シドニー・ポワチエ死去

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シドニー・ポワチエさん死去 黒人初のアカデミー主演男優賞:朝日新聞デジタル

 新聞の訃報記事で知った。94歳、死因の発表がないけど大往生ということか。黒人俳優初のアカデミー賞主演男優賞受賞者、50年代~60年代のハリウッドを代表する俳優の一人だったし、あの時代の主役級の俳優ではほとんど最後の一人だった。

 この人の映画は沢山観たし、黒人俳優の草分け的存在だった。この人以外に主役を張る黒人俳優はほとんど皆無だったし、助演クラスでもほとんどいない。記憶をたどってもシナトラ・ファミリーのサミー・デイヴィス・ジュニアやフットボールのスター選手からハリウッド入りしたO・J・シンプソンくらいしかすっと出てこない。それほどシドニー・ポワチエは特別な存在だった。

シドニー・ポワチエ - Wikipedia

 ポワチエが主役、準主役を演じ、記憶に残っている映画は沢山ある。『手錠のままの脱獄』はトニー・カーティスポワチエがダブル主演だった。完全にポワチエがカーテティスを食う演技だったが(当たり前だ)、アカデミー賞にノミネートされたのはカーティスだった。そして初めて黒人として主演男優賞に輝いた『野のユリ』。この映画を何度も繰り返し観た。最初に観たのテレビ放映だった。字幕スーパーで観たのは多分レンタルビデオになってからだったか。

 さらに『駆逐艦ベッドフォード』、そして1966年の怒涛の快進撃『いつも心に太陽を』、『夜の大走査線』、『招かれざる客』。これらの映画で知的で高い教養を身に着けた黒人インテリ青年というポワチエのイメージは定番化する。このどの映画でも彼は二度目のオスカーを取るだけの名演技だったが、共演者がノミネートされ(ロッド・スタイガースペンサー・トレイシー)、結果は『夜の大走査線』で助演者であったはずのロッド・スタイガーが受賞した。ロッド・スタイガーならその2年前の『質屋』だったろうにと思わないでもないが、1964年はまさにポワチエが『野のユリ』で受賞した年だった。

 シドニー・ポワチエは白人にとって了解可能な良き黒人だった。60年代、公民権運動などで黒人の差別が社会問題として顕在化された時代だった。じょじょに黒人の権利は拡張されていったけど、アメリカ社会に内在する黒人への差別はそう簡単には払拭されない。そんななかポワチエが演じた白人にとっての良き黒人像はというと、ある種の緩衝材的な役割でもあった。粗野な黒人、野蛮で無教養なあいつらは差別されても致し方ない、彼らがみんなシドニー・ポワチエだったら認めてやってもいい、60年代から70年代初頭のアメリカの主にインテリ層の間ではそういうコンセンサスがあったのではないか。

 オスカーの歴史という点でいえば、ポワチエ以前にオスカーを受賞したのは1940年『風と共に去りぬ』で助演女優賞を受賞したパティ・マクダニエルまでさかのぼる。そしてポワチエ以降も主演男優賞は2000年代に入ってから、デンゼル・ワシントン(2002年)、ジェイミー・フォックス(2005年)、フォレスト・ウィテカー(2007年)まで出てこない。女性にいたっては2002年のハル・ベリーだけという。

 60年代にオスカーを受賞したシドニー・ポワチエは特別な存在だったのだ。

 さらにいえばアメリカ社会で受け入れられる、知的で教養溢れる良き黒人の代名詞はシドニー・ポワチエの後はバラク・オバマの出現までなかったのかもしれない。オバマが大統領になった時にそんな感慨を記したことがある。

アメリカの良き黒人 - トムジィの日常雑記

 60年代のシドニー・ポワチエが演じた良き黒人像は、子ども時代に感情移入できる対象だった。それはヘンリー・フォンダやジェームス・スチュワート、グレゴリー・ペックの演じた役柄と同じように。

 好きな作品は『野のユリ』だ。東独から亡命してきた尼僧を助け教会建設を無償で引き受ける流れ者、ホーマー・スミス。彼が教会の十字架を設置するシーンは、子ども心にもまるで天使のように思えた。


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 そして最も感情移入したのは『いつも心に太陽を』の高校教師マーク・サッカレーだ。あの映画は多分一人で映画館で観た。多分小学6年生か中学1年生くらいだった。映画の虜になりルルの歌う主題歌のEP盤も手に入れた。探せばまだどこかにあるかもしれない。それも50年以上前の話だ。


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 改めて書くが60年代のハリウッド・スターの最後の一人、偉大なアフリカ系アメリカ人俳優、シドニー・ポワチエが亡くなった。また一つ20世紀が遠くなった。ご冥福をお祈りします。

ジョーンの秘密

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https://www.netflix.com/browse?jbv=80202772

