モネ『雪中の家とコルサース山』に関するメモ

 上原美術館で年に4回発行している上原美術館通信のバックナンバーをチラシ類と一緒にもらってきたのだが、その中の学芸員のコラムがけっこう充実していて面白い。

美術館通信 | 上原美術館

 そのNO.12に『モネ、北欧の旅』、NO13に『モネと日本をつなぐ不思議な縁』というコラムがあり、同じ学芸員土森智典氏が執筆している。いずれも上原美術館に所蔵しているモネの『雪中の家とコルサース山』についての様々なエピソードを紹介したもので、面白くかつ興味深い内容となっている。

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『雪中の家とコルサース山』

 この絵は『モネ、北欧の旅』によるとモネは当時ノルウェーに住んでいた義理の息子ジャック・オシュデの招待で1895年2月にノルウェーを訪れる。マイナス30℃にもなる極寒の地にモネは1ヶ月半滞在して28点の作品を制作した。その中の1点がこの『雪中の家とコルサース山」である。

 ノルウェーから義理の娘ブランシュ・オシュデに送った手紙には以下のような記述がある。

「この国にいるとよく思いますが、まるで日本のようです。日本の村に似ているサンドヴィーケンの眺めに取りかかっています。さらに、この辺りのどこからでも見える山も描いていて、それは富士山(Fuji-Yama)を思わせます。この主題はあまりに印象(le effets)が変わるので6枚着手していますが、最後までやれるだろうか 」(書簡1276)

  この標高380メートル足らずのコルサース山を富士に見立て、異なる時間や天気の中で刻一刻と移り変わる山の景色をモネが、葛飾北斎の「富嶽三十六景」を想起して描いたという。そこから土森氏はモネのノルウェーの旅を、まだ見ぬ理想郷日本を思った旅だったと位置付けている。

 そうして描かれた『雪中の家とコルサース山』はひょんなことから日本人夫婦が譲り受けることになる。それは『モネと日本をつなぐ不思議な縁』の中に詳しく書かれている。

 その日本人夫婦はモネ邸頻繁に訪れた黒木三次、竹子夫妻である。黒木三次(1884-1944)は、陸軍大将黒木為楨の子で学習院中学時代に志賀直哉と親友となり、その交友は生涯続くことになる。三次は東京帝大を卒業後に横浜正金銀行に勤め1918年、大蔵省委嘱による国際金融調査のためパリに向かう。その時に同行した妻黒木竹子は、松方正義の長男、松方巌の長女で後に美術館建設を夢見て絵画購入に莫大な資金を投入する松方幸次郎の姪にあたる。

 黒木夫妻はジヴェルニーのモネ邸を訪れる。日本情緒に魅了されていたモネは、和服で訪問した竹子を孫娘のように可愛がったという。コラムの中で竹子の晩年の回想が引用されている。

「モネさんは、モネさんの希望でいつも和服姿でお伺いしていた私を、すぐ嬉しそうに両手をおひろげになり、両腕の中に抱き込むようにして艦隊の挨拶をされたものです。

『読売新聞』1973年4月19日 

  竹子夫人(1895-1979)は84歳と長命であり、モネを実際に知る日本人が70年代後半まで生きていたというのがちょっと感動的なことのように感じる。この人については、西洋美術館を訪れた者ならばアマン=ジャンによる肖像画が目にしたことがあると思う。

エドモン=フランソワ・アマン=ジャン | 日本婦人の肖像(黒木夫人) | 収蔵作品 | 国立西洋美術館

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『日本婦人の肖像』(アマン=ジャン)

 黒木夫妻はモネから『雪中の家とコルサース山』を含む幾つかの作品を譲り受けて帰国している。その中には現在はアーティゾン美術館に所蔵されている『黄昏、ヴェネツィア』も直接モネから購入したものだという。この作品は竹子夫人がモネにお願いしてようやく譲ってもらったというエピソードも伝わっている。

