22日)

 映画の舞台は、1940年代から70年代にかけてのアメリカ南部。元教師である老齢の未亡人デイジーは活動的で自分で運転する車で町での買い物などをしている。あるとき運転を誤り事故を起こしてしまう。母親のことを心配する実業家の息子は、黒人の専属運転手ホークを雇い、彼女の家に向かわせる。最初は運転手自体を、そしてホークが黒人であることから抵抗していたデイジーは、じょじょに受け入れていき二人の間には密かな友情を芽生えていく。

 1940年代はまだ人種差別が合法だった時代。そこから公民権が施行される70年代までの歳月、運転席と後席での二人の会話を中心に繰り広げるドラマが起伏も少ない。たんたんとしたという表現がよく似合う。

 デイジーとホークの年齢は具体的に語られることはないが、おそらく物語の最初の頃デイジーは60代前半、ホークが50代半ばくらいだとして、それから40年の歳月というと、映画の最後はデイジーは90代超、ホークもゆうに80代ということになる。とはいえもともと最初から老人二人の物語だけにあまり年齢を重ねたというイメージはない。

 デイジーは元教師でありインテリである。開明的な部分と頑迷な部分が入り組んだとっつきにくいタイプだ。彼女はユダヤ人でもあり、そのへんが南部という土地柄のなかでも、アングロサクソン系の白人とはどこか違っている。いわば白人社会の中ではもっとも低くみられ差別される立場の者が、より低層の黒人に接するという複層的な構図がある。

 デイジーは自分は他の白人のような人種差別はしないという考えを持っている。家で長く使っている黒人家政婦に対しても、お互いの領域をあまり干渉しないような付き合い方をしている。しかしホークはフレンドリーにデイジーの領分に入ってくる。そのことがデイジーの気分を逆なでするし、デイジーは自身が黒人に対して無意識に抱いている差別意識を否応にも意識せざるを得ない。

 映画の後半、はお互い何も言わなくても心通じあうよう雰囲気の中で特にドラスティックな展開もなく終わる。

 ジェシカ・タンディは凛とした気品を感じさせる元教師の老婦人を熱演した。オスカーは当然だと思う。第62回(1990年)の他のノミネート女優は、ミシェル・ファイファージェシカ・ラングイザベル・アジャーニ、ポーリン・ジョーンズ。ジョーンズを除くとみんな美人女優でけっして演技派とは言いにくい。受賞は幸運だったかもしれない。とはいえ他の候補者たちは現在までノミネートも受賞もない。彼女たちにとっても恵まれた作品での唯一のチャンスだったかもしれない。星廻りみたいな部分だろうか。

 モーガン・フリーマンは当時52歳くらい。長いキャリアの中でもこの映画あたりから注目され始めた。今や名優的存在だがキャリアの成功は多分この映画からだろう。

 デイジーの息子役を演じているのは、ダン・エイクロイド。あの『ブルース・ブラザース』のエルウッドだ。才人で『サタデー・ナイト・ライブ』出身のコメディアンの彼も、この映画では母親を心配する太った中年男を好演した。コメディ俳優としてはすでに80年代『ゴーストバスター』などで一本立ちしていたが、この映画あたりから準主役クラスの性格俳優として活躍するようになった。

 この映画はある意味高齢者映画でもある。南部の田舎町で運転が出来なくなった老婆が生活に諸々支障をきたす。それまで自由に運転して町に買い物に行けたのに、それが出来なくなる。そこで息子が心配して運転手を手配する。他人に運転を委ねることへの不安、しかも相手は黒人である。しかしそんな生活に慣れて行く日々。

 ある意味では現代の超高齢化社会を先取りするようなテーマ性がある。日本のようなモターリゼーション社会では、特に地方では車がないと日々の生活が成り立たない。しかし高齢ドライバーの危険運転も日々社会問題となっている。

 この映画のような金持ちは個人的にドライバーを雇うことは可能だろう。でも日本のような社会でそれは一般的ではない。介護保険の導入で介護を家庭ではなく社会で行う仕組みは2000年より外形的に導入され、すでに20年を経過している。老健施設などの通所サービスから、ヘルパーによる訪問介護なども普通に実施されている。その質の部分や急速に進む高齢化での財政的な問題などはあるが、一応制度としては機能している。