 Netflixで観た。戦時中から戦後にかけてKGBのスパイとしてイギリスの原爆情報をソ連に提供したメリタ・ノーウッドの事件に触発されて、ジェーン・ルーニーが書いた小説『レッド・ジョーン』を映画化した作品。

 ノーウッドは英国非鉄金属研究協会に採用され秘書として従事し1972年に引退しているが、ノーウッドをモデルとした主人公ジョーン・スタンリーは優秀な物理学者で、イギリスの原爆開発責任者の秘書、協力者、愛人となっている。

 物語は2000年前後、引退している普通の老女がスパイ容疑で逮捕されるところから始まり、彼女の学生時代のロマンスや原爆開発に従事する場面と現在が交互に描かれている。

 ウィキペディアによると批評家の評価はかなり低いようだ。

ジョーンの秘密 - Wikipedia

批評家の一致した見解は「魅力的な実話を当惑するほど退屈な形でドラマ化した『ジョーンの秘密』は、その物語の驚くべきストーリーを、そしてジュディ・デンチの圧倒的な才能を無駄にしている。」

 自分はどうかというと、さほど退屈とは思わなかったしけっこう面白かった。主演のジュディ・デンチ(007シリーズのM役)の圧倒的な演技と若い頃を演じるソフィー・クックソンがけっこう魅力的だ。ある意味二人の演技だけできっちりもたせてくれる。

 ただし筋立てというかストーリー展開はやや粗い。原作小説を読んでいないからなんともいえないけど、この映画に関していえばちょっとスパイものとしては無理筋かなという気もする。

 ジョーンがKGBの情報提供者となるのは、ケンブリッジの学生だった頃にドイツから逃れてきたロシア系ユダヤ人のレオと知り合い恋愛関係になったからだ。そのレオをジョーンに紹介したのはケンブリッジの女子寮で仲良くなったソニア。ソニアはジョーンを共産主義者系のサークルに誘い、そこでジョーンはレオと知り合う。

 ジョーンは物理学専攻の女子学生で、周囲には彼女以外に女子学生がいない。1930年代のケンブリッジに女性が入学するのもかなり狭き門だし、さらに理系となるとほとんど皆無に等しい。そういう場で孤独な学生生活を送るジョーンをソニアやすやすと共産主義系サークルに誘い込む。なんかこういう古典的なオルグはけっこうリアリティを感じさせる。自分らが学生時代にもある意味、こういうオルグって、けっこうアルアルだったからだ。

 しかしジョーンが原爆開発関係の部署に就職し、そこで開発責任者の秘書となるにあたって、こういう経歴は徹底的に調べられるはずである。彼女が物理学専攻だったため開発責任者の信頼を得るのはわかるけど、イギリス情報部がまったくノーマークにしているのが理解不能だ。普通だったら学生時代の交友関係や、どういう思想信条の持ち主、あるいは以前はどうだったかなどを調べるはずである。ケンブリッジ出の女性秘書がやすやすと原爆開発に参加し、その情報をやすやすと入手する。これはちょっと無理があると、まあル・カレの小説を読んできた自分などはそう思ってしまうわけだ。

 そういう意味でいうと、細部のリアリティが徹底的に欠けている映画といえるかもしれない。それでいて面白く観てしまうのは、よくできた恋愛映画でもあり、激動の世界大戦とその後の連戦時代に原爆開発の現場にいた(という架空の設定)女性の半生というのが、なんとなく面白く感じられるからだ。

 ジョーンがソ連に原爆情報を提供したのきっかけになるのが、ヒロシマへの原爆投下の惨劇というのが、多分この映画あるいは原作小説のミソ=主題なのかもしれない。核の均衡を作りたいというある種のファンタジーである。そのへんはけっこう面白く受け止めることはできた。

 しかし戦中戦後、理想に共鳴して共産主義運動に関わった多くの若者たち、それらを冷徹な政治的リアリズムから利用した連中が多数いたことだけは忘れてはいけないのだろうと思う。一義的にはソ連共産党でありKGBである。ただし一方の反共産主義の立場にある自由主義陣営にも、若者の理想を弄んだ者、機関が多数あったのだと思う。

 

ヘイ・ジュードとMela!