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『黄昏、ヴェネツィア』(モネ) アーティゾン美術館蔵

 帰国した黒木夫妻はそのコレクションを友人の志賀直哉を通じて岸田劉生梅原龍三郎に見せたということも伝えられているという。当時、西洋絵画のオリジナルに接する機会の少なかった若き画学生たちにとって、モネの実物を見るというのは貴重な経験になったのだと思う。

 『雪中の家とコルサース山」はその後、何人かのコレクターを経て2005年に上原美術館の所蔵品となった。『黄昏、ヴェネツィア』も同じような遍歴を辿りつつアーティゾン美術館所蔵になったのだろう。

 名画の所有遍歴についてはプライバシーや税務上の問題もあり、多分秘匿される情報が多いのだろうとは思うが、1点1点の遍歴を辿ることは興味深いものがあるかもしれない。日本画のコレクターとして名高い福富太郎もエッセイやインタビューの中で、誰それからなにを購入したということを誇らしげに紹介していたような気がする。多分そういう名画の遍歴を記した本というものも、探せばけっこうあるのかもしれない。

 しかし前述したようにモネを直接知る日本人がつい最近(40年前は時代のスパンでいえば最近だ)まで存命だったというのは本当に興味深いものがある。

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『雪中の家とコルサース山』を囲んで

左から黒木竹子、モネ、ブランシュ・オシュデ、右からジェルメーヌ・オシュデとその娘

                       黒木三次撮影    上原美術館

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左から黒木竹子、モネ、モネの孫リリー・バトラー、ブランシュ・オシュデ、ジョルジュ・クレマンソー

                      黒木三次撮影  上原美術館

鉄道博物館へ行ってみた

 朝、8時半から妻の健康診断があるということなので、かかりつけの病院へ行く。まだ早い時間帯のため車椅子マークのついた駐車場もほとんどが空いている。これが1時間もすると満杯になるのは高齢化社会の常ということだ。妻の健診はいわゆる成人健診のため1時間半かもう少しくらいかかるため、自分は病院内にあるドトールで待機。ずっと、マックでちょっとした作業をしていた。

 妻から連絡があったのは11時くらい。結局2時間近くかかったみたい。まあ車椅子で身体も不自由ため、健常者よりは時間がかかるのは致し方ない。病院を後にしてからは昼食をとった。その時にどこかへ行きたいかと聞くと、当然のごとく行きたいという。月曜日なので美術館とかはほとんどが休み。スマホでちょっとした検索を行うと、鉄道博物館が営業中というので、妻に聞いてみるとすぐに、「行く、行く」という返事が返ってくる。

 鉄道博物館はもうずいぶんと前に大宮に出来たということはもちろん知っていたけど、いつも混雑しているということでなんとなく敬遠していた。あらためて調べてみると開館したのは2007年、もう14年も経つのだという。

鉄道博物館 - THE RAILWAY MUSEUM -

鉄道博物館 (さいたま市) - Wikipedia

 ここの前身ともいうべき秋葉原交通博物館には子どもの頃に何度も行っている。父が連れて行ってくれたのだが、けっこう記憶に残っている。別に鉄道好きな子どもということでもなかったのだが、交通博物館はとにかくワクワクするところだった。

交通博物館 - Wikipedia

 鉄道博物館の開館については、たしか交通博物館が手狭なのと老朽化等により大宮に移設されたという風に記憶していたのだが、どうも少し違うようである。交通博物館は鉄道だけでなくいわゆる交通輸送の箱物を多く展示していて、鉄道以外にも船舶、車、飛行機などの展示や解説が行われていた。入るとすぐに天井から吊るされた複葉機が目に入り。たしか徳川大尉が日本発の飛行を行った飛行機だった。あれがワクワクの誘引剤となっていたんじゃないかと思う。