 そうした仕組みの中に、こうしたドライバーの派遣事業などを組み込むことは可能だるか。今現在、そうした事業は通所サービスへの送迎などに限られているが、もっと日常的な生活補助として、一人のドライバーが幾つかの家庭を掛け持ちで運転を行う。サービスを受ける側は、ドライバーが来ることで町での買い物や医療機関への通院、場合によっては観光的なちょっとしたドライブなどを楽しむことができる。

 地方では車という足がないと、生活自体が成立しない。高齢者の運転免許返納が進まないのは、そうした地方の事情ということもあるのかもしれない。

 『ドライビング Miss デイジー』を観ていて、そんなことが感想として浮かんでくる。それもまた自身が高齢者でもあり、そして超がつく高齢化社会に日々生きているからかもしれない。

コロナ狂騒曲と介護生活

 妻の行っているデイケアは入所と通所があるのだが、入所の方で複数のコロナ感染者が出たということで二週間、通所サービスを休む旨の連絡が週初めにあった。妻はこの施設を週2回、さらに別のデイサービスに週2回利用している。

 主には入浴と食事、機能維持のためのリハビリなどを行っている。そして、今日はというとデイサービスに行っていたのだが、施設から連絡があり、利用者に対して行っている検査(抗原検査)で陽性者が出たということで、食事、入浴もなしで戻ってくることになった。

 毎日、全国で20万人以上の感染者がでており、住んでいる埼玉でも日々1万人前後の新規感染者がでている。そういう感染爆発の状況が身近でも感じられるようなことが起きている。

 しかし、利用している施設が全滅になり、当分利用が出来なくなると、自宅での自分の負担が増える。入浴もそうだし、食事もそうである。コロナが流行り始めた頃、多分2年前だったと思うが、老健施設が三カ月くらい休業となった時期があった。多分、緊急事態宣言が出されていた頃だ。その頃はまだ仕事をしていたので、けっこう難儀だったことをなんとなく覚えている。仕事リタイアして介護中心の生活をしようかと思ったのもそのへんが理由になっているかもしれない。

 結果として、65になる一年前に諸々事情もあったけど、仕事を辞めて今の生活に入った。会社の清算とかいろんな事情もあり、多分もう1年続ければけっこうな激務になることも想像できたので、結果としては正解だったかなと思っている。

 そのとき、三か月デイケア等を利用できなかったとき、どうなったかというと妻の運動機能は著しく低下した。それまで杖や手摺、壁を伝うなどして家の中を歩くことができたのだが、それが難しくなった。入浴も浴室に伝い歩きで入って入浴用介護イスに座ることができなくなった。そのため狭い洗面室から浴室までに車椅子を持ち込むみたいなことをした。アマゾンで入浴用の車椅子というのを見つけポチったりもした。実際届いたものはかなりデカくて、浴室や洗面室では使えなかったので速攻返品した。

 しかしリハビリしないとこんなにも機能は落ちるんだと唖然としたものだ。幸いデイケアが再開してリハビリを行うと、割とすぐに機能は戻ってきた。これは本当に有難かった。あのままだと、家での生活もこれまでとはだいぶ変わってくる。

 今回、デイケアはいちおう二週間の休業。デイサービスのほうは営業がどうなるのかまだ判らない。願わくばデイケアの早期再開、デイサービスは休業なしということにならないかと願っている。

 しかしコロナは怖い。特に自分たちのような高齢者かつ持病もちには本当に怖い。あと老健施設でのクラスターなどは、多分平均年齢が80前後のはずなので、生死にかかわることになる。感染爆発はもう身近な日常生活に迫ってきているみたいだ。

平らで安全な道路づくりを

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 今日の朝日新聞朝刊の投書欄に載っていた。64歳のご婦人の投稿だ。