 暮れに車を走らせていたら、カーオーディオからテンプテーションズの「ヘイ・ジュード」が流れた。カーオーディオにはiPodが接続されているので、多分その中に入っているオムニバス盤「Motown Meets The Beatles」に収録のものだ。


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 これ聴いていると「ヘイ・ジュード」が完全にゴスペルソングになっているなと思った。でも歌詞を含めていうとなんかこの曲はゴスペルをイメージして作ったのではないかとか適当に思った。

 もともとこの曲は当時、オノ・ヨーコと交際を始め離婚の危機にあったジョン・レノンとシンシアの間で傷心の日々を送っていた当時5歳のジュリアン・レノンを元気ずけるためにポールが作ったという。最初、歌詞は「Hey Jules」だったという話もある。しかし今ではこの歌はある種、傷ついた人々への応援ソングとして定着している。

Hey Jude, don’t make it bad
Take a sad song and make it better
Remember to let her into your heart
Then you can start to make it better

 このジュードは、発表当時にもユダヤ人から批判を受けたという話もあるが、「ユダヤの民=虐げられた人々」という意訳は出来ないか。さらに「Remember to let her into your heart」は直訳的には「彼女を君の心の中に入れる」だけど、「her」を神、あるいは聖母だとすれば、神を思い続ければきっと良くなるみたいにも解釈できる。

 まあここからは適当な思いつきだけど、ポールは自分なりのゴスペルソングを作りたかったんじゃないかと。で、ポールは天才なんで割とチャチャと曲を書いた。さらにゴスペル的に仕上げるためにあの盛大なコーダ「ナナナッナ~」を付け加えた。ポールは内心では「どうだい、最高のゴスペルソングだろ」くらいに思っていたかもしれない。

 まあゴスペルは狭義では黒人の教会音楽であるし、やや広い意味合いでもキリスト教の宗教音楽としてとらえられている。でも、今日的にはもっと広義な部分で、人々への応援ソングという位置づけで歌われていることが多いように思ったりもする。


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 これも暮れだったか、TBSで放送された小田和正の「クリスマスの約束」を録画したのを見た。その中で若い長屋晴子という歌手が出てきて小田和正と一緒に2曲歌った。キレイで歌の上手い人がいるもんだと思った。1曲目に歌ったのが長屋晴子がいる緑黄色社会なるグループの「Mela!」という曲だというのもその時初めて知った。いい歌だと思ったし、けっこう頭の中でリフレインしている。

 緑黄色社会はここ数年ブレイクしたポップス・グループだという。この「Mela!」も関連コンテンツを含めるとネットでの再生回数が1億を突破するメガヒットとなっているのだとか。

 音楽は割と好きな方だと思う。持っているCDは多分1000枚以上だし、iTunesに入っている曲は12000曲くらいある。主に聴くのはジャズ、60~80年代のポップスやロック、あとクラシックを少々か。しかし還暦過ぎのジイさんなんで基本古いものしか聴いていない。新しい曲や歌手へのアンテナを張るみたいな気力は失せているので、新しい音楽はほとんど聴かない。ここ20年くらいではまったのはというと、例えばジョン・メイヤーエイミー・ワインハウスやアデルくらいか。日本のものはほとんど聴かないか。一時期サンボマスターやゲスの極み、SEKAI NO OWARIPerfumeのCDは何枚か持っていたけどすぐに飽きた。今、新譜が出ると必ず入手する日本のアーティストって誰かいるだろうか、土岐麻子CKBくらいだろうか。

 まあそういう時代遅れのジイさんなんで、当然のごとく緑黄色社会というグループも知らない。グループ名の由縁が、緑黄色野菜を聞き間違えたところからくるというエピソードも「ふ~ん」という感じがするくらいだ。

 でも「Mela!」はいい曲だと思う。ただし気に入っているのは「ラララ」のところだけかもしれないけど。この曲も応援ソングとして受け入れらているようだが、この「ラララ」を入れたのはやっぱりゴスペルを意識しているのかなと思えたりもする。そう、この曲も現代のゴスペルかもしれない。多分、舞台の上で沢山の歌い手が、観客と一緒になって「ラララ」を合唱する、そういう絵が普通に浮かんでくる。

かっこいい君には僕じゃたよりないのかなんて

そりゃそうだよな だってこうして今もまよっている

手をとってくれないか ギブとテイクさ

君が僕のヒーローだったように

 曲解すればこの「君」は神、心の中にある信仰かもしれない。まあ曲解である。君がしょいこんでいるのは、原罪かもしれないし、人々の苦悩かもしれない。そして「僕」は「神」のためのヒーローになりたいと。まあまあ曲解が止まらない。

 ということで「ヘイ・ジュード」が広義のゴスペルソングであれば、多分「Mela!」も十分に現代のゴスペルソングとして成立するかなどと適当に思ったりもしている。

 

 長屋晴子という歌手は本当に歌が上手いし美人でもある。こういう若くて才能のある人がどんどん出てくる。それが21世紀的な状況だと思う。多分、テクニック的には若ければ若いほど上手い人が次々出てきている。それってどういう理由なんだろう。多分、様々なメディアを通じて、過去の名演奏、名技術に簡単に触れることができることなんかも影響しているのかもしれない。

 なのでジャズでもロックでも、多分クラシックでも、こと技術面に関しては若くて上手な人が沢山いるように思う。クラシックピアノでも例えばユジャ・ワンの演奏を聴いたときなどけっこうビックリした。しかもただ超絶技巧なだけでなく、けっこう一音一音が美しかったりもしたし。