 それに対して鉄道博物館はというと、交通博物館の鉄道部門だけを独立させてJRが東北新幹線の高架下を有効活用させる形で作ったもの。ようは鉄道に特化したところだ。まあ子どもは、特に男の子はたいてい鉄道が好きだ。幼児の頃は『きかんしゃやえもん』や『機関車トーマス』で慣れ親しんでいるし、男の子の散歩の定番は駅や線路端であり、そこで飽きることなく電車が通り過ぎるのを見ている。そういうDNAから例の鉄っちゃん達が生まれる。そういう鉄道好きの聖地が鉄道博物館ということなんだろう。

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 館内は細長い敷地の中に本館、北館、南館と三つの建物に分かれている。本館は大きな車庫を模していて、そこには懐かしい汽車、機関車、電車などの車両が所せましと展示してある。この光景に関しては自分のようなジイさんであっても正直、ワクワク感と郷愁が入り混じって、ちょっと普通ではいられないような感じである。

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 車内に入れる車両は限られているのだが、懐かしさを誘うのは車内にポールが立っているタイプのもの。大昔、自分が小学生の低学年の頃だからかれこれ60年近く前になるが、当時住んでいた川崎を走っていた南武線の雰囲気はこんな感じだったような気がする。

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 また比較的新しい、多分中央線の車両もなんとなく郷愁を誘うものがある。特に車内の吊り広告がなんとなく70年代くらいの雰囲気があって嬉しい。

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 北館は科学系、南館は仕事系、歴史系みたいな区分けをされている。この時点、妻とはちょっと興味の方向が分かれるので、妻は北館の方へ、自分は南館の方へとしばらく別行動をとった。

 南館3Fの歴史ステーションは、日本の鉄道の歴史が展示物とともにわかりやすく解説されていて、ここは長い時間いても自分のような人間には飽きがこない。現代に近づくと展示物はけっこう見知ったものが多く、逆に懐かしさが増す部分が多かった。

 最後にこのポスターを見たときに一抹の感慨というか、本当にこれで良かったのかという思いがした。

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 自分もあの時は流されるようにして民営化に賛成した。さすがに「E電」には違和感はあったけれど。それまでの非効率で親方日本、お役所的な国鉄の在り方には批判的な論説がさかんに流されていたし、それを鵜呑みにしてきた部分もある。でも国鉄の赤字についていえば、地方や過疎地を含めた住民の足でもあり、公共交通機関としての使命という部分もあった。逆に政治家、特に保守系政治家が露骨に選挙区への利益誘導により、非効率な運用が成されていた部分もある。

 それらが民営化によってすべてなくなったかといえば、間違いなく非採算路線は廃止されていった。しかし政治家により利益誘導は民営化された後も結局温存されているようにも思う。全国への新幹線網の整備は本当に必要だったのかどうか、それらも問われるべき問題だ。

 もう一つ、民営化の実はこれが一番の目的だったかもしれない国鉄の労組潰し。民営化により強力な労働組合組織であった国労動労は一気に弱体化した。春闘時のストや順法闘争によるノロノロ運転などは、利用者にとっては圧倒的に不利益だったかもしれないが、国労動労の先鋭的な運動により、多くの労働者の権利も維持拡大されていた部分もあるのではないか。

 今の派遣や有期労働が跋扈する労働環境、圧倒的に弱い立場にある労働者の状況を考えるとき、もしかってのような強い労働組合が存在していたら、労働環境がここまで悪化することはなかったのではないかと、そんなことを考えてしまう。労働集中と労働条件の悪化を我々は民営化という甘い言葉によって導きだしてしまったのではないのか。「もうひとつの時計」=労働条件の悪化を止めることを考える必要があるような気がしてならない。

 最終的にはやや暗い未来を感じさせる結末になった。その後は南館4Fのトレインテラスの芝生に横になってほんの少しだけ寝入った。まあこんなことが出来るのもウィークデイの閉館まで30分という時間帯だったからかもしれない。見上げると空はどこまでも青い。「空が青く、ちょっと悲しくなる」というのはジョン・レノンの歌詞だったか。

