諸橋近代美術館

 実に13年ぶりの再訪である。

 いわずと知れた超現実主義の巨匠ダリの作品を集めた美術館である。なぜ、裏磐梯という観光地にあるか、まあ諸々調べれば尽きることのないエピソードがあるのだろうが、あえてそれは良しとする。とにかくここは観光地によくあるおざなりなミュージアムではない。箱根のポーラ美術館や伊東の池田20世紀美術館にもひけをとらないポリシーある美術館である。近似性でいえば三島にあるベルナール・ビュッフェ美術館があるかもしれない。

 13年前に訪れた時にはこんなことを書いている。

tomzt.hatenablog.com

 今回は開館20周年記念ということで、目玉であるダリを中心にしたシュールレアリスムの企画展が開かれていた。

 この企画展、シュルレアリスムを系統だてて学ぶことができるような展示となっている。所蔵しているダリをメインにしながら、国内の美術館から協力を得てシュルレアリスムの良品を含めて展示している。ポーラ美術館のマグリットがアクセントになっている。

 ポール・デルヴォーのこの作品もどこかで見かけたことがあるなと思いつつ観ていたのだが、案の定埼玉近代美術館MOMASの所蔵だった。

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ポール・デルヴォー「森」

 どこかアンリ・ルソーを思わせる陰鬱とした密林、そこにおよそ場違いなカーテンと裸体の美女、さらには去りゆこうとする汽車。想像力を喚起させる密林に配置されたヌードと夜汽車、それらはまったく異なるモチーフでありながら、同じ方向性での想像力を喚起させる。

 そして主役となるサルヴァトール・ダリについていえば、シュルレアリスムのスーパースターという位置付けも可能。アメリカでの活躍を、シュルレアリスム原理主義とでも言っていいかもしれないアンドレ・ブルトン等から拝金主義と非難されたが、もっとも活躍し、商業的にも成功を収めた芸術家でもある。ピカソとは異なる範疇ではあるが、芸術的志向性を作品に結実させ、しかもそれが社会的にも商業的にも認められるとう稀有な存在でもあった訳だ。

 そのエキセントリックな風貌もまたシュルレアリスムのイコン、あるいは広告塔として、多分計算し尽くしたパフォーマンスだったのではないかと推測される。もともとは才気あふれる感受性豊かな芸術青年にして早熟な天才だった。

 以前、伊東にある池田20世紀美術館で観た彼の10代の作品には、最早キュビズムを簡単に消化してしまった才気あふれる感受性と意のままにキャンバスに表現し得る技量を感じさせた。

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「ヴィーナス水兵」

 一緒に行ったカミさんが、「ダリって絵意外とうまいんだ」みたいなことを言っていたが、この天才は当然のごとく抜群の画力を持ち、写実性にしろ表現性にしろ、すでに抜きん出たものを持っていた。そしてそれだけではない何かを求めて、表現の冒険に飛び出し、見事に成功を収めた芸術家の中の芸術家なのである。ピカソとダリ、彼らは多分とんでもない「恐るべき子どもたち」として出発し、早熟な天才、円熟した芸術家として生涯を終えた稀有な存在だと思う。

 単なるヒゲをピンと立たせたエキセントリックなおっさんではないのだと思う。

足利フラワーパーク

 足利フラワーパークへ行ってきた。

 いつもカミさんにせっつかれてここに来るのはGWが終わって少ししてから。そうなると売りの藤棚はもう開花時期を終わっている。何年か前に5月の終わりに行ったときにはもう藤は葉っぱだけになっていて、片隅にあるバラ、それももう開花時期の旬は過ぎているのを見るみたいなこともあった。

 といいつつ、ここ4〜5年のスパンではけっこうな頻度で行っていることは行っている。が、藤が一番メインで咲いている時期に行ったのは多分一度きりだったようにも思う。その時はずいぶんと遠い田圃をつぶした仮設駐車場に車を駐めてからパークに向かったように思う。

 今回についていえば、いくらなんでもまだ開花時期にはだいぶ遠い。ただしGWには予定も入っているので、もしここに行くとなってもいつものように5月の終わりということになってしまう。ということで少し早いが出かけた、今回は暇そうにしていたので、子どもも連れていくことにした。

 着いたのが7時少し前、ナイター営業しており、要所要所にはライトアップされているのだが、いかんせん藤の大棚はまだ開花には遠い。一部早咲きのものがライトアップされて美しく咲いているだけだった。

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 とはいえ少しは楽しめたかなとも思う。まあ花を愛でるというのも美意識という点では重要なことのようにも思う。