 でも技巧面で優れていればいいかというと、そこがまた音楽の世界は異なる。同じピアノでも例えばアルゲリッチユジャ・ワンを聴き比べれば、アルゲリッチの貫禄勝ちみたいな部分もある。昔、ジャズギタリストのスタンリー・ジョーダンが両手によるタッピング奏法で出て来たときには驚異の技術みたいに思ったけど、誰かが「二人でやればいいじゃん」と言ったのを聞いたときには、そりゃそうだと思ったりした。まあ何がいいたいかというと、芸術においてはテクニックも当然必要だけど、多分それだけじゃダメっていうことなんだろうと。

 話を「Mela!」、長屋晴子、あるいは緑黄色社会に戻す。歌は上手い、でもなんでこんなに技巧的な、テクニックを誇張するような曲を作り歌うのだろう。「Mela!」も上にいったり下にいったりと大忙し、なんだかジェットコースターのような曲である。こんなに上下する早いメロディーラインを私は見事に歌いこなせますと、そんな風にアピールしているような感じもする。

 若い人は技術面、テクニックに優れている。なのでより難しい、あるいは高度な曲を作りパフォーマンスしないと、周囲と差異化されない、今はそういう風になっているのだろうか。この風潮も21世紀に入るあたりから顕著になっているのかもしれない。割と普通に聴いていたけど、例えばaikoの曲なんて譜面をみたらけっこうびっくりしたような気がする。コード進行が複雑だし、音はひんぱんに上下するし、転調は普通にあるしみたいな。それをあの伸びやかな歌声で普通に歌っている。

 ちなみにこういうテクニックを要するような曲を今の若い人たちは、素人さんでも苦も無く歌いこなしたりしているようだ。まあこれはカラオケの効能かもしれないなとか思ったりもする。

 でも例えば低音から高音まで出せるテクニックや能力があっても、それをいつも全開してジェットコースターみたいな曲ばかり歌う必要はないように思う。古い話になってしまうけど、例えばジュリー・アンドリュースは3オクターブ半くらいの音域があったけど、彼女が音が上下するような曲ばかり歌っていたかというとそんなことはない。ジャズ歌手としてはレジェンド的存在の故エラ・フィツジェラルドはスキャットで自在なアドリブが出来たしそれを売り物にしていたけど、それだけじゃもちろんなかった。

 歌の上手い人、故人だけどアレサ・フランクリンだって、カレン・カーペンター、エイミー・ワインハウスだって、今も活躍中のアデルやルーマー、リアン・ラ・ハヴァスだって、みんな抜群のテクニックをもっているけど、音が上にいったり下にいったり大忙しの曲なんてほとんど歌っていない。

 長屋晴子は多分、これからも活躍していくとは思うけど、出来れば今みたいなスタイルは卒業して大成して欲しいと思ったりもする。ジェットコースターソングもレパートリーの中にはあってもいいとは思うけど。

 まあグダグダと適当に思ったことだが、それでも「Mela!」はいい曲だとは思うし割と気に入っている。特に「ラララ」が。


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府中市美術館

 そろそろ世の中は動き出してる頃なので、どこか美術館に行ってみようかということになる。最初はトーハクの「美術館に初詣」に行ってみようかと思い高速道路を走らせていたのだが、所沢あたりから雪が舞い始める。これはちょっとまずいかなと思った。車はスタッド履いているので少々の雪は問題ないけど、上野だと駐車場からけっこうな距離を移動することになる。雪や雨だと車椅子押してはちときつい。

 練馬で下道に降りたあたりでほとんど吹雪みたいな感じになってきたので、急遽方針変更する。近場で行ける美術館と頭の中で巡らせる。練馬は確か小林清親やってたな、でもあそこは駐車場が1~2台身障者用にあるけど、たしか事前予約が必要だったっけ。練馬から八王子の富士美だとけっこうかかるな、などなど。それで思いついたのが府中市美術館。あそこは地下に身障者用の駐車場スペースがあり屋外に出ることなく館内に行ける。ということで谷原の交差点を右折したところで急遽ナビに入れる。だいたい1時間弱というところ。

 ということで新年2回目の美術館参りは府中市美術館となりました。しかし途中から雪は本降りみたいな感じで交通量の多い道路は問題ないが、歩道や周囲にはじょじょに積もり始めている。天気予報だと大雪の恐れありとのことだったけど、けっこうあたりそうな気配である。

 府中市美術館についてから中にある喫茶コーナーで軽食とったのだが、もう外は完全に雪景色になりました。

 