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初ドライブと秋ヶ瀬公園

 新車引き取り後、初ドライブをかねてご近所をうろうろ徘徊じゃなく周遊する。

 ディーラーでは特にハンドルやシートのポジションを調整しなかったので、三芳町役場の駐車場に行き、そこでひとしきりいろいろいじってみる。メーターやスイッチ類は同型車なのでほぼ同じ。ハンドルのポジションがかなり高目でハンドルの間からメーター類を覗くようだったのでハンドルを下げることにする。

 多分、ふじみ野や富士見市近辺に住む人たちは、免許取りたての駐車の練習とかをこの三芳町役場の駐車場で行うのって多いのではないかと思っている。以前、ふじみ野住まいの会社の同僚だった女性もここで練習したと行っていた。まあ一部の話だから普遍性はないけど、役場の駐車場が土日開放されているので、駐車の練習にもってこいではある。

 鶴ヶ島や川越近辺だとどうだろうか。うちの子どもが免許を取ったときは川島の町役場の駐車場やそこに近接した平成の森公園の駐車場を使って練習した。これも近隣でのあるあるではないかと勝手に思っている。まあ川島は一般道も整備されていて、道がストレートで周囲は田園地帯という、なんというかここは北海道かと思うくらいディープなところ。道路の割に交通量も少ないので初心者は運転しやすい。

 簡単に調整を終えてから、254号を上って英インターで浦和所沢バイパスに入り浦和方面を走ることにする。荒川を渡ってから左に曲がってそのまま秋ヶ瀬公園に行くことにした。

http://akigase.jp/

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 荒川の河川敷を整備した広大な面積のある公園だ。中にはピクニックの出来る森、小さな子どもが遊べる遊具広場、野球やサッカーが出来るグランド、さらにバーベキューが出来る区域もある。

 ここは子どもが小学校に上がる前に何度か来た。家族三人でピクニック気分で遊びに来て、子どもは広場や遊具で遊び回った。そういうところだ。妻が病気になった時、退院間近に病院の外に連れ出すことを何度か行った。退院後の生活訓練の一環みたいなことで最初は近くのファミレスに連れていったり、近隣の公園に連れていったり。じょじょに車での移動時間も増やして、たしか羽村の動物園やこの秋ヶ瀬公園まで連れてきたこともあった。

 トイレとかに注意しながら、基本は車椅子だったけど短い距離を4点杖で歩かせたりとかした。もう15年以上前のことだ。多分、秋ヶ瀬公園に来るのはそれ以来のことのように思う。子どもが大きくなると、当然こういうところへはあまり行きたがらなくなるし、妻と二人で来るという機会もなかった。

 最近は自分が仕事を辞めたこともあるし、妻と一緒に過ごす時間も増えた。妻は車椅子で近所を散歩するのが日課になっているし、近くの公園に行ってそこで車椅子でぐるりと回ったり、短い距離を歩いたりと一応機能維持に努めるようにはしている。

 そういうこともあってか、久々にこの公園にやってきた訳なんだが、ピクニックの森に入る入り口付近にいきなり「マムシ注意」の看板が出ている。この看板が割とあちこちにあるのだが、まあこれだけ自然が多いところだから、そりゃいるだろうなとは思ったけど、なんとなくのんびりお散歩モードが急に緊張モードに。

 遊歩道を歩いている分には多分問題ないのだろうし、雑木林や藪の中などに入らない限りは遭遇することはまずないのだろうとは思うけど、つい最近も都心の東御苑で毒のないニョロを目撃してるだけに、こういうのは割と続くような気もしてなんとなく気もそぞろだった。

 遊歩道で歩いていると、多分中学生くらいの5~6人の女の子たちが「だるまさんがころんだ」を遊んでいた。今時の子たちでもこんな遊びやっているのかと思うとちょっと嬉しい気分になった。女の子たちはキャッ、キャッいいながら楽し気である。

 「だるまさんがころんだ」は鬼が後ろを向いて10数えることからきているのだが、けっこう地域ごとにバージョンが違っていたりする。「へいたいさんがとおる」とか「のぎさんえらいひと」なんていうのもあるらしい。自分が子どもの頃はどうだっただろうか。たしか「とうごさん」という人物名があったような気がするので「とうごうさんがとおる」だったのかもしれない。