千鳥ヶ淵で夜桜見物

 国立近代美術館での絵画鑑賞、満開の絵を観てから、カミさんの車椅子を押して千鳥ヶ淵へ夜桜見物をしてみた。ここは何度か訪れているが、大昔、多分まだ結婚する前に二人で訪れたことをよく覚えている。夜店でカミさんにピカピカ光るカチューチャを買ってあげた。カミさんはずっとそれをつけていたのだが、地下鉄に乗ったときにもまだつけていて、少しばかり恥ずかしいことになったことなんかも覚えている。もうそれは多分30年くらい前のことになるのか。

 あの頃はまだ結婚するかどうかもわからなかったけど、彼女が病気で倒れ、車椅子生活になるなんてことは考えられなかった。多分自分なんかよりも数十倍元気だった。桜の花を観ながら、そんな昔のことが少しだけよぎった。

 とはいえ8時に子どもと池袋でおち合い夕食を一緒にすることになっていたので、余裕をもってという訳にもいかず、なんとなく落ち着かない駆け足の夜桜見物だった。

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 最後にこの一枚、真ん中の松が景色を真っ二つに分けているのが、なんとなく浮世絵っぽくて、ちょっと気に入っている。

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近代美術館-美術館の春まつり

 近代美術館の常設展、近くの北の丸公園千鳥ヶ淵の桜に呼応する企画として、花をモチーフにした絵を多数展示している。

www.momat.go.jp

 この時期にだけ展示している川合玉堂の「行く春」を楽しみにしている。いつもの4階ハイライトの部屋に行くと、ない。そこには安田靫彦の「黄瀬川の陣」がある。まあこれも名作なんだが、この時期ここには「行く春」がないと。

 監視員に聞いてみると3階の日本画の間にあるという。そこでハイライトの間の代表的な名画をするっと周遊し、さらに隣の間を観てからから階下に降りる。日本画の間にはありました。

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川合玉堂「行く春」

 しばらく少し遠めの柱にもたれるようにして座りこんでボーっと眺めていた。なんかこのまま死んでいいくらいの気分である。秩父長瀞峡を描いた作品だが、日本の四季、散る桜にゆっくりと過ぎていく春の雰囲気がよく描かれている。

 ある意味、日本画で最も好きな作品の一つ。ゆったりとした時間、こういう絵の中に入り込んでしまったら、どんな気分だろうとも思う。この絵を眺め、ぼーっとして眠りについたらどんな夢をみるか。

 この日本画の間には、美術館の春まつりよろしく花の絵が多数展示されている。

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加山又造「春秋波濤」

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船田玉木「花の夕」

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中路融人「爛漫」

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跡見玉枝「桜花図巻」

 

福沢一郎展-このどうしようもない世界を笑いとばせ

 近代美術館では最初に「福沢一郎展」を観た。

 以前から近代美術館で観るたびに、ちょっと面白い画家さんとは思っていた。シュールリアリズムというか風刺画、パロディ的センスのある画家さんという印象だ。

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四月馬鹿

 まあこういうのを戦前に発表していたということでいえば、先進性というか時代を超越しているように思ったりもする。ヘタウマ版マグリットという感じだ。

 それに対してこの「牛」は画力というか、その力強い表現になにか引き込むものがあると感じ、ずっと記憶に残っていた。

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 よく見ると牛は穴ぼこだらけである。これは1935年に満州旅行したときの作品だという。表層的な力強さに透けてみえるのは満州帝国の欺瞞性みたいなものか。後方の人々のスケッチも意味深である。

 そしてほぼ同時期に描かれたこの作品も印象に残る。

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 ここには皇国日本の発展も、満州国の繁栄もない。40年代に共産主義を疑われて一時拘禁されたというのもなんとなく理解できる。

 多くの画家がある時期同じようなスタイルの、モチーフ、テーマによる絵を描くのは通例だが、福沢一郎も同様である。その傾向が非常に強いともいえる。

 戦後、メキシコや南米を旅行した時期には、そうした傾向がはっきりした原色カラーの作品が描かれる。ある部分、このへんが最もこの画家の個性が出ているような気もしないでもない。理屈で描いた作品ではないような、そんな個性が。

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埋葬

 そして1970年代、オイルショック後の例のトイレットペーパー求め殺到する消費者の行動は芸術家の目にはこんな風に映っていた。これこそある意味、芸術家が射止めた世相の深淵というものかもしれない。

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トイレットペーパーと地獄

 この画家はそう簡単には理解できない手強そうなタイプ。出来れば何度かこの回顧展に足を運びたいところだが、果たして再見することは可能だろうか。群馬出身ということで富岡市立美術博物館などにまとまって収蔵があるようだ。いつかこちらも行ってみたい。

都内の地下鉄事情

 久々、カミさんと電車で都内へ出た。いやなに、MOMATへ行こうと思ったのだが、この時期は車で行っても北の丸公園の駐車場に駐めることができない。去年、行ったときも駐車場へ向かう道は塞がれていた。まあ、北の丸公園から千鳥ヶ淵のあたりは花見客でごった返すからしかたがない。そこで多少の学習から、電車を乗り継いで竹橋まで来たのだが。