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 そして企画展として開かれていたのがこちら。

池内晶子 あるいは、地のちからをあつめて 東京都府中市ホームページ

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 池内晶子という人は初めて知る。絹糸を空間に張り巡らしたり、上から垂らすなどしてその場の空気を含めた空間芸術を構成する作家ということらしい。広い2階の展示スペースを3室使って3点の新作をが展示してあるのだが、作品名も解説もなにもない。ただそこには空間の宙に浮くような、あるいは上から垂れ下がるような糸があるだけ。ただしなにか張り詰めた緊張感のある空間ということだけは感じ取れるような。

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 第1室の作品、床に敷き詰められた赤い絹糸と宙に浮く絹糸。よく見るとこんな感じのようだ。

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 一瞬、なんかジョージア・オキーフの立体版みたいなと思ったのだが、まああっちはもっとどぎついイメージだからちょっと違うかも。しかしここから何を理解すればいいのだろう。

 次の部屋は暗く、上部から一本の糸が垂れているだけ。

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 静謐なイメージの中で時折空気の揺れに呼応するかのようにして揺れる絹糸。形而上学的な芥川の蜘蛛の糸みたいな。もうこうなると「考えるな、感じろ」みたいなものかしら。

 モダン・アートに関してはとんと疎いので、これらの作品については思考停止というかとりあえず判断保留します。ただし日常空間とは異なる亜空間的非日常みたいなものだけは、なんとなく感じられる。現代アートの雰囲気を味わいたいという美術ファンには割とすんなり入ってくる空間的作品かもしれない。

 

 そして常設展の方はというと「『あのとき』からの美術」、「牛島憲之の四季」、「府中・多摩の美術探訪」という三部構成になっている。

 最初の展示の中で興味を惹いたのは吉田ふじを。洋画家、版画家の吉田博の夫人で、二人は1903年に渡米し、アメリカで絵を売って生活を送ったという。二人はボストンで個展を開くなど評価を得た。帰国後は女流洋画家の先駆けとして活躍したという。

吉田ふじを - Wikipedia

 吉田ふじをは11歳で小山正太郎の不同舎に入門したという。不同舎の若い門人は外国人向けの絵葉書的な水彩画を描きそれを売って生活の糧にしていたという。今回展示してあった吉田ふじをの水彩画はそういう「おみやげ絵」的な要素をもったものが多いようだった。

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『少女と網を持つ少年』(吉田ふじを)

 

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『代々木風景』(村山槐多)

 MOMATにある『バラと少女』、あのガランスの村山槐多である。解説の中に岡崎出身、京都で育ち、上京後は小杉未醒の家に寄宿していたという。当然、未醒に絵の手ほどきを受けたのかもしれない。元旦に日光で観た小杉放菴の作品をちょっとだけ頭に浮かべてみたりした。

 

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『残夏』 (牛島憲之)

 府中市美術館は世田谷在住だったが、府中によくスケッチで来ていたという。その縁で死後、遺族から111点の作品が府中市に寄贈された。その翌年に府中市美術館は開館されたこともあり、牛島憲之の作品が美術館の所蔵品のベースになっている。そのため2階展示室は企画展覧会用の展示室と常設展示室及び牛島憲之記念館と銘うってある。

 牛島の作品はデフォルメをきかせた風景画がほとんどである。いずれも静謐で抒情性のある趣をそなえている。今回、観た作品に限っていうと年代ごとに作風が変わっているようだ。なぜかわからないが、戦前の作品の方が明るい色調であり、戦後はやや抑えた雰囲気で色調はやや暗い雰囲気になっている。

 面白かったのは同じ戦前の作品でも昭和19年くらいの作品より13年に描かれた作品の方が色彩感に溢れているような感じがした。そして最も最近のものになると抑えた色面により画面構成が成されているような感じだった。

カラオケについて

 仕事を辞めてからというもの外でカラオケというのは滅多にしない。仕事をしているときでも営業をやめてからいわゆるつきあい系のカラオケというのもほとんどしないので、頻度は少なかった。今はというと、健保の保養所に泊まりに行ったときに妻と行く程度だ。

 妻はデイで仲良くなった元気なお年寄りたちと時々昼間カラオケに行くようだ。一緒に行く人たちはみな本当に歌が上手くて歌い込んでいるという。妻はどうかというと、病気になる以前はけっこう普通になんでも歌うことができた。上手いかどうかというと、まあそこそこ、十人並みというところだっただろうか。

 それが16年前の発症いらい一気に歌が下手になった。音痴といっていいレベルに近いかもしれない。病気との関係があるのかどうかというと、はっきりわかっていないが妻のような脳疾患を罹患した人の中には、歌が上手く歌えなくなったとか、作曲などが出来なくなったということもあるにはあるようだ。脳の病気にはまだ解明されていない部分が沢山あるのでなんともいえないのだが、高次脳機能障害の中に失音楽症というものもあるという。