 道路が中心から両端に向かって緩い傾斜になっているため車椅子での自走が難しいという。これは自走だけでなくて車椅子を押していてもいつも感じることだし、妻が一人で近所とかを自走していても常々訴えていることだ。傾斜があると車椅子はその方向に曲がってしまうので常にそれを補正しなければいけなくなる。ある意味で道路はちっともバリアフリーではない。

 もう一つ道路ではなく、道路に併設されている歩道の話だ。たいていの舗道は道路の側に緩く傾斜になっていることが多い。なので歩道を自走しているとだんだんと道路の側に寄っていってしまう。これがどれくらい危険なことか。おまけに歩道と道路の間にはそこそこの段差があるので、もし道路の方に落ちてしまえば転倒の恐れもある。そこに車が走ってきたら。

 私が車椅子を押していても車椅子はすこしずつ道路の方に寄っていく。それを修正するためにけっこう常に力を入れている必要がある。

 さらに歩道を車椅子で動いていると、道路のところで歩道が途切れるのだが、その途切れるところがけっこうな傾斜になっていて車椅子を押していてもかなり力を入れて制御しないと危険なのである。さらにいったん道路に出てまた歩道に上がるところも傾斜のため力を入れて歩道にあげる必要がある。自分はいつも車椅子の後ろの下についているステッピングバーを足で踏み込んで前輪を持ち上げて歩道に上げるようにしている。

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車椅子をどう操作する? | 全国ユニバーサルサービス連絡協議会

 妻はやむなく自走して歩道にあがるときは、車椅子を後ろ向きにして上がるようにしているという。拙い絵だが〇をした部分だ。つたない絵だが〇をした箇所のときだ。

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 妻が病気になり車椅子生活になって以来、もう16年かそこらこんなことに気をつかいながら、また世界はバリアだらけだなと嘆いたり、ブツブツ言いながら日々を送っている。とはいえ妻が病気になる以前は自分たちもそんなことにはまったく気をかけることなく生活をしていた。いざ家族が障害者になって初めて周囲の様々なバリアに気がつく。そういうものだとは思う。

 世の中は超がつく高齢化社会に突入している。障害者ではなくても、家族に車椅子生活を送るお年寄りが普通いいる世の中になってきている。ユニバーサルデザインという言葉のもと、社会のあらゆるところに存在するバリアを少しずつ改善していく必要が今迫られているのだとは思う。

 社会は経済格差が進み、自己責任という言葉が横行している。また経済合理性や費用対効果といった言葉のもと、福祉予算は削られ、インフラ整備もおろそかにされている。20世紀に行われたインフラ整備はすでに老朽化し、それはもう補修といったその場しのぎではない再構築が必要となっている。

 今は過渡期だから、様々なバリアは対処療法的に改善する以外はないのかもしれないが、出来れば抜本的な形でのバリアフリーのためのインフラ整備が進むことを祈っている。投稿の夫人は最後にこうおっしゃっている。

「今後、様々な技術の改善により、平らでかつ安全な道路がつくられるようになればうれしいです。」

 同感である。

まだら認知症について

 妻が脳梗塞を発症したのは40代半ばで、片麻痺高次脳機能障害となってから16年が経過している。当初から40代の障害者が受けられるサービスはほとんどなく、65歳未満でも介護保険サービスが受けられる16の特定疾病の一つ脳血管疾患ということで、ずっと介護保険サービスを受けている。リハビリ主体のデイケア、入浴などのデイケアなどだ。通所でそうした施設に行っても、周囲は30以上も年齢が上の高齢者ばかりだったので、最初はかなり違和感を感じ、出来ればやめたいという話をよくしていた。

 昨年、ようやく還暦を迎えたけれど、今でも周囲の利用者は70代後半から80代が中心で、90代以上も沢山いるという。多くの方が認知症を抱えているのであまりコミュニケーションが取れないという。その中でも比較的しっかりしている人とはよく話をしているという。そういう方は多くの利用者の中でも数人だという話。

 いつも入浴の時に一緒になるけいこさん(仮称)は、80代のおばさんで品があり割合しっかりしている人だ。数年前にダンナさんを亡くされ、今はマンションに一人暮らしだという。いつも気持ち良さそうにお風呂に入りながらこんなことを言う。