 「のぎさん」は乃木希典だろうし、「とうごうさん」は多分東郷平八郎のことだ。いずれも明治時代、日清、日露戦争の頃の元帥である。そういう意味では子どもの遊びにはまだ明治が残っていたということだ。それも昭和と共に終わってしまったとういことなんだろう。

 秋ヶ瀬公園には小1時間くらいいただろうか。ほとんどの時間、自分が車椅子を押して回ったが、妻は100メートルくらいは歩いたと思う。梅雨も明け暑い日中だし熱中症になるのも嫌なので早々に切り上げたが、妻はなんとなく物足りなさそうだった。

ワクチン接種と新車の入れ替え

 午前中、妻の1回目のワクチン接種のため市の大規模接種会場に指定されている鶴ヶ島在宅診療所へ行く。妻は8月に60歳となるが、糖尿病の基礎疾患があるため7月5日から予約が可能だったが、当日かかりつけ医院のサイトからの予約は受付不能でダメ。ダメもとで保健センターのコールセンターにかけたところ、三度目でたまたま繋がり今日の予約を取ることに成功した。電話に出た方(男性)の話では、妻は8月に60歳となるので該当、また基礎疾患ありのためそちらでも該当するとのことだった。

 鶴ヶ島在宅診療所は初めて行くのだが、ちょっと大きな医院、あるいは小ぶりな病院施設という感じである。時間で予約しているのでさほど待つことなく問診票のチェック、医師の予診からワクチン接種までスムーズに終わる。1回目の予約時に2回目予約も完了しているのだが、先方の都合で時間は1時間繰り上がる。ワクチンはファイザー製のため3週間後とのこと。

 その後はふじみ野のディーラーへ移動。いよいよというか、やっとというか、4月に契約した新車の納入である。昨日のうちに任意保険の切り替えて続きをネットで終了させているので、事務的な手続きは一切なし。現在乗っている車と入れ替えで新車に乗って帰るだけという手順だ。

 ちなみに前回も少し書いたことだが純正9インチナビは納車に間に合わず現時点でも入荷の目途は立っていない。取り合えずディーラー手持ちの7インチナビを仮にセッティングしての納入。9インチナビが入荷次第入れ替えるということになった。

納車の遅れとナビの供給 - トムジィの日常雑記

 車自体がマイナーチェンジした同型車で新車という意識にもかける。まあ普通になんで同じ車なのという感想を持つとは思う。子どももそんなことを言っていた。まあ何度か同じことを書いているが、多分車を買うタイミングとしては今が一番なんだろうなというところだ。普通に運転して遠出が出来るのは多分70くらいまでだろう。そうなると今年から残り5年である。経済的にも今なら買えるけれど、これがあと数年経つと状況も変わってくる。

 今の車は10月で2回目の車検である。たしか2016年10月登録で8900キロ走ったディーラー試乗車を2018年7月に購入した。まあ値段が破格だったのと当時乗っていたステップワゴンをかなり高く下取りしてくれたので抗えなかったということもある。それで3年間で4万キロ近く走った。まあけっこう乗っていると我ながら思う。これで10月の2回目の車検時には5万キロは確実にいくと思う。そのまま70まで乗り潰してもいいかとも思ったのだが、まあ最後にもう一度新しい車であちこち出かけてみたいというそんな思いが自重ブレーキに勝ったというところだ。

 せっかく仕事を辞めてフリーになった。年金生活者で大人しくしていなくてはという気もするが、体が動くうちは好きなことをしていたいと思う。そして身体が不自由でお出かけ好きな妻のためにも、自分が元気なうちはあちこち連れていってあげたいという気持もある。

 これでしばらくは近県、あるいはもう少し遠目の地方美術館にも足を運びたいと思っている。せっかくやや高めの保険料を払ってでも特別退職者扱いで健保に継続しているのも保養施設を利用したいからだ。