音痴とは、聴覚,言語など,ほかの精神的・肉体的機能が健常で,特に音楽的能力だけが劣っている場合をいう。これに対して,かつて音楽能力があった者が疾病,外傷など何らかの原因によってその能力を失った場合を〈失音楽症〉という。音痴の原因は,大脳右半球に推定される音楽中枢の発育障害による機能不全であるとされ,遺伝と環境の双方に起因するものとみられているが,医学的には未解決である。

(世界大百科事典)

 妻の脳梗塞巣は右側頭葉の大部分と一部前頭葉に及んでいる。それがなんらかの形で音楽能力を司る部分を侵食したのかもしれない。

 脳梗塞によって死んだ脳神経は回復しない。だからこそ妻の左半身は機能全廃なのだ。とはいえ使える側の機能を維持することで、日常生活を不完全ながらも送ることはずっとこの間やってきたことではある。さらにいえば脳神経の一部は死んだ組織の代替を行う可能性があるということもあるにはあるようだ。

 そこまで医学的、あるいは専門的な部分(それは自分には門外漢でもある)は別にしても、訓練によってそれまで出来なかったことが少しでも出来るようなところもあるにはある。

 ちょっと大げさに広げてしまったが、カラオケのことである。音痴になってしまっても練習すればある程度は音程をあわせて歌うことはできる。健常者であっても何度も同じ曲を歌っていれば、一定程度うまく歌えるようになるものだ。妻も少しずつではあるが、好きな曲、よく歌う曲は調子を外さないようになっている。

 昨日は散歩のついでに隣町のカラオケボックスに行った。カラオケボックスに妻と行くなんて多分20年ぶりくらいかもしれない。初めてなので会員登録をするのだが、今はスマホでアプリをダウンロードして、そこに簡単な個人情報を入力するだけだ。時代は変わっている。それから2時間二人でカラオケをした。

 保養所でカラオケをするときは、自分が7割、妻が3割くらいなのだが、今回は妻が6割、自分が4割くらいの割合で歌った。妻が好きな曲、よく歌う歌を自分が予約したりした。「木綿のハンカチーフ」は3回続けて予約して妻が歌った。調子外れだが、それでも最初より2回目、2回目よりは3回目の方が外れなくなっていく。

 妻は山口百恵の「夢前案内人」やイルカの「なごり雪」が好きでこの2曲はほとんど外れることなく歌える。この日は他にドリカム、今井美樹中島みゆきユーミンなんかにチャレンジした。

 隣の部屋だろうか、中学生くらいの子どもたちが流行りの曲をみんなで歌っているのが、けっこうよく聴こえてきた。2時間はけっこうあっとういう間に過ぎた。妻は「けっこううまく歌えるのあるでしょ」と言った。多分、これからしばらくは土日の散歩の途中でカラオケに行くことが増えるかもしれない。

恋人たちの予感

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恋人たちの予感 - Wikipedia

 録画してあったものを観た。多分BSプライムプライムで放映されたものだけど、半年以上前のものかもしれない。この映画はもう何度も観ているし、なんならDVDも持っている。だいぶ前にも書いたことがあるような気がして検索してみたら、2005年にこの映画と『ティファニーの朝食』について書いてた。

ニューヨーク今昔 - トムジィの日常雑記

 その時も含めいつ観ても感想は割と似通っている。よくできた恋愛コメディーだ。淀川長治先生が生きていたら、「粋な、粋な話ですね」と言うかどうか。いや、多分実は辛口な淀川先生はもっと辛辣かもしれない。のちに恋愛コメディの佳作を多数撮ったノーラ・エフロン*1の脚本。この映画のメイン・テーマである「男と女の友情は成立するか」については、もともと監督のロブ・ライナーがベニー・マーシャルと離婚したときのエピソードがもとになっていて、そのアイデアノーラ・エフロンに提供したという。

When Harry Met Sally... - Wikipedia

 ノーラ・エフロンは、前述したようにニューヨークを舞台にした小粋な恋愛コメディの脚本、監督を多数している。もともとは『エスクワイア』や『ニューヨーカー』に寄稿するライターで、ベストセラーとなるエッセイ集を出している。映画監督としては8作を撮っているが、おしくも2012年に白血病で亡くなっている。

Nora Ephron - Wikipedia

 この人のことはこの映画が話題になる前から少しだけ知っていた。なんなら何本か書いたものも読んでいたかもしれない。この映画の公開は1989年だが、多分その数年前くらいからアメリカの新しい文学みたいなものがじょじょに紹介されていた。主に『ニューヨーカー』などに寄稿する作家の短編を集めたものとか諸々翻訳され始めた。ブレット・イーストン・エリスポール・オースターなんかもそうだ。さらにいえば村上春樹がレイモンド・カーバーやジョン・アービングを紹介したりとかそういう頃だ。