「お風呂は気持ちいいわね。いつもこんな広いお風呂に入れて本当にありがたいわ」

 少し前のこと、けいこさんは入浴の時いつものような話をしたあとでこんなことを言い始めた。

「お風呂は気持ちいいわね。いつもここでお風呂に入るから家で入らなくてもいいんだけど、夫がいるからお風呂沸かさなくちゃいけないんだよ」

 妻は、あれけいこさんのダンナさんは亡くなっているはずだけどと思った。そんな会話が何度か続いたある日、同じように家でもダンナさんのためにお風呂を沸かしているとけいこさんが言い始めると、たまたま一緒になった別のおばあさんがけいこさんの間違いを指摘した。

「あれ、けいこさん、もうダンナさんいないじゃない」

するとけいこさんはこう返事した。

「いるよ、夫は。あっちにもこっちにも」

「え~、なにそれ」

 妻は別の日に職員とけいこさんの話をした。職員の話だと、けいこさんは午前中は割としっかりしているらしいのだが、帰宅時間の頃になると言うことが支離滅裂になることが多いのだとか。帰りの車の中でも「どこへ連れて行くの」みたいなことを言い始めるのだとか。職員はそれを「まだら認知」だと言っていたとか。

 まだら認知症とは文字通り認知の症状がまだらに現れるものだという。

まだら認知症とは、その名の通り認知症の症状が「まだら」にあらわれることを言います。脳血管性認知症に含まれますが、あくまでも症状の呼び名であって、認知症の種類ではありません。

脳血管性の認知症によくみられる「物忘れはあるけど理解力は問題ない」「同じことができる時とできない時がある」など、症状に波があることが特徴的です

【医師監修】まだら認知症とは?症状や脳血管性認知症との関係性・予防法まで解説|サービス付き高齢者向け住宅の学研ココファン

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【知っておきたい】まだら認知症|LIFULL介護(旧HOME'S介護)

 

 一人暮らしのけいこさんが帰宅後、本当にお風呂を沸かしているのかどうかわからない。妻の話を聞いていて、旧式のガス釜の風呂だと火をつけっぱなしにしたら危ないなとか思ったりした。マンションの自動湯沸かしタイプだと湯が溜まるだけだから多分問題はないのだろう。

 時間によって症状の程度に差が出るのは、まだら認知の例のごく一部だという。さらにいえば引用したサイトにあるように、認知症の中にまだら認知症という種類があるわけではなくあくまで症例としてあらわれるということらしい。それは脳血管性認知症の一つの症例であるということだ。

 脳血管性障害のダメージにより脳の機能が低下。ダメージを受けなかった部分の機能は健在となるため、認知症状がまだらに起こる。妻の病気とずっとつきあってきているので、脳血管疾患に起因する障害が様々であることは知っている。妻の場合は右側頭葉と前頭葉に大きな梗塞巣があり、それによって左下肢、左上肢の機能は全廃している。ただし言語機能は問題はないし、嚥下障害もない。記憶についても短期記憶、長期記憶ともに問題はない。ただし注意障害についていえば、幾分反側無視があるのと注意の転換がうまくいかないことがある。

 高次脳機能障害については発症当時はかなりひどい状態だったが、急性期リハビリがうまくいったのか症状はだいぶ改善されている。それは15年経ってもほとんど変わらない。つまり悪くはなっていないということだ。でも、脳血管疾患により脳にダメージを受けているだけに、いつ認知症状が出てくるかわからない。

 もっとも認知症についていえば、還暦を遠に過ぎた自分だっていつそういう症状が現れるかわからない。こればかりは神のみぞ知るというところだ。朝、普通に話をしていたり、午前中に新聞を読んだり本を読んだりしていたのに、午後になると自分が何をしていたのか、あるいは自分がどこにいるのかすらわからなくなる。そういうことがいつ起きるかどうかわからない。高齢者にはそういう可能性がいつもあるということをどこかで覚えていた方がいいのだろうと思う。