 まあもろもろの個人的理由により新車に入れ替えることにした。

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国立公文書館

 東御苑の北桔橋門を抜けると横断歩道を渡ると北の丸公園の入り口になる。なにやら通行規制のコーンが置かれて、ボランティアらしき人が何人かいる。当初、武道館脇を通って田安門に抜け飯田橋に出ようと思っていたのだが、ボランティアの人の言うところによるとオリンピックの通行規制のため田安門方面に抜けることは出来ないという。「オリンピックかよ」と内心に思いつつ竹橋の地下鉄駅へと下ろうとしたら左側、近代美術館の手前に見知った建物がある。国立公文書館、ここはまだ一度も来たことがない。入場無料ということもあり、まあずっと外を歩いていて暑かったこともあり、入ってみることにした。

国立公文書館について:国立公文書館

国立公文書館 - Wikipedia

 きちんとした公的な保管施設を設けているのに、事案終了とともに公文書を即廃棄したり、改竄隠蔽などを行っている国である。時の権力者の恣意性のまま、忖度という責任制を希薄させるような言い訳によって官僚たちが公文書を自在に廃棄、隠蔽、改竄しているのである。それを思うとこの施設の素晴らしさは日本の民主主義の建前を体現しているのかもしれない。

 しかし多くの記録が、我々からすれば日本史の一コマであるような文書を目の当りに出来るというのもこれはこれで有難いことである。ここは1971年、自分が中学生の頃に開設されたということらしいが、もっと早くに来るべきところだったし、出来れば何度も来るべきところだったと思う。

 展示されている文書類を眺めているとちょっとした感動を覚える、そんな場所でもある。

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 『日本書紀

 日本の最古の記録の一つである。展示されている資料は室町時代に書写されたものが慶長年間に転写されたという。転写されてからすでに500年を経過している。

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続日本紀
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『国会開設の勅論』

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『宣戦の詔書

 

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終戦詔書

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日本国憲法

 

三の丸尚蔵館と東御苑

 ワクチン接種の予約は11時半で終わったのが50分くらい。さてとどうするかということになり、昼飯食べるか、その前に腹ごなしもかねてどこかへ行くかとなる。至近に竹橋の東京国立近代美術館があるのだが、あそこに行くと昼飯どころではなくなる。多分、夕方までじっくりみたいなことになるので、今日はパスということにして、以前から行きたいと思っていた東御苑にある三の丸尚蔵館へ行ってみることにした。

三の丸尚蔵館 - Wikipedia

 ここは天皇や皇室に献上された美術品、工芸品、皇居内で使われている調度品の名品等を所蔵している美術品だ。歴史的は明治期か大正期あたりかと思いきや歴史は新しく、昭和天皇の死後、皇后や皇太子から寄贈され国庫に帰属した美術品を保存、研究、公開するための施設として、1992年(平成4年)9月に皇居東御苑内に建設され、1993年(平成5年)11月3日に開館した施設ということである。

 まあ天皇の死に際して発生した相続の軽減のための措置ということであり、これはもう完全に国民の財産ということになるのだが、なぜか管轄は宮内庁ということになっており、館内の雰囲気や職員の対応もどことなく上から目線、敷居の高いという印象がないではない。とはいえ美術品や工芸品がきちんと保管され、国民のために定期的に展示公開されているというこであるので、それ自体は申し分がないとは思う。

 さらにいえば所蔵品の増加のため新館の建設も進められている。個人的には宮内庁から管轄も文科省文化庁に移してしまい、管理運営を東京国立近代美術館を行わせてしまえばいいのではと思わないでもない。もともと国立の美術館や博物館の前身は帝室のそれだったのが、戦後に国立に改められたということのようだ。だとすれば民主主義国家として再出発して70年が経つ今日にあって、あえて宮内庁が所管するミュージアムとするのは意味不明と思わないでもない。