 その頃に新しい女流文学みたいなところで、アン・ビーティなんかと一緒に雑誌で紹介されている中にノーラ(ノラ)・エフロンがいた。どんな文章だったかもさだかでないけど、その名前だけは記憶に残っていた。なので『恋人たちの予感』や『めぐり逢えたら』を観たときには、脚本書いているんだとか、監督業にまで進出したのかみたいな感想を持ったりしたものだ。

 この映画は小気味の良い演出もあるにはあるが、その最大の魅力はやはり主演のメグ・ライアンビリー・クリスタルに尽きると思う。ビリー・クリスタルはインテリでやや神経症気味なニューヨーカーを好演している。もともとというか、当時からアメリカでは人気のコメディアンとして知られていたがこの映画で大ブレイクした。この映画の翌年から通算で9回アカデミー賞の司会をしており、90年代から00年代にかけてのアメリカショービジネスの世界ではけっこう頂点の部分にいた人でもある。

 ただし以前にも書いたような気がするし、今回もそう思ったけどこの映画での役作りか、あるいはそれ以前からも含めビリー・クリスタルのキャラクターなのかしれないが、この映画で扮したハリーはどことなくゲイの雰囲気が漂う。だからハリーが女性はすべてセックスの対象と強弁してもどことなく嘘っぽいような気がしてもいる。

 同じニューヨーカーのインテリという役どころが十八番でもあるウッディ・アレンだとちょっと違う。彼もまたやや神経症かつマッチョとは程遠い存在だけど、彼にはゲイのような雰囲気はないような気がする。

 まあいい、この映画のビリー・クリスタルは好演しているけれど、この役は彼でなくても良かったかもしれない。でもメグ・ライアンだけは違うと思う。何度観ても、この映画でのメグ・ライアンの魅力、チャーミングでコケティッシュな雰囲気は最高である。もっとも彼女にしろ、共演のキャリー・フィッシャーにしろニューヨークで働く知的な女性という部分ではちとインテリジェンスな雰囲気に欠けるかもしれない。でも、多分それはこの映画がニューヨーカーを肯定的に描いているかというと、実はけっこう戯画化して茶化している部分もあるのかもとも思う。

 しょせんコメディ映画である。この映画にはスーザン・ソンタグは似つかわしくないし、誰も彼女のような女性が出る映画では笑わない。どうでもいいがソンタグをモデルにした映画が出来るとしたら誰が演じるだろう。大昔だったらアン・バンクロフトだけど二人は同時代人でとっくに鬼籍に入っているから無理だ。

 話を戻す。とにかくメグ・ライアンはこの映画でコメディエンヌとしての才能を開花させた。その後も『めぐり逢えたら』、『ユー・ガット・メール』と怒涛の快進撃をとげる。実際、人気あったし、90年代一番人気があり、稼ぐ女優の一人だったんじゃないかとも思う。この映画でも大学生から30代のキャリア・ウーマンまでをうまくこなしている。とにかく可愛い。

 有名なマンハッタンのカッツ・デリカッセンでのフェイク・オルガニズムのシーンはある意味映画史に残る名演だと思う。絶頂に達した演技のあとなんでもないように食事をとるところは最高だった。

 このシーンの話題となりカッツ・デリカッセンは観光名所となったという。今どうかわからないが、カッツ・デリカッセンで実際にメグ・ライアンビリー・クリスタルが演じた席の上にはこんな看板があるのだとか。

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 この映画はまたニューヨークの美しい景色、情景が随所に描かれる、ある種の観光映画である。まさにアイ・ラブ・ニューヨークだ。これについても以前書いたような気がするが、ニューヨークの情景を美しく描いた映画といえばモノクロではあるがウッディ・アレンの『マンハッタン』やブレイク・エドワーズの『ティファニーで朝食』などを想起する。さらにいえばこれも確か一昨年くらいに観た映画だが、タイロン・パワーキム・ノヴァクが主演したベタなメロドラマである『愛情物語』が季節ごとのセントラル・パークの風景を美しく描いていた。多分、多分だけどノーラ・エフロンロブ・ライナーも絶対に『愛情物語』を何度も観ているのではないかと適当に思っている。

 あと今回思ったのだが、この映画の中のメグ・ライアンの衣装にはどことなく『アニー・ホール』のダイアン・キートンを彷彿とさせるものがある。特にパンツルックのときに。衣装デザインはグロリア・グレシャムが担当しているのだが、ニューヨーカーの男と女を描くという点で、けっこうウッディ・アレン作品を参考にした部分あるのかなとこれも適当に思ってしまった。

 まあ良くできたコメディ映画だし、どことなく中西部から出てきていっぱしのニューヨーカー気取りしている連中を揶揄しているようなところもないではないけど、とにかく面白い映画だ。そして観るたびに新しいというか、なにか発見がある映画だ。すでに30年も前の映画ではあるけど、多分これからも何回か、そうだな年齢的なことでいえば1~2回は観るかもしれない。そういう映画だとは思う。