 地下鉄東西線竹橋駅は、まずホームから改札口まで行くのにエレベーターがないのである。ホームにいた駅員に聞いてみると、「ここはエレベーターがないんです。車椅子の方はみんなで担いであげます」という。

 ウィキペディアで調べてみると開業は1966年、まだバリアフリーなどという概念がない時代のことだ。さらに記述を読んでみると、「エレベーターはないが、地下1階西側と1番線ホームを連絡するエスカレーターが設置されている」とある。

 しかし車椅子の利用者はエスカレーターではどうしようもないのである。仕方がなくカミさんを車椅子から下ろし、手すりを使って階段を登らせることにする。車椅子は自分が担いで上にあげる。カミさんは短い距離ならなんとかつたい歩きができる。とはいえ以前に比べると歩いたり、階段を登る距離も短かくなっている。

 しかし、これが都内の一等地の地下鉄事情なのだと思うと暗雲垂れ込める思いだ。これは多分、ベビーカーのお母さんたちも同じ苦労をしているのだと思う。

 改札からさらに地上に出るのもまた階段である。駅員からすまなそうにここは全部階段ですという返事。ここの階段も短い距離なので、カミさんには登ってもらう。しかし、繰り返すが都内の中心地、大手町近辺、皇居に隣接した一等地でこれである。なんというか営団地下鉄毎日新聞社には猛省を促したい思いである。

 MOMATで鑑賞を済ませてから、カミさんが久々千鳥ヶ淵の桜が見たいというので、車椅子を押してぐるっと回ってみる。そのあと半蔵門に出て地下鉄に乗る。ここはホームまで二度乗り継いでなんとかエスカレーターで降りることができる。

 それから永田町で有楽町線に乗り換えようとするのだが、半蔵門線のホームから上に上がるのにエレベーターがない。駅員に聞いてみると、ここはエスカレーターしかないというのだ。あの長い長いエスカレーターである。覚悟を決めて本来やってはいけないエスカレーターの車椅子乗りに挑戦してみる。と、駅員がすかさず、車椅子から降りてもらわないと利用できませんと。

 カミさんは動いているエスカレーターに移りことはできない。仕方なく、本当に仕方なく車椅子に乗せたままエスカレーターに乗る。ようは介助者がしっかりホールドしておけばなんとかなる。後ろから駅員が「責任とれませんよ」と声をかけてくるけど、これはもう仕方がない。だって、ずっとホームにいる訳にもいかないのだから。

 いつも一人で利用するときは、気合いと根性で右側を歩いて登るのだが、この長い長いエスカレーターがいつにもまして長く感じる。もしも自分がこけたりすると、これは大惨事ということになるのだろうなと、そんなことも頭によぎる部分もある。とにかくきちっと車椅子をホールドし、両足を踏ん張る。

 ようやく上まで行くと、今度は有楽町線のホームにも階段で降りる。短い階段なので車椅子をたたんで担ぎ、カミさんには歩いて降りてもらる。駅員が駆け寄ってきて、「お客さん、少し奥にエレベーターがあります」というが、「もういいです」と返事をして降りた。半蔵門線からの長い長い登りはエスカレーターのみで短い降りの有楽町線ホームにはエレベーターがある。都会の不条理みたいな感じである。

 多分、無計画に作ってきた地下鉄の延伸である。各線の連絡の利便性やバリアフリーなどという観点はまったくなかったのだろう。都市計画って重要だよなと思う部分だ。しかし来年にはオリンピックとパラリンピックが開かれる世界に誇る大都市東京の実相である。オリンピックはいいとしても、この都市はパラリンピックを開く資格には少しばかり欠けていると思わざるを得ない。

さようなら、チャコちゃん

 twitterから流れてきた訃報。そして検索してそれが事実であることを確認した。

www.asahi.com

 淋しい、ただただひたすらに淋しい。82歳、心不全とのことだが多分孤独死だったのだろう。

 白石冬美さんといえば声優ということになるのだろうが、自分らの深夜放送を聴いて育った世代の彼女は、ナッチャコ・パック・イン・ミュージックのパーソナリティということになる。

 ナッちゃんの突っ込みに対する絶妙なボケ。毎週、あのお題拝借を楽しみしていた。

 ナッちゃんが逝ってからすでに9年の月日が経ち、チャコちゃんも逝ってしまった。あの深夜放送を享受していた我々が上は後期高齢者に、多分一番下のほうとなる自分らもとうに還暦を過ぎている。それを思うと80歳を過ぎた彼女が鬼籍に入るのも仕方がないことなのだろう。

 あの深夜放送への思いは8年前にナッちゃんが亡くなったときに書いた。

tomzt.hatenablog.com

 今はただ白石冬美さんのご冥福をお祈りしたいと思う。

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