 三の丸尚蔵館には絵画においても名画が多数所蔵されている狩野永徳伊藤若冲、近代でも横山大観、土田麦僊、上村松園などなどである。

主な収蔵作品/絵画 - 宮内庁

 そうしたものを期待していったのだが、現在は陶磁器の企画展が行われていた。

三の丸尚蔵館 - 宮内庁

「近代陶磁をふりかえる-明治・大正・昭和初期」

<概要 

三の丸尚蔵館が所蔵する陶磁作品の多くは,明治時代から昭和時代にかけて製作されたものです。それらは,全国の産地から皇室へ献上されたものだけでなく,展覧会などで買い上げられた著名な陶芸家の作品が含まれ,わが国の近代陶磁史の主要な流れをふりかえることができるコレクションとなっています。

日本における近代陶磁の大きな特色は,茶の湯の器や日用雑器として用いられた近世までの実用的なあり方から,西洋的な室内空間を飾る調度として,あるいは展覧会への出品を通じて陶磁それ自体の美術的な価値が見いだされたことです。明治前期の陶磁は殖産興業政策の下でわが国の主力製品の一つとして輸出されました。折しも欧米各国では万国博覧会が開催され,ジャポニスムと呼ばれる日本趣味の流行が最盛期を迎えていました。しかし,明治30年代になるとジャポニスムの終焉とともに陶磁の海外輸出も減少することになり,それを受けて西洋の新しいデザインや,中国・朝鮮古陶磁の技法研究など,目指すべき新たな方向性が模索されました。そして,大正時代から昭和初期にかけては,個性の発露を重視した作陶姿勢を表明する次世代の陶芸家が登場し,戦後陶芸の礎が築かれました。

本展では,このような歴史的背景をもつ皇室に伝わった近代陶磁の優品をいくつかのテーマにわけて紹介いたします。

                           (HPより)

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《葆光彩磁花鳥図花瓶》(板谷波山

 陶磁器については素養がまったくないので、さらっと流して終了した。ちなみ自分らが入場したときの観客は疎らだったが、じょじょに人数は増えていった。その中には外国人も4~5人いただろうか。ひょっとして五輪関係者?などと適当に思ったりもしたが、多分違うのでしょう。

 

 その後短時間だが東御苑を散策する。

 いきなり道の脇の低い草木の間からニョロが出現して、びっくりして声をあげた。しかし埼玉の辺境に住んでいてここ5年近くニョロと遭遇していないというのに、なんで都心のど真ん中でという思いもしないでもない。とはいえここは規模の大きな金をかけまくったビオトープみたいなものだから、そりゃニョロもいるだろうとは思った。

 その後はかなり緊張気味にニョロセンサーを発動させながら歩くことにする。

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 東御苑には去年の12月に来たので2回目である。その時も晴れていたが、この日もえらいこと快晴状態。そういえば前日、梅雨が明けたんだったか。
 東御苑は江戸城の跡地のようで、今は樹木や芝生に覆われた樹林公園の趣だが、かってはここは壮大な建物だったのである。公園の一角にはあの忠臣蔵で有名な松の廊下の跡がある。前回もちょっと興味を覚えたのだが、解説の看板の英語の方を見ると、長さは55メートル、幅4メートルあったという。小学生が徒競走するのに十分な長さがあったということだ。そこで例の刃傷事件があったという。吉良さんは切りつけられながら、必死に55メートル逃げたのかと思うと、ちょっと我々の想像力をかなり超えるような距離感があったのだなと改めて思ったりもした。