*1:かってはノラ・エフロンと紹介されていた

大魔神

 懐かしい大映の特撮映画である。暮れにBSで三部作一挙放映されていたものを録画した。

 1966年制作、本当に懐かしい。リアルでこの三部作を観ていたのでおそらく小学4年生とか5年生とかそのくらいだ。封切りでは『ガメラ対バルゴン』の二本立てだったらしい。この時期のガメラシリーズもほとんど観ているが一番館で観たという記憶があまりない。おそらく二番館か三番館での上映だったのだと思う。

 現在の上大岡にはTOHOシネマズのシネコンがあるけど、50年前は三番館的な映画館があった。そこでは洋画、邦画と様々上映していたが、特に夏休みには早朝に映画上映があり、怪獣映画やなぜか夏ということで怪談ものとかもかかっていて、毎日のように足を運んだ。

 今時の子どもはどうかわからないが、当時は娯楽も限られていこともあり、映画をポピュラーな娯楽だった。封切り映画は高いので親と一緒でないといけないけど、三番館あたりの映画館には割と普通に子ども一人でも行くことが出来た。特に夏休みの早朝上映は多分、ほとんど一人で行っていたのではないかと思う。

 当時の東宝の怪獣モノ-ゴジラに対抗して、各社それぞれオリジナルの怪獣モノをぶつけてきた。大映は亀が巨大化したガメラ、日活は確かカッパの化け物であるガッパとか。ガメラが亀なのに手足を引っ込めるとそこからロケット噴射しながら回転して空を飛ぶという、どういう構造になっているのかわからんが荒唐無稽な怪獣だったが、けっこうヒットしていた。そのガメラシリーズにさらにもう一つ別路線を投入ということで、怪獣+時代劇という設定で制作されたものが『大魔神』だった。

 このシリーズ『大魔神』、『大魔神怒る』、『大魔神逆襲』の三作が制作されている。三作作られたということで成功したシリーズのようだが、制作費がかさんだため収支はトントンだったとか。

 このシリーズは基本的にはワンパターンの設定で、領民に慕われ善政を行っていた殿様が家老や分家の悪人の謀反により殺される。悪人は領民を虐げ、さらに信仰の対象であった山の神(湖の神)を破壊を企てる。そこで神(大魔神)は目覚め悪人を退治する。大魔神が悪者を追い詰めて殺すシーンが、例えば大きな釘で串刺しするなどけっこう残酷なパターンが多く、これが子ども心にはかなりインパクトがあった。

 『大魔神』では殺された領主の娘で山でかくまれて育った美しい娘役を、当時の大映の清純派女優高田美和が演じている。当時19歳の彼女は、自分のような子どもにも美しいおねえさんに見えた。その頃の美人女優といえば、東宝でいえば酒井和歌子、日活はすでに一枚看板だった吉永小百合和泉雅子などを覚えているけど、高田美和も割と好きだったような気がする。小学4~5年生ということでいえば、わりとませたガキだったのかもしれない。

 後年、高田美和が日活ロマンポルノに出演したのはちょっとびっくりだったような気がする。1980年代のことだから当時彼女は30代半ば。まあ少々とおがたった美人女優や歌手のロマンポルノ出演ってけっこうあったような気がする。そういえば天地真理畑中葉子なんかも出演していたか。

 日活ロマンポルノはというと学生時代の頃に主に監督、例えば神代辰巳藤田敏八曽根中生などの作品を名画座で追っかけていたことがある。とはいえ三番館あたりで三本立てで観ていると途中で眠くなる。セックスシーンは興奮するかというと、なんていうか男女のまぐわいというか、からみあうのってけっこう退屈というか、飽きる。ワンシーンあればいいみたいな感じで、何度も続くとどうでもよくなってくる。

 さらにいえば基本はB級プログラム・ピクチャーであるから、けっこう同じような設定が多かったとかもある。途中で寝てしまい一本目と二本目のストーリーがごちゃごちゃになったとか、レイプする男で蟹江恵三が続けて出ていたとか、けっこう笑えることもあった。

 話を『大魔神』に戻す。とりあえず何十年ぶりかで観たが一応なんとか全部観きることができた。そしてけっこう内容というかストーリーは忘れていることが多かった。とはいえ最後の大魔神の活躍する場面はというとけっこう諸々覚えている。追い詰められた悪人が砦の上階に追い詰められ、大魔神の手を逃れたと思っていたら、後ろから捕獲されるところなんか。

 とはいえ録画した二部作、三部作を全部観るかどうかというと、やや微妙である。暇な老人とはいえすべきこと、観たい映画も沢山あるし、読みたい本もある。大魔神に半日費やすべきかどうか。

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