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ワクチン接種2回目終了

 大手町の大規模接種センターでの2回目のワクチン接種に行って来た。

 1回目の接種は6月14日に受けた。

ワクチン接種に行って来た - トムジィの日常雑記

 このときに2回目の予約も同時行っていたので、接種はスムーズに出来た。

 しかし6月の時点からずいぶんとワクチン接種を巡る状況は変わってしまった。

 まず6月23日に職域に拡大する予定だったワクチン接種の予約受付を停止。

政府、職場接種の受け付け一時停止 自治体大規模会場も ワクチン配送量に限界:東京新聞 TOKYO Web

 さらに7月6日にはワクチン供給量の減少が5月のGW頃にはわかっていたことも判明と混迷を深めている。

河野大臣“ワクチン供給量6割減”発表も「なぜ2ヶ月黙ってた」と疑問続出(女性自身) - Yahoo!ニュース

 結果として現在ではワクチンの予約はかなり厳しい状況となっている。

 65歳以下のワクチン接種の予約もかなり厳しい状況のようで、8月に60歳となる基礎疾患のある妻の場合は7月の初めに接種券が自治体から届いたが、大規模接種センターでの予約受付は出来ない状態だった。自治体からは7月5日から予約受付が出来るということだったが、かかりつけの医院では予約サイトでのみの受付は受付当日の開始時刻でもHPは工事中で受付出来ない状態。もちろん電話は一切繋がらない。

 ようはタマ不足でほとんど新規受付が難しい状態のようだ。幸いなことに妻の場合は、自治体の予約センターに何度か電話したところたまたまうまく繋がって予約することが出来たのだけれど。

 この日の大手町の大規模接種センターでの接種は1回目と同様にスムーズだった。たまたま時刻を同じにした友人と待ち合わせして行ったのだが、二人とも短時間でワクチン接種は終了。滞在時間は30分あったかどうかというところだった。

 接種会場で馴染の人間見つけたりとか、それこそミニ同窓会みたいなことってないだろうなみたいなことを友人とバカ話していたが、そういえばつるんでワクチン接種というのはあまりないみたいだ。まあ夫婦で一緒にというのは少しはいるようだが、たいていの場合は一人で来るということが多いみたい。

 この大規模接種センターに来るというのも、自治体での予約がうまくいかないということでわざわざここに出てくるべくサイト予約をした人たちなので、一緒にというのは難しいのだろうなとは思った。

 ワクチン接種でどのくらい期間効果が得られるのか。まだ十分な治験が確立されていないため、現状では6ヶ月程度というのが一般的なようだ。ただしインフルエンザのワクチンなどは1度の接種でワンシーズンは効果があるので、新型コロナのワクチンについても1年程度の効果が期待されているということらしい。

日本で接種が進められている新型コロナワクチンにはどのような効果(発症予防、持続期間)がありますか。|新型コロナワクチンQ&A|厚生労働省

ワクチンの効果はどれだけ持続するのか 専門医の予測は?【新型コロナワクチンの疑問に答える】(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース

 まあワクチン接種が感染に関しての完全な免罪符になるということはないだろうし、ワクチン接種しても感染するという例もけっこうあるという話だ。友人とも話したのだが、ようは感染しても重症化リスクが軽減されるということのようだ。

 まあワクチン接種前と後で特に行動パターンを変えるつもりはない。今までだって土日の食品等の買い出しは普通に行っていた。美術館巡りは基本ウィークデイのみ妻と二人だけで行っている。人が多く行くような人気企画展は基本避ける。外食は昼食のみ妻と二人である。夜の酒食もほとんどしないが、もし行くとしてもやはり妻と二人で5時から1~2時間程度。

 小旅行も基本ウィークデイに行っている。そのへんも自粛しなければと思う部分もあるにはある。でもせっかく長く仕事をしてきて、ようやくそれから解放されたのである。本当ならもっと大々的に国内の美術館巡りをしたかったのだが、今の状況では近県のそれに限定している。まあウィークデイの美術館は密とか以前に人がいないような状態なので、ひょっとすると一番感染リスクが少ないのではないかとすら思ったりもする。

 自分のワクチン接種は2回終了。妻はまもなく1回目で、8月の中旬までには2回目が終わる。ワクチン接種が終わっても多分行動パターンは変わらない。ウィークデイ中心に近県の美術館や観光地をちょこちょこ巡るだけだ。65歳という年齢を考えると、自由に動ける時間はそれほどないように思っている。ワクチン接種は心理的にちょっとだけ安心感を得たという程度だとは思